悩みねこ40代ですが、これから先どうやって生きていったらいいのか
生き方が分からなくなっています・・・。
40代になると、人生の折り返し地点ってよく言われる。
仕事にも慣れて、がむしゃらに頑張る時期は終わり、少しずつ“終活”という言葉が現実味を帯びてくる。
でも正直、何のために生きているのか分からないまま、ただ流れに身を任せて生きている40代も多いと思う。
私もその一人だ。毎日をこなすうちに、気づけば心の中にぽっかり穴があいているような感覚がある。
以前、「20代で生きがいがないのは当たり前?人生のムダを楽しもう!」という記事を書いたけれど、生きがいを探すのは20代だけじゃない。
むしろ年齢を重ねるほど、“何のために生きているのか”を考える時間が増える。
それは悪いことじゃなくて、人生の意味をもう一度見つめ直すチャンスだと思う。
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私が20代だった頃は、特に生きがいもなく、ただなんとなく毎日を過ごしていた。
でも20代後半になって、ようやく「医者になる」という目標を見つけた。
そのとき初めて、“自分の人生にも意味があるかもしれない”と思えた気がする。
けれど、現実はそう甘くなかった。
頑張っても夢は叶わず、気づけば理学療法士という、まったく想定していなかった医療職の道を歩いていた。
医者になることばかり考えていた私にとって、それは敗北のように感じた。
でも今になって思う。
結局、努力すれば夢が叶うなんて、漫画の中の話だ。
現実の人生は、もっと複雑で、もっと理不尽だ。
多くの人が、自分の力ではどうにもならない流れの中で、それでも前を向いて生きている。
私もその一人として、分相応の場所で、できることを探しながら生きている。
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歳を重ねれば自然と人生の答えが見つかると思っていた。
40代にもなれば、もう少し自分の生き方が定まっているはずだと。
でも実際はそうじゃなかった。
気づけば、どうしていいのか分からないまま、ただ毎日をこなしているだけの自分がいた。
もし40代になっても自分の生き方が分からないのなら、残りの人生をどう生きていけばいいのか。
私もずっとその答えを探してきた。
結論から言えば、読書しかない。
本を通して他人の考えに触れ、自分の生き方を考え抜くしか方法はないと思っている。
人生はやり直しがきかない。
自分一人の経験で学べることなんて、ほんのわずかだ。
けれど、本を読めば古今東西の人たちの人生を、まるで自分のことのように体験できる。
それは、誰にでも開かれた“もうひとつの人生”だと思う。
私は読書のおかげで、40代になって初めて自分の生き方を見つけた。
今は迷うことなく、自分のペースで生きている。
もちろん、完璧ではない。
それでも本から学んだ言葉が、今の私の軸になっている。
とはいえ、「何を読めばいいのか分からない」という人も多いと思う。
そこで紹介したいのが、88歳で現役の精神科医・中村恒子先生の本だ。
先生は長年、人の心の苦しみと向き合ってきた人で、その言葉には重みがある。
若い医師のように理屈っぽくない。
人生の終盤を生きる人だからこそ、言葉のひとつひとつがやさしく、深く、胸にしみる。
この記事では、中村恒子先生の『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』と
『不安と折り合いをつけて うまいこと老いる生き方』を参考にしながら、
生き方が分からないまま立ち止まっている40代について、私なりに考えていきたいと思う。
目次
生き方が分からない40代が上手く生きていく方法
お金のために働く


会社は他人が作ったお金儲けのための、ただの箱。そこはあくまでも 他人の箱庭 なんやから、自分の思うような役割に就けなくても、気にせんでええのになあ。他人が輝こうが、出世しようが自分の食い扶持が稼げればええやないの。仕事をする一番の目的は、自分や家族を食べさせるためでしょ。不安と折り合いをつけて うまいこと老いる生き方
リンク
会社というのは、もともと他人が作ったものだ。
雇われている以上、どれだけ頑張っても儲かるのは会社であって、自分じゃない。
営業も経理も、会社という仕組みが肩代わりしてくれている。
その代わり、自分の意志が通らないのは、ある意味仕方のないことだと思う。
だからもし「そんな他人の会社で、なんで働くの?」と聞かれたら、私はこう答える。
「生きていくための金を稼ぐためだ」と。
若い頃は、仕事を通して生きがいを見つけたいとか、好きなことで社会に貢献したいなんて考えていた。
でも、人生はそんなに甘くない。
自分の好きなことで食べていこうと思ったら、結局はYouTubeみたいなマネタイズに行き着く。
けれど、動画を撮って、編集して、投稿して…そんな作業を続けていたら、たぶん私は好きだったこと自体が嫌いになってしまうと思う。
実際、今は有名なYouTuberですら苦しい時代だ。
ラファエルさんは収入が全盛期の10分の1になり、シバターさんも再生数が5年前の4分の1だという。
そう考えると、働くことを「生きるため」と割り切ったほうが、よっぽど心が軽くなる。
収入よりも、心の余裕が持てて、休日が多くて、残業がない、自分にそこそこ合った職場で働く。
そして、空いた時間で趣味や好きなことを楽しむ。
それが一番現実的で、満足度の高い生き方じゃないかと思う。
とはいえ、仕事に生きがいを求めないわけじゃない。
もし仮に私の仕事が単純労働であったなら、収入がどれだけ高くてもしていないだろう。
どうせ働くなら、自分なりに納得できる仕事であってほしいと思うのは当然のことだ。
自分は医者になりたくて医学部を目指した。医学部再受験に失敗し、しぶしぶ理学療法士になったが、今では十分満足している。
多少なりとも人生には妥協は必要で、そこから自分に合ったしごとを探していくといった方が正解だろう。
また、仕事は人生の半分を占める。
まったく充実感がなければ、人生そのものが色あせて見えてしまう。
だからこそ、仕事は“適当にやる”くらいがちょうどいい。
適当といっても、いい加減という意味じゃない。
自分が壊れない程度に、一生懸命やるということだ。
心をすり減らしてまで働く必要なんて、どこにもない。
頑張りすぎず、諦めすぎず。
その間のちょうどいいバランスこそ、長く働くためのコツだと思う。
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生きがいや己の成長は自分が食べれるようになってから考える
「生きがい」とか「己の成長」なんていうのは、自分をちゃんと食べさせられるようになったあとに、余裕があったらボチボチゆっくり考えていけばええと思います。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
リンク
定職について、安定した収入があるだけで心はずいぶん落ち着く。
私は無職の時期が長かったから、仕事があることのありがたさを身に染みて知っている。
朝起きて行く場所があって、誰かに必要とされている――その事実だけでも、人は少し前向きになれるものだ。
たとえ自分の希望通りの仕事についたとしても、期待を持ちすぎると失望する。
理想と現実のギャップにイラついたり、やる気を失ったりしてしまう。
思い通りにいかないことの方が多いのが、仕事というものだ。
私は「天職」という言葉をあまり信じていない。
最初から自分にぴったり合う仕事なんて、そうそう見つかるものじゃない。
天職は“探す”ものじゃなく、“育てる”ものだと思っている。
今の仕事を一生懸命やっているうちに、いつの間にかその仕事が自分の天職になっていく。
私自身、理学療法士という仕事を最初は好きになれなかった。
正直、向いていないと思っていた。
けれど、続けていくうちに「誰かの役に立てた」と思える瞬間が増え、気づけばこの仕事が自分の誇りになっていた。
今では胸を張って言える。
理学療法士という職業は、私にとっての天職だと。
仕事も同じですわ。旅行や遊びも、たまに行くのは楽しいけど、何回もしてるとだんだん飽きてきます。刺激というのは、すぐに慣れてしまうもんなんです。そもそも、仕事の好き嫌いなんて実はちょっとしたもんで、仕事の内容よりも人間関係のほうがよっぽど大事だったりします。私の経験上、仕事が嫌いになる原因のほとんどは、人間関係です。 どこへ行っても仕事が嫌いになってしまうのは、人との付き合い方のほうに問題があるかもしれません。心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
たとえ好きなことを仕事にしていても、旅行や遊びと同じで、毎日同じことを繰り返しているとだんだん飽きてくる。
どんな仕事でも、最初の新鮮さは長くは続かない。
私の考えとして、飽きないように仕事を続けるには、仕事に小さな変化をつけながら、真摯に向き合うしかないと思っている。
そのために勉強は欠かせない。
どうすれば患者さんが少しでも良くなるのか、日々考えながら全力で向き合っている。
同じことの繰り返しの中に、小さな発見を積み重ねていく――それが、私にとっての「飽きない働き方」だ。
それに、仕事が嫌になる原因の多くは、仕事そのものよりも“人間関係”にあると思う。
私自身、会社を辞めたいと思ったことは何度もあるけれど、ほとんどが人間関係が原因だった。
転職理由を見ても、人間関係は常に上位にある。
それだけ多くの人が、人との関わりに疲れているということだろう。
この人間関係については、後ほど詳しく書こうと思うので、ここではいったん置いておく。
少し話がそれたけれど、結局のところ働く理由は「お金のため」「食っていくため」で十分だと思う。
生きがいや自己実現を求めすぎると、かえって苦しくなることもある。
それよりも、自分の生活を守りながら、淡々と働き続けることのほうがよっぽど現実的だ。
ただ、私にはもうひとつ理由がある。
私は仕事を通して、自分の“命を使い切る”ために働いている。
人生は一度きりだ。これは間違いのない真実だ。
どうせ一度しかないなら、後悔のないように生きたい。
10年、20年後に「やれるだけやった」「一生懸命生き切った」と胸を張って言えるように、
今日も目の前の仕事に力を注いでいる。
大きい目標は持たないようにする


昔から「大志を抱け」とよく言われるけど、あまり立派な志や高すぎる目標ばかり持ちすぎると、未来のことや成果にばかり気がとらわれてしまいます。すると、目の前のことに打ち込めなかったり、迷いが生じてしまうんやないでしょうか。心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
世の中では「大きな目標を持ったほうがいい」とよく言われる。
でも、私はそうは思わない。
大学を中退してフリーター生活をしていた頃、先ほど少し触れたように私は一発逆転を狙って「医学部合格」という大きすぎる目標を掲げた。
正直、自分の実力や状況を冷静に見られていなかったと思う。結果は、失敗だった。
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20代後半で挑戦した医学部再受験の末路【後悔しないために】
医学部再受験に失敗した場合、末路はどうなりますか? この記事は、20代や30代で医学部再受験を考えている人に向けて書いている。医学部再受験に失敗したとき、どんな末…
医学部再受験がきっかけで理学療法士になれたのは、間違いなく得るものがあった。
でも、正直に言えば、膨大な時間とお金を失ったという後悔も残っている。
もう少し上手くやれたんじゃないか――今でもそう思うことがある。
もし医学部再受験が失敗だけで終わっていたら、私は何も得られず、今でもフリーターのまま、惨めな人生を送っていたかもしれない。そう考えると、あの経験があったからこそ、今の自分があるとも言える。
それでも、ネット社会の今は厄介だ。SNSやニュースを通じて他人の成功が簡単に見えてしまう。
気づけば、自分と比べて落ち込み、惨めな気持ちになる。でも、誰もが成功できるわけじゃない。
多くの人は、自分の能力に不相応な目標を掲げ、私のように挫折を味わう。
挫折して終われればまだいい。
けれど多くの場合、自分を責めてしまう。「どうして自分はできないんだ」「自分が情けない」――そうやって自信を失っていく。
成功したいという気持ちの奥には、「他人に認められたい」「褒められたい」という願望が隠れている。
けれど、成功や成果を追いかける生き方は、たとえ手に入れたとしても、自分を傲慢にしてしまうことがある。
私はこれまでに、実力はあるのに他人を見下し、横柄な態度をとる人を何人も見てきた。
そういう人は、周りから認められるほど、逆に人間としての魅力を失っていった。
他者からの評価を求めすぎると、本当の自分を見失う。
結局のところ、それは“人間としての敗北”だと思う。
だから私は、成功を追い求めるよりも、
「今日が人生最後の日だ」と思って、一日を全力で生きることを大事にしている。
仕事の成果や肩書なんて、70歳、80歳になれば何の意味もなくなる。
そんなものにしがみつくよりも、気軽に世間話ができる友達がいるほうが、
ずっとあたたかくて、ずっと豊かな人生になると思う。
「幸せでなければいけない」と思わない方が幸せである





これから海外で豪遊するぜぇ~!



うらやましい・・・
生き方が分からない40代は、他人の人生に憧れるあまり、自分を見失っているのかもしれない。
他人の言葉に耳を傾けることは大切だけど、他人の考えを真似て生きても、自分らしさを失うだけだ。
気づけば「どう生きたらいいのか分からない」という迷いにハマってしまう。
何をするにしても、自分が好きでやっているならええんやけど、「他人がこうやから、自分もそうならねばならない」っていう基準になってしまうと、必ずしんどくなってきます。「こうあらねばならない」っちゅうのは、荷物みたいなもんです。自分が自分に好きで課すなら一向に問題ないんやけど、他人のあれこれを基準にすると、重くて重くて仕方ない。ストレスでしかありません。心に折り合いをつけて うまいことやる習慣
多くの人は、自分が幸せかどうかを「他人と比べて」判断していると思う。
インスタの写真を眺めていると、みんな幸せそうに見える。
すると「自分もあんな写真を撮らなきゃ」と思い、義務のように“映える”場所へ出かけてしまう。
でもそれは本当の幸せじゃなく、他人の目を気にした“演出された幸せ”にすぎない。
私の医学部再受験も、ある意味それと同じだった。
あきらめずに頑張った結果、手に入れたのは夢の実現ではなく、自分の限界を知ることだった。
現実の世界では、映画やアニメのように努力すれば必ず報われるなんてことは滅多にない。
むしろ、そうした物語を信じすぎたせいで、私のように「諦める」という選択ができなくなる人も多いと思う。
スラムダンクの「あきらめたら試合終了だよ」という有名な言葉があるけど、私にとってはそれが“呪いの言葉”になっていた。諦める=負ける、弱い、逃げる。そんなふうに思い込んでいたからだ。
でも、本当の意味での「あきらめる」は違う。語源は「明らかにする」。つまり、諦めるというのは“自分の生き方をはっきりさせること”なんだ。
私は医学部再受験に失敗して、理学療法士という道に進んだ。
なりたかった職業ではなかったけれど、やってみたら自分の性格には合っていた。
だから今は、あのとき諦めたことを後悔していない。
生き方が分からない40代の人へ伝えたいのは、「諦めることは、逃げじゃない」ということだ。
何かにしがみついて苦しんでいるなら、いっそ手を放してみてほしい。
その瞬間に初めて、自分の本当の生き方が見えてくることもある。
「〜したい」と思えることに力を注ぐのはいい。
でも「〜しなければならない」と思った瞬間に、自分の人生は他人の指令で動くようになってしまう。
それでは息が詰まるだけだ。
私の兄は優秀で、年収も私の3倍はある。
昔はそんな兄を見て、「自分もそうなりたい」と思って頑張った。けれど、結局は自分の生き方に合っていなかった。他人の人生を追いかけても、苦しいだけで続かない。
今はようやく、自分のペースで生きることの大切さが分かってきた。
うまくいかないことが続くときは、立ち止まらまず適当に頑張る。


「うまくいかないからがんばろう」やなくて、「うまくいかないけど、まあぼちぼちやりましょう」くらいの気概でええと思いますな。心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
生きていれば、うまくいかないことなんていくらでも出てくる。
そんなとき、つい「頑張らなきゃ」と気合を入れたくなるけれど、本当に必要なのは「うまくいかないけど、まぁぼちぼちやるか〜」くらいの気持ちだと思う。
ここで無理をすると、続けることすら難しくなる。
結果的に、8割の力でやっているときよりも、はるかに悪い結果になってしまう。
私は医学部再受験のとき、まさにそれを経験した。
無理をしすぎて、ある日を境にまったく勉強ができなくなった。
教科書を開くのも嫌になり、焦る気持ちだけが空回りして、机に座っているのに何も手につかない日が続いた。
それがあったからこそ、理学療法士の国家試験の勉強のときはやり方を変えた。
「無理をしても続かない」と分かっていたから、もう限界だと思ったら、潔く勉強をやめて遊んでいた。
結果的に、毎日8割の力でコツコツ続けることができた。
そして最後まで燃え尽きることなく、ちゃんと結果を出せた。
限界を超えて頑張った人が結果を出せるわけじゃない。
長く続けて、必要なときに全力を出せる人が結果を出せるんだ。
そこを間違えてはいけないと思う。
これは仕事でも同じことが言える。
完璧を目指して挫折するよりも、少し不格好でも続けていくことのほうが大切だ。
私は仕事をかなり“適当に”やっている。
といっても、手を抜いているわけじゃない。
「まぁ、これでいいか」「今日もぼちぼち頑張るか」――そんな気持ちでやっているだけだ。
それくらいの力加減が、長く続けるコツだと思う。
夏目漱石の言葉に、こんなものがある。
「むやみにあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んでいくのが大事です。」
まさにその通りで、焦らず、牛のように一歩ずつ進めばいい。
焦らなくてもいいんだ、そう思うだけで仕事はぐっと楽になる。
限界を超えて頑張ることが、いい結果を生むわけじゃない。
本当にいい結果が出るのは、心に余裕があるときだ。
力を抜いて、笑って続けられること――それが一番の“努力”なんだと思う。
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仕事なんて適当でいい!必死になれば、能力が落ちる
頑張ったからといって給料が上がるわけじゃないし、媚びを売ったからといって上司に気に入られるわけでもない。むしろ仕事ができると、余計にいろんなことを頼まれたり…
悲しいことやショックなことから立ち直るには、「日にち薬」が必要


悲しいことやショックなことをがあると、心が落ち込んで何も手につかなくなる時があります。 大抵、他人からアドバイスをもらったりすることがありますが、一時期的に心が和らいでも時間が経てばまた苦しくなります。 結局、悲しいことやショックなことから立ち直るには、「日にち薬」が必要なのです。
ウジウジとあれこれ考えないようにするには、暇をつくらないことに限ります。心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
過度に落ち込んでいるときは何もやる気が起きないので無理になにかをすることは、逆効果になる場合がありますが、考えない時間を作ることで幾分か救われることもあります。
私は落ち込むことがあると大抵寝るようにしています。寝ると副交感神経が働き脳の興奮が落ち着いてくるので、心も同じように落ち着いてくるからです。
心が落ち着いて少し元気が出てきたら、無理のない範囲で思いついたことを、ゆっくりやるようにしています。
部屋の整理や掃除、片付けをゆっくりすると頭の中の整理できてくるのでお勧めです。
後は、ぼーっとのんびり無理をせずに過ごしてください。
元気で生きていられる時間は限られているんやから、過去のために使ったらあきません。心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
人は過去についてどうしても考え込んでしまう生き物ですが、過去のことを考えるよりも、これからどこに行って、何をして遊ぼうかと考えた方が、気分が楽になります。
心を平静に保つコツ


心を平静に保っていくもう一つのコツは、「仕事のとき以外は、仕事のことは考えない」ことやと思います。心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
仕事が終わっても、つい仕事のことばかり考えてしまう。
そんなふうにオンとオフの切り替えができない人は多いと思う。
ずっと頭の中が“仕事モード”のままだと、脳が緊張状態から抜け出せず、不眠症にもなりやすい。
夜にやるべき仕事は、ひとつだけ。それは「よく寝ること」だ。
最近は寝る直前までスマホやパソコンを触って、頭が冴えすぎて眠れない人が本当に多い。
私も昔はそうだった。
仕事のメールを寝る直前に見てしまい、頭が興奮して寝つけなくなる――そんな日々が続いた。
もちろん、勉強が趣味で、勉強そのものが楽しいという人もいる。
私もどちらかといえばそのタイプで、休みの日もひたすら本を読んだり学んだりしている。
だから、仕事の延長のような勉強をする人を否定するつもりはまったくない。
ただ、私が言いたいのは、「自分が一番リフレッシュできる方法で、ちゃんと休んでほしい」ということだ。
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ミニマリスト流 趣味選び:持たない贅沢と心の豊かさを手に入れる
ミニマリストが趣味をするにあたってモノを増やしてしまっては論外です。 だからといって、やりたい趣味を我慢して諦めることをすれば生活の質が下がってしまいます。 …
一時期、私はマスコミが推奨する“流行の遊び”を真似していたことがある。
けれど、何をしても空しさしか残らなかった。あとから気づいたのは、それが“売るための遊び”だったということ。つまり、マーケティングで作られた娯楽を、あたかも幸せの形として見せられていただけなんだ。
そんなものに乗せられても、自分の心は満たされない。
だから今は、誰かが決めた“リフレッシュの形”に合わせるのではなく、自分に合った休み方を探すようにしている。
静かなカフェで本を読むでもいいし、散歩をするでもいい。
とにかく、心が落ち着く時間を持つことが大切だ。
休みの日まで仕事のことを考えていると、せっかくの休日が台無しになる。
心のリフレッシュができないと、結局、平日の集中力も落ちてしまう。
しっかり休むからこそ、仕事にも本気で向き合える。
だから私は「休むことも仕事のうち」だと考えている。
休日は思いきり休む。
それが、長く働き続けるための一番のコツだと思う。
孤独は寂しいことではない


孤独であることは、寂しいことではない。「孤独はよきもの」と受け入れると、ラクになることがいくつもある。心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
認知症の原因の一つに「社会的孤立」があるせいか、人はどうしても孤独を避けようと必死になる。
「つながらなきゃ」「一緒にいなきゃ」と思うあまり、無理に人と関わろうとして、かえって疲れてしまうことがある。
本意ではない付き合いを続けているうちに、ストレスはどんどん膨らむ。
他人と無理につながろうとしてもうまくはいかない。
それは“つながり”ではなく、ただの“依存”だ。
相手に合わせすぎたり、迎合したりするほど、ますます自分が苦しくなっていく。
結局のところ、人はもともと一人で生きていく存在だと思う。
それを認めることは怖いけれど、いつかは受け入れなければならない。
孤独を恐れすぎることこそが、苦しみの根っこになるのだ。
孤独を感じてつらいときは、
一人でも夢中になれることを見つけるのがいちばんの薬だと思う。
私の場合は読書と勉強だが、それは人それぞれでいい。
絵でも、散歩でも、ガーデニングでも、なんでもいい。
大事なのは、誰かと一緒じゃなくても、
心が静かに満たされる時間を持つこと。
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「孤独=悪」ではない。孤独を愛する人が本当の自由を知る
「孤独」という言葉を聞くと、どこか寂しさやネガティブなイメージを思い浮かべる人が多いと思う。誰かと一緒にいることが“正解”で、ひとりでいることは“かわいそう”だ…
生き方が分からない40代への人間関係の処方箋
他人は簡単には変わらない。自分がどうしたら快適に過ごせるかを考える。


人が集まれば、必ず不平や不満は生まれる。
どれだけ理想的だと思って入った職場でも、時間が経つにつれて嫌なところは見えてくる。
不平不満の原因のほとんどは人間関係だ。
けれど、他人はどれだけ注意しようが、指導しようが、根本的な性格は変わらない。
他人を変えて職場を快適にしようとする努力は、結局ムダに終わる。
人間関係に悩むと、「もう転職した方がいいのかもしれない」と考える人も多い。
でも、その考え方がそもそも間違っていると思う。
結局、どこに行っても一緒なんやなあ。100%満足できる環境はないんです。だから大事なのは、「今いる場所で、どうしたら己が快適に過ごせるのか」を中心に考えることやと思います。心に折り合いをつけて うまいことやる習慣



せっかくいい職場だと思ったのに、ストレスが溜まる・・・
どこで働いても、100%満足できる職場なんて存在しない。
みんな、どこかで妥協しながら働いている。
だから大切なのは、「今いる場所でどうやったら自分が快適に過ごせるか」を考えることだ。
私は嫌なことがあっても、他人に文句は言わない。
言ったところで何も変わらないし、むしろ関係が悪くなるだけだからだ。
「この人はこういう人なんだ」と割り切って接するようにしている。
合わない人やイやな人には意識をできるだけ向けないで、楽しい人、ウマの合う人に意識と時間をできるだけ向けていると、どんな場所でもそれなりに長く居続けられるようになるものです。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
気が合う人とは距離を近く、気が合わない人とは距離を遠く。
それくらいの距離感で付き合うのが一番いい。
どんなに気が合う人でも、近づきすぎれば同じだけストレスも増える。
“心の友”なんて期待せずに、適度な距離を保つほうがずっとうまくいく。
他人の何気ない一言で傷ついたり、嫌な思いをすることもある。
でも、その感情を引きずると、不満がどんどん大きくなる。
感謝の気持ちを忘れた瞬間に、どんな相手とも関係は崩れてしまう。
家族、友人、同僚――一緒に過ごせる穏やかな時間は、当たり前じゃない。
出会いがあれば、必ず別れもある。
今の関係を大切にできない人は、どこに行っても不平不満ばかりになる。
他人に不満を感じたときは、その人が自分にしてくれたことを一つずつ思い出してみるといい。
きっと心がやわらぎ、少しだけ優しい気持ちになれる。



落ち込んでいるときに、ずっと傍にいて心配してくれたことあったなぁ
情は、執着の証。


人間関係で悩む人は多い。
でも、忘れてはいけないのは――結局、自分は一人だということだ。
どんなに気の合う仲間がいても、最後に自分を支えるのは自分しかいない。
それを冷たく感じる人もいるかもしれないけど、私はむしろ、それが自然なことだと思っている。
漫画やドラマの世界では、友情が奇跡のように描かれる。
仲間が助けに来てくれて、絆の力で全てがうまくいく。
ああいうのは人の“理想”であって、現実とは違う。
現実の世界では、どんなに仲のいい人でも、いつも自分を助けてくれるわけじゃない。
みんな自分の生活があって、自分のことで精一杯だ。
だからこそ、人に過剰な期待をしないほうがいい。
期待が大きいほど、裏切られたときの傷も深くなる。
他人に支えられて生きるよりも、自分で自分を支えられるようになるほうがずっと強い。
孤独を恐れるのではなく、
「自分は一人でも生きていける」という覚悟を持つこと。
それができたとき、ようやく本当の意味で人と優しく関われるようになる。
そもそも、人間関係は「水物」
ほんのちょっとしたことでひっついたり離れたりするもんです。人間は己の利のあるほうへすぐ流れるし、時間や距離が離れて会わなくなると、縁もどんどん薄くなる。それが人間関係というものです。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
どんなに強い絆で結ばれていたとしても、一緒にいる時間が減れば、その絆は少しずつ弱くなっていく。
これは避けられないことだと思う。
血を分けた親子でも、兄弟でも同じだ。
いつも自分のことを気にかけてくれる人なんていない。
それは冷たいとか、情がないという話ではなく、人間として当たり前のことだ。
人にはそれぞれの生活があって、それぞれの悩みや責任がある。
だから、誰かをずっと気にかけ続ける余裕なんて、誰にもない。
そう考えると、人との絆は“永遠に続くもの”ではなく、“そのときどきに大切にするもの”なんだと思う。
今、つながっている人を大切にして、去っていった人には感謝を残しておく。
それくらいの距離感が、ちょうどいいのかもしれない。
情っていうのは、一見いいもののように見えますけど、それは見方を変えると他人さんへの執着であって、こちらの身勝手さの証でもあるんですわ。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
互いが互いを縛りあって、依存しあう関係は健全じゃない。
そんな関係は、最初こそ安心感があるように見えても、いずれお互いを疲れさせてしまう。
人は人であり、親子であっても、友達であっても、それぞれが別々の人生を生きている。
その当たり前のことを、つい忘れてしまう。
結局、自分は一人だということが分かれば、他人に必要以上に執着することがなくなる。
そうなると、不思議と心も体も軽くなる。
なぜなら、「他人に合わせる」という余計なことに縛られず、自分の“素”のままで生きることが怖くなくなるからだ。
いつも人の顔色を窺っていたら、自分らしく生きるなんて絶対にできない。
他人に嫌われるのは確かに怖い。
職場での人間関係が悪くなれば、仕事を辞めたくなることもある。
でも、それでもいいと思う。
最終的に自分を支えるのは、やっぱり自分だ。
一人で生きていく覚悟を持てたとき、ようやく他人の評価に振り回されなくなる。
その覚悟こそが、自分を見失わずに生きるための、いちばん確かな土台になる。
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人間関係まで手放さなくていい。ミニマリストがつなぐやさしいつながり
ミニマリストを意識しはじめた頃、私は「持ち物だけじゃなく、人間関係もスッキリさせた方がいいのかな」と思っていました。実際に、無理して出ていた集まりをやめたり…
人に必要以上に期待しない


人が助けてくれるのが当たり前だと思っていると、生きていくのがどんどんしんどくなる。
なぜなら、人は「〜してほしい」「〜してくれ」と求められることに、無意識のうちに抵抗を感じるものだからだ。
誰だって、自分のペースで動きたいし、自分の気持ちで誰かを助けたい。
それなのに、相手から当然のように何かを求められると、心のどこかで負担を感じてしまう。
特に「やってもらって当たり前」と思い始めると、人間関係は一気にぎくしゃくする。
感謝の気持ちを失った瞬間から、相手の優しさは離れていく。
助けてもらえることは奇跡ではないけれど、当たり前でもない。
誰かが手を差し伸べてくれるのは、その人の“好意”であって“義務”じゃない。
そのことを忘れないだけで、人との関係はずっと穏やかになる。
職場でも家庭でも、「人がくれるものだけ、ありがたくもらっておく」って姿勢を基本にしていると、人間関係で大きなトラブルが起きた記憶はありません。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
他人には、過度に期待しないほうがいい。
私は、よほど困らない限りは何でも一人でやるようにしている。
そのほうが、自分の力を試せるし、少しずつ成長できるからだ。
自分の仕事を他人に頼れば頼るほど、成長のチャンスを奪われてしまう。
もちろん、人に助けてもらわなければできないこともある。
でも、それは“自分で考えてやってみたあと”でいい。
最初から誰かに頼る癖をつけると、自分で立つ力が育たない。
自分でできるようになっていかないと、いつの間にか「助けてもらうのが当たり前」になってしまう。
そして、誰も助けてくれなかったときに不平不満ばかり言うようになる。
本当に強い人は、人を頼らない人じゃない。
頼る前に、自分の力でどこまでできるかを試せる人だと思う。
そうやって自分の足で立てるようになると、他人に対しても自然に感謝の気持ちを持てるようになる。
じゃあ、人さまに不満を持たないためにはどうするか。これは、繰り返しになるけれど多くを望まないことです。 「この人なら」とか、「この職場なら」とか、そんなもんは自分の甘えや幻やと思って、最初から期待しないことです。心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
他人に最初から期待しなければ、少しくらい素っ気ない態度を取られても気にならなくなる。
結局のところ、不満が生まれるのは「自分が期待したことが返ってこない」からだ。
だから、最初から期待しすぎなければ、相手を嫌いになったり、イライラしたりすることも少なくなる。
期待しないことは、冷たくなることじゃない。
むしろ、相手との距離をほどよく保ち、お互いを尊重するための知恵だと思う。
そのほうが、無理のない人間関係が築けるし、職場の雰囲気も穏やかになって、仕事の効率も自然と上がる。
自分のことを尊重してもらいたいなら、まずは相手を尊重すること。
その姿勢さえあれば、無理に仲良くしようとしなくても、人間関係は不思議と穏やかにまわっていく。
小さな親切を繰り返す


そんな小さな親切がええ職場環境、人間関係をつくるもんです。もしかしたら、それがこの歳まで職場で重宝がられてきたいちばんの理由かもしれません。心に折り合いをつけて うまいことやる習慣
自分が気持ちよく働くためにも、まわりの人に気持ちよく働いてもらうためにも、
大切なのは「頼まれやすい人になること」だと思う。
何でも引き受ければいいわけじゃない。
自分の手に負える範囲で「いいですよ〜」と気持ちよく引き受けて、できないことは「ごめんね」と丁寧に断る。
その小さなやりとりが、職場の空気を柔らかくしてくれる。
「それは私の仕事じゃない!」と思うこともある。
でも、時間に余裕があるなら、軽い気持ちでやってあげればいい。
そういう小さな親切は、めぐりめぐって自分に返ってくる。
私はパソコンに強いので、よく質問されることが多い。
面倒だと思うこともあるけれど、できるだけ「いいですよ〜」と引き受けている。
不思議なもので、そうしているうちに職場の人たちの態度がやわらかくなり、自分自身も気持ちよく働けるようになった。
どんな人でも、持ちつ持たれつの関係の中で生きている。
よほどの人でない限り、恩を感じる相手に嫌なことは言わない。
だからこそ、「頼まれやすい人」になっておくことは大切だ。
それだけで人間関係のトラブルはぐっと減るし、職場の雰囲気もずいぶん穏やかになる。
他人には他人の人生、自分には自分の人生があることを徹底的に線引きしていく


他人に必要以上に構う人がいるけれど、どれだけ構ったところで、最終的には依存心を生むだけで、ろくな結果にならない。
人には人の人生があり、私には私の人生がある。
それを忘れて他人の人生に踏み込みすぎると、いつの間にか自分の時間も心も奪われていく。
自分の人生に責任を持つこと。
それが、自分らしく生きるための基本だと思う。
自分に責任を持てない人ほど、他人に依存しやすい。
そして、他人の言動ひとつで気分が上がったり下がったりしてしまう。
他人を変えようとするより、自分の軸を整える。
自分の人生をどう生きるかに集中すれば、他人の言葉や態度に振り回されることは少なくなる。
結局のところ、他人を思いやることと、依存することはまったく別物だ。
本当に優しくなりたいなら、まずは自分の人生をしっかり生きることだと思う。
人間関係の秘訣は、「距離感」に尽きる。踏み越えてはいけない一線は、決して超えずに保ち続けること。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
人との関係は、一線を越えた瞬間からバランスが崩れやすくなる。
近づきすぎると、相手のいいところだけじゃなく、悪いところにも触れる機会が増えてしまう。
人に何かを求めすぎると、思い通りにいかなかったときに怒りや失望が生まれる。
それは相手の問題ではなく、自分の「期待の重さ」の問題だ。
だからこそ、常に適度な距離を保つことが大切だと思う。
距離を保てば、相手に過剰な期待もしないし、逆に人を警戒しすぎることもなくなる。
お互いがちょうどいい距離感でいられると、気持ちのいい関係が自然と築かれていく。
他人というのは、基本的にわがままな生き物だ。
かまってほしいと思うときもあれば、誰にも干渉されたくないときもある。
そんな相手の気分にいちいち振り回されていたら、疲れるだけだ。
だから私は、誰に対しても一歩引いた場所から見るようにしている。
深入りしないほうが、長く穏やかな関係を続けられる。
人との距離は「近さ」ではなく、「心地よさ」で決める。
そのほうが、自分も相手もずっと楽でいられる。
仲良くする人は、好き嫌いで選ぶ


仲良くする人は、好き嫌いで選べばいい。損得勘定で付き合うと、いいようにされるか、孤独に悩むか、どっちかになる。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
人は欲を持ちすぎると、どうしても損得勘定で人を選ぶようになってしまう。
人を「自分にとって必要か、不必要か」で選ぶのは、とても寂しいことだと思う。
「この人は自分にとって得になるかどうか」で人づきあいをしていると、気づけば自分の周りには誰もいなくなって、孤立してしまう。
歳を取ってから新しい人間関係を築くのは簡単じゃない。
だからこそ、今ある縁をどう生かすかが大事になる。
人生で何を大切にするかは人それぞれだけど、私は「自分にとって心地よい人」と濃く付き合うようにしている。
「この人、なんかいいな」と感じる直感は、だいたい当たる。
私は老健という職場で働いていて、お年寄りと話す機会が多い。
お年寄りたちは、もう地位も名誉も財産も手放している人が多い。
それでも、損得勘定なしに話せるその人たちは、私にとっては愛おしい家族のような存在だ。
そんな出会いは、私にとってかけがえのない宝物になっている。
もちろん、仲の良い人だけと付き合っているわけじゃない。
人は社会の中で生きている以上、どうしても苦手な人とも関わらなければならない。
嫌いな人を完全に避けていたら、自分の世界がどんどん狭くなる。
だから私は、嫌いな人とも距離を取りながら付き合うようにしている。
無理に仲良くする必要はないけれど、「この人はこういう人なんだ」と割り切って関わる。
そのほうが、心が乱されずにすむし、人間関係もずっと穏やかになる。
生き方が分からない40代に『読書』が必須な理由


40代になっても生き方が分からない人は、当たり前だけど、生き方を“決めていない”からだと思う。
どう生きたいのかを自分で決めず、その場その場で他人の意見に流されているうちは、
どんなに考えても答えは見つからない。
人は何もしなければ、楽なほうへ流されてしまう生き物だ。
だけど、楽な生き方っていうのは、ぬるま湯に浸かっているのと同じだと思う。
心地よいようで、実は何も変わらない。
だから「ナニクソ!」という気持ちが湧かない。
成長の原動力になるのは、悔しさとか、負けたくないという小さな反発心だ。
それがないまま生きていると、気づけば流されるままに歳を取ってしまう。
良い環境は生命力を弱くします。だから、その場合は自ら苦しみを課さなければなりません。それが真の勉強であり、鍛練ということではないでしょうか。私は最も恵まれた環境に生まれた人間ですが、葉隠という鍛練の書を神と仰いだことによりエネルギーを凝縮できたのだと思います。今の若い人に無気力な人が多いのは、社会環境がぬるま湯だからです。そのため絶対服従を強いられたり、人から笑われたり馬鹿にされたりする機会が少なくなっているせいじゃないかと思います。あるいは、その都度、腹を立て反抗してエネルギーを拡散しているか。超葉隠論
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仕事ができなくて悔しい。他人に馬鹿にされて悔しい。
そういう気持ちを誰かに話してスッキリしてしまう人がいるけれど、それでは次の成長にはつながらない。
悔しさは、外に出して消すものじゃなく、自分の中で燃やして糧にするものだと思う。
「次こそは見返してやる!」そうやって自分を奮い立たせる気持ちが、成長の原動力になる。
生き方が分からない人は、人生の指針がまだ定まっていないから、悔しさを発散する方向に力を使ってしまう。
けれど、発散しているうちは何も変わらない。エネルギーは外ではなく、自分の中に向けるべきだ。
では、他人の意見に左右されずに、確かな信念を持つにはどうしたらいいのか。
その答えは、やっぱり読書にあると思う。
読書は、他人の考えを読み、自分の中に取り込む行為だ。
だからこそ、ただ読んで終わりではなく、自分の中に「問い」を持つことが大切になる。
問いを持って読むと、他人の意見を鵜呑みにせず、自分の考えが少しずつ形になっていく。
そうして考えを巡らせていくうちに、「自分はこう生きたい」という答えが見えてくる。
それが、生き方を見つけるということなんだと思う。
現代人が共通している読書の目的というのが、何か自分の疑問点に対する答えが欲しいということが挙げられます。これは私の経験から、今まで会った人が全員そうでしたから。しかしこれが間違いなのです。そうおもって読んでいる限り、いかに優れた本も全部ハウツー本の価値しかなくなってしまう。本当に優れた人が書いたものを本当に自分が付き合うということは、優れた人が悩んだ悩みを自分も受け取るということなのです。それは、問いを与えてもらうということです。日本の美学
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私もかつて、YouTuberや著名人の言葉を参考にしながら生きようとしたことがある。
けれど、それは“ハウツー的な生き方”でしかなく、結局うまくいかなかった。
他人の言葉に振り回されるだけで、自分の軸はどんどんぼやけていった。
「急がば回れ」という諺があるけれど、まさにその通りだと思う。
簡単に手に入る解決策ほど、自分の身にはならない。
時間がかかっても、自分で考え抜いて得た信念だけが、一生モノの生き方になる。
読書という行為は、決して楽じゃない。
今は本も安くなったとはいえ、お金も時間もかかる。
それに、読むだけでも頭を使うから疲れる。
だから、つい手軽に観られるYouTubeに流れてしまうのも無理はない。
でも、YouTubeをどれだけ観ても、自分の生き方は見つからない。
誰かの言葉に共感しても、それは“誰かの生き方”であって“自分のもの”ではないからだ。
本を読むというのは、他人の思考をたどりながら、同時に自分の考えとぶつけ合う行為だと思う。
そこにこそ、自分らしい生き方のヒントが隠れている。
もし本当に「自分の生き方を見つけたい」と思うなら、40代からでも遅くない。
一冊の本から、人生が変わることだってある。
読書は、自分と静かに向き合うための最高の時間だ。
40代で生き方が分からない人は、心に折り合いをつける
40代になると、仕事ができなければ“老害”と言われかねない年齢になる。
高い専門性を持たない40代は、会社の中で居場所を失ってしまうこともある。
つまり、いい加減に仕事をしていたら干されるだけで、ある程度は頑張らなければならないということだ。
とはいえ、20代のようにバリバリ働けるわけでもない。
体力も記憶力も落ちてきて、新しいことを覚えるのにも苦労する。
そんな中で生き残るには、“一つのことに絞って専門性を上げる”のが一番の戦略だと思う。
あれもこれも学ぼうとすれば、時間も能力も足りない。
でも、一つの分野に集中すれば、そこそこの価値を身につけることができる。
そうすれば、同僚や上司から「この人が必要だ」と思われる存在になれる。
そして40代になると、仕事の能力だけでなく、
“人とどう折り合いをつけるか”という部分も求められるようになる。
人間関係をこじらせる40代は、たいてい他人に干渉しすぎるか、自分の考えを押し通そうとしすぎている。
今の時代は、ネットを見ればいろんな価値観を持つ人がいることがよく分かる。
YouTubeを開くだけでも、本当に多様な生き方がある。
だからこそ、自分の考えに固執せず、新しい考えを柔軟に取り入れて、環境に合わせて生きていくことが大切だと思う。
私は何かを求めてがむしゃらに働くよりも、穏やかで安定した暮らしのほうがずっと大事だと思っている。
とはいえ、40代であっても“枯れる”ことなく、心はいつまでもはつらつとしていたい。
静かに、でも確かに、自分らしい生き方を貫いていきたい。
「これが自分の人生や」と、一つ覚悟を決めてください。結局人は、「自分らしく」しか生きられないんですわ。人に振り回されっぱなしの人生に疲れたときは、そんなことをぜひ思い出してみてください。心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
最後になるけど、他人の真似をしたところでうまくいくはずがない。
結局、人は「自分らしく」しか生きられない生き物だと思う。
この世には無数の生き方があって、どれが正解かなんて誰にもわからない。だから、この記事に書いてあることも鵜呑みにする必要はない。自分に合うと思えることだけを受け入れて、あとは軽く流せばいい。
大事なのは、“誰かの生き方”を生きることじゃなく、“自分の生き方”を見つけることだ。
私にとって、「自分らしく」生きていくことこそが、生き方が分からない40代にとっての、いちばん自然で、いちばん誠実な生き方だと思っている。
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