生き方が分からない40代が上手く生きていく生き方

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生き方が分からない40代が上手く生きていく生き方
悩みねこ

40代ですが、これから先どうやって生きていったらいいのか
生き方が分からなくなっています・・・。

40代にもなると人生の折り返し地点と言われる年代であり、仕事に慣れ、頑張る時期も終わり、あとは終活へと足を踏み出す時期でもあります。

何のために生きているのか、目的もなく、ただ漠然と生きている40代がほとんどでしょう。

以前に、『20代で生きがいがないのは当たり前?人生のムダを楽しもう!』という記事を書きましたが、20代だけでなく、すべての年代で生きがいというものを求めてしまうようです。
私が20代だった頃は特に何も生きがいもなく生きていましたが、20代後半になってやっと『医者になる』という生きがいを見つけました。

しかし、やっと見つかった『医者になる』という夢は叶わず、理学療法士というまったく頭の片隅にもなかった医療職につくことになりました。

結局、努力していれば夢が叶うのは漫画の中の話なだけで、ほとんどの人達は分相応になんとなく生きていくしかありません。
歳を重ねることで人生の経験を積み、40代ともなればそれなりに自分の生き方が見つかると思っていましたがそうゆうわけでもないようで、なんとなくどうしていいのか分からないまま生きているだけです。

40代で自分の生き方が分からないのならば、残りの人生どうやって生きていったらいいのでしょうか。

結論を先に述べさせてもらうと、読書を通じて他者の考えに触れ、自分の生き方について考え抜くしか方法がなありません。

人生がやり直せない以上、自分一人の経験ではたかがしれていますが、読書をすれば古今東西のあらゆる人たちの人生を学ぶことができます。

少なくとも私は読書のおかげで40代になって初めて自分の生き方を見つけることができました。

今は人生に迷うことなく、自分の生き方を貫き通しています。
といっても何を読んだら分からないと思いますので読書案内として、人生の先輩であり人生とはどうゆうものか分かっている88歳で現役の精神科医だった著者の本の紹介です。

中村恒子先生は精神科医であったことから人の悩みについて熟知されており、悩んでいる人達に適切にアドバイスしてくれます。

若手の精神科医とは違い、88歳と人生の終盤を迎えているからこそ、言葉一つ一つに深みがあり、心に刺さる部分が多いです。

この記事では中村 恒子先生の著書である『心に折り合いをつけてうまいことやる習慣』『不安と折り合いをつけて うまいこと老いる生き方』を参考にしながら、生き方が分からない40代ついて考えていきたいと思います。
目次

生き方が分からない40代が上手く生きていく方法

お金のために働く

お金のために働くビジネスマン4人組
会社は他人が作ったお金儲けのための、ただの箱。そこはあくまでも 他人の箱庭 なんやから、自分の思うような役割に就けなくても、気にせんでええのになあ。他人が輝こうが、出世しようが自分の食い扶持が稼げればええやないの。仕事をする一番の目的は、自分や家族を食べさせるためでしょ。
不安と折り合いをつけて うまいこと老いる生き方
会社というものは、他人が作ったもので雇われである以上、どれだけ頑張ろうが儲かるのは会社だけで自分ではありません。

他人のビジネスモデルに乗っかって営業努力や経理などの仕事をせずに会社が肩代わりしているのですから、自分の意志が通らなくてもある意味仕方ありません。

したがって、「そんな他人の会社でどうして働くのか?」と聞かれれば、「働くのは自分が食べていくお金を稼ぐため」と答えます。

若い頃は生きがいを見つけや自己実現を目指し、自分が好きなことで社会貢献できたらと思っていました。

しかし、人生はそう甘くありません。

自分が好きなことでマネタイズする方法はほとんどYoutubeで稼ぐことになるでしょうが、Youtubeの収益で暮らしていけるのはほんの一握りです。

Youtubeでマネタイズできたとしても、わざわざ動画を撮り、編集をしてという作業をしていると、私ならばあまりにめんどくさくて、好きなこと自体嫌いになってしまいそうです。

実際の有名Youtuberでも食っていけない時代になりつつあります。

Youtuberとして有名なラファエルさんも現在の収入は10分の1程度で、シバターさんも再生数は5年前の4分の1とおっしゃっています

そう考えれば、働くことは生きていくためと割り切り、心の余裕が持てる、休日が多く、残業がない職場で一生懸命働き、息抜きに趣味活動をする人生が一番有意義ではないでしょうか。

といっても、人生の半分を占める仕事にある程度が充実感が得られないと、急に人生がつまらなく感じてしまうので仕事は適当にやる必要があります。

適当といってもいい加減という意味ではなく、自分が壊れない程度の頑張りで一生懸命に仕事をするという意味です。心をすり減らしてまで仕事をする必要はまったくありません。

「生きがい」とか「己の成長」なんていうのは、自分をちゃんと食べさせられるようになったあとに、余裕があったらボチボチゆっくり考えていけばええと思います。

心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
定職につき、収入があれば心の安定に繋がります。私は無職期間が長かったので、職があるということがどれだけ有難いかよくわかっています。

たとえ、自分の希望通りの職についたとしても、大きな期待や思い入れを持ちすぎていると、失望したりイラつく原因になってしまいます。

必ずしも自分理想と考えている職が、自分の思い通りの結果になるとは限りません。

天職を探すのではなく、自分が今の仕事に一生懸命にやる間に今の職業が天職になるのだと私は思っています。

少なくとも私は理学療法士の仕事に誇りを持っていますし、最初は嫌でしょうがなかった職業でしたが今では天職と感じています。
仕事も同じですわ。旅行や遊びも、たまに行くのは楽しいけど、何回もしてるとだんだん飽きてきます。刺激というのは、すぐに慣れてしまうもんなんです。そもそも、仕事の好き嫌いなんて実はちょっとしたもんで、仕事の内容よりも人間関係のほうがよっぽど大事だったりします。私の経験上、仕事が嫌いになる原因のほとんどは、人間関係です。 どこへ行っても仕事が嫌いになってしまうのは、人との付き合い方のほうに問題があるかもしれません。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
たとえ好きなことを仕事にしていても、旅行や遊びと同じで毎日同じことをしているとだんだん飽きてきます。

私の考えとして飽きないように仕事をするには、仕事に変化をつけ真摯に取り組むしかありません。

仕事に変化をつけるために勉強をかかすことはありませんし、どうやったら患者様が良くなるのか常に全力で考えながら仕事をしています。

また、仕事が嫌になる原因のほとんどが仕事の内容というよりは人間嫌いにあると私も思っています。

私自身会社を辞めようと思ったことは何度もありますが、ほぼ人間関係が原因です。

転職の原因も人間関係が上位に上がってくるのでそれぐらい誰もが人間関係に悩んでいます。

皆さんも同じように人間関係で悩まれていると思いますが、人間関係の処方箋についてこのあと後述するのでここでは割愛させていただきます。

大分話がそれましたが、働く理由は生きがいや自己実現というよりは『お金のため』『食っていくため』でいいのではないでしょうか。

私はここにプラスして、仕事を通して命を使い切るために働いています。

人生は一度きりです。これは間違いのない不変の真理です。

私は10年20年後に、一生懸命に生き切ったぞといえるような後悔のない人生を歩みたいのです。

大きい目標は持たないようにする

女性の健康イメージ 海の背景
昔から「大志を抱け」とよく言われるけど、あまり立派な志や高すぎる目標ばかり持ちすぎると、未来のことや成果にばかり気がとらわれてしまいます。すると、目の前のことに打ち込めなかったり、迷いが生じてしまうんやないでしょうか。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
大きな目標を持った方がいいと一般的には言われていますが、私は逆です。

大学中退後フリーター生活が長かった私は一発逆転のつもりで、自分の能力に不相応な『医学部合格』という大きすぎる目標を目指してしまい、結果的に失敗に終わりました。
医学部再受験がきっかけで理学療法士になれたので確かに得るものもありましたが、膨大な時間とお金を失ったため、もう少し上手くやれたのではないかと今では後悔しています。

もし仮に医学部再受験の失敗だけで終わっていれば、私の中に残るものは何もなく、フリーターで今でも働く惨めな人生だったと思わずにはいられません。

ネット世界ではSNSやニュースをはじめ簡単に他人の情報が手に入ってしまうので他人と比較してしまい惨めな気持ちにさせられることがあります。

誰もが成功できれば苦労はしませんが、大体は自分に能力に不相応な目標を立ててしまい、私と同じように挫折して終わってしまいます。

挫折するだけで終わればいいですが、できなかった自分を責めるようになり、「どうして自分はできないんだ」「自分が情けない」と自己嫌悪に陥ってしまいます。

成功したいという気持ちの根本には「他者から認められたい」「褒められたい」という深層心理が隠れています。

しかし、成功や成果を求める生き方は、たとえ成功や成果を手に入れたとしても自分自身を傲慢にしてしまうことがあります。

私は何人も実力はあるけれど、他人を見下し、いつも傲慢で横柄な態度を取ってくる人を見たことがあります。

他者から認められ、他人よりも秀でた存在になるというのは、確かに素晴らしいことですが、人間性を失い、逆に他人に認められるようになったせいで他人の評価が下がるという結果になり、本末転倒になってしまいます。

成功や成果を求めるのではなく、今日一日が人生の終わりだと思って、何度も同じことを言いますが、一生懸命に全力で生きることが大切ではないでしょうか。

所詮、仕事で手に入れた成功や肩書、経歴は70歳80歳になれば関係なくなります。

そんなものにすがるぐらいなら、世間話ができる友達がいた方がよっぽど人生が有意義になるでしょう。

「幸せでなければいけない」と思わない方が幸せである

カフェでスマホを使いながら外の風景を見る若い女性
バカンスねこ

これから海外で豪遊するぜぇ~!

貧乏猫

うらやましい・・・

生き方が分からない40代は他人の人生に憧れて自分を見失っているのではないでしょうか。

他人の言葉に耳を傾けることはもちろん大切ですが、他人の考えを真似て生きても生きずらいだけで余計に自分らしさがなくなり、どうやって生きていったらいいのか分からなくなります。
何をするにしても、自分が好きでやっているならええんやけど、「他人がこうやから、自分もそうならねばならない」っていう基準になってしまうと、必ずしんどくなってきます。「こうあらねばならない」っちゅうのは、荷物みたいなもんです。自分が自分に好きで課すなら一向に問題ないんやけど、他人のあれこれを基準にすると、重くて重くて仕方ない。ストレスでしかありません。
心に折り合いをつけて うまいことやる習慣
たいていの場合、幸せかどうかは「他人と比べて自分は幸せかどうか」で判断する人が多いのではないでしょうか?

インスタなどの写真を見ていると、どの写真もみんな幸せそうに見えるので、「他人が幸せそうな写真と撮っているから、自分も同じようにインスタ映えする写真を撮らなければならない」と思い、半ば強制的にインスタ映えの写真を撮りにいってことはないでしょうか?

「~したい」ならいいですが「~しなければいけない」になると、他人に命令されているようで生きるのが窮屈になります。

また、他人と比べて、自分の人生が充実していないと人はどうしても頑張りすぎてしまうことがあります。

私の兄は優秀で年収も私の3倍はありますが、いつも目標を決めて達成する兄をみて、自分もそうなりたいと思い、頑張ったことがありますが、結局自分の生き方に合っていないので辛いだけで挫折してばかりです。
しょんぼりねこ

どうして自分はダメなんだろう・・・

私の医学部再受験のように諦めないで頑張りすぎた果てにあるものは夢が叶うということではなく、自分の能力の限界を知るということだけです。

映画やアニメの主人公は頑張ることで最後に勝利をつかみ取りますが、現実世界では映画やアニメのように最後は笑ってハッピーエンドというわけにはいきません。

むしろ映画やアニメの見過ぎで「夢は努力すれば必ず叶うもの」と信じてしまい、中々「諦める」という選択肢ができません。

スラムダンクの
安西ねこ先生

あきらめたら試合終了だよ

はとても有名な格言になりましたが、私にとってこの言葉は呪いの言葉でした。


諦めることが出来ない人は、『諦める=自分は弱い』と勝手に脳内変換してしまっています。

「あきらめる」というのは、もともとは「物事を明らかにする」というのが語源だそうです。

つまりは、あきらめるというのは、自分の生き方をはっきりさせることなのです。

私は頑張って医学部再受験に挑戦しましたが、夢が叶わず、結局は諦めることで理学療法士という生き方を見つけることが出来ました。

自分がなりたかったものでも、好きなことでもありませんが、自分の性格には合っていると思っています。

したがって、生き方が分からない40代の方は、諦められずに苦しんでいることがあったら、諦めることで自分の生き方をはっきりさせてください。

うまくいかないことが続くときは、立ち止まらまず適当に頑張る。

ソファーに座りながら仕事を適当に頑張る若い女性
「うまくいかないからがんばろう」やなくて、「うまくいかないけど、まあぼちぼちやりましょう」くらいの気概でええと思いますな。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
生きてきれば、うまくいかないことなんていくらでも出てきます。

そんなときに無理して頑張ってしまうかもしれませんが、必要なのは「うまくいかないから頑張ろう」ではなく、「うまくいかないけれど、ぼちぼちやるか〜」くらいの気概です。

ここで無理をすると、続けることすら難しくなり立ち止まってしまうため、結果的に8割ぐらいの力でやるよりも圧倒的に結果が悪くなります。

私は医学部再受験を志しましたが、結果的に無理をしすぎて全く勉強ができなくなってしまいました。

教科書を開くのも嫌になりましたが、焦りだけがあって机には座っていましたが、何もできない日が何日も続きました。

理学療法士の国家試験の勉強の時は、無理をしても続かないと分かっていたので、これ以上勉強することが無理だと思った時は、さっさとやめて遊んでいました。

結果的に国家試験が終わるまで8割の力で試験勉強を毎日続けることができました。

限界を超えて頑張った人が結果を出せるわけではなく、長く続けて全力を出せた人が結果を出せるのです。
そこを間違えてはいけません。

仕事でも同じことが言えます。完璧を目指して挫折するよりも、不細工な形でも続けていくことのほうが大事なのではないでしょうか。

私は仕事をかなり適当にしています。

といっても、本当に適当にやっているわけではなく、「適当でいいや~」「まいいか~」という気持ちで働いているだけです。

夏目漱石の言葉に『むやみにあせってはいけません。ただ牛のように図々しく進んでいくのが大事です。』というものがありますが、まさに牛のようにゆっくりと進んでいくのが肝要です。

焦らなくてもいいんだと思うだけで仕事がかなり楽になります。

限界を超えてやれば、良い結果がでるわけではありません。良い結果が出るときは、心に余裕があるときです。

悲しいことやショックなことから立ち直るには、「日にち薬」が必要

スーツを着て頭を抱える女性
悲しいことやショックなことをがあると、心が落ち込んで何も手につかなくなる時があります。

大抵、他人からアドバイスをもらったりすることがありますが、一時期的に心が和らいでも時間が経てばまた苦しくなります。

結局、悲しいことやショックなことから立ち直るには、「日にち薬」が必要なのです。
ウジウジとあれこれ考えないようにするには、暇をつくらないことに限ります。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
過度に落ち込んでいるときは何もやる気が起きないので無理になにかをすることは、逆効果になる場合がありますが、考えない時間を作ることで幾分か救われることもあります。

私は落ち込むことがあると大抵寝るようにしています。寝ると副交感神経が働き脳の興奮が落ち着いてくるので、心も同じように落ち着いてくるからです。

心が落ち着いて少し元気が出てきたら、無理のない範囲で思いついたことを、ゆっくりやるようにしています。

部屋の整理や掃除、片付けをゆっくりすると頭の中の整理できてくるのでお勧めです。

後は、ぼーっとのんびり無理をせずに過ごしてください。
元気で生きていられる時間は限られているんやから、過去のために使ったらあきません。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
人は過去についてどうしても考え込んでしまう生き物ですが、過去のことを考えるよりも、これからどこに行って、何をして遊ぼうかと考えた方が、気分が楽になります。

心を平静に保つコツ

自宅のソファーでぐっすり眠る女性
心を平静に保っていくもう一つのコツは、「仕事のとき以外は、仕事のことは考えない」ことやと思います。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
仕事が終わってからも仕事のことばっかり考えてしまい、中々オンオフの切り替えができない人が多いのではないでしょうか?

ずっと仕事のことばかり考えていると脳が強い緊張状態になり、不眠症になりやすくなります。

夜の仕事は、よく寝ることだけです。特に最近では寝る直前までPCやスマホを触り続けて余計に頭がさえすぎてしまい眠れなくなってる人が多いように感じます。

また、休みの日も仕事のことばかりだと思う存分に休日を楽しめなくなり、心のリフレッシュができません。

しっかりと休むからこそ仕事に集中することができるのです。

休むことも含めて仕事だと割り切って、休日は大いに休んでください。
といっても、勉強が趣味で勉強していると楽しいという人は別に仕事の延長である勉強を否定する気持ちはありません。

私はどちらかと言えばそちらのタイプで休みの日も勉強が楽しいのでひたすら勉強をしています。

私が言いたいのは、あなたが一番リフレッシュできる方法でリフレッシュしてほしいということです。

私は一時期マスコミが推奨している遊びをしていることがありましたが、何をしても空しさしか覚えませんでした。

商品を売るためにマーケティングとして遊びを推奨しているのであり、マスコミに乗せられた娯楽をしても自分に合っているとは限りません。

自分に合っているリフレッシュ方法を模索することが大切です。

孤独は寂しいことではない

外で読書をする高齢者
孤独であることは、寂しいことではない。「孤独はよきもの」と受け入れると、ラクになることがいくつもある。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
認知症の原因の一つに社会的孤立があるせいか、やたら必死に孤独にならないように他人と「つながろう」「一緒にいよう」としてしまいます。

その結果、自分の本意ではに付き合いをすることで、ストレスを倍増させてしまっています。

無理に他人に繋がろうとして繋がれるものではありません。それは単なる依存でしかなく、他人に過度に妥協したり迎合したりするので余計に苦しくなります。

結局、「もともと人は一人で生きていくもの」ですし、いつかは受け入れなければいけないモノです。

過度に孤立することを恐れることが、苦しみを生む原因になるのです。
孤独に苦しんでいる方は一人でも夢中になれる趣味を必ず探すようにしましょう。

私の場合は読書と勉強ですが、これも人それぞれなので一概には言えません。

夢中になれるものを探せると、孤独を感じることが少なくなります。

生き方が分からない40代への人間関係の処方箋

他人は簡単には変わらない。自分がどうしたら快適に過ごせるかを考える。

ミスをして上司に怒られる会社員の男女
人が集まれば必ず不平不満が生まれます。

自分が最高だと思って入った職場でも、時間が経つにつれて嫌なところがみえてきます。

不平不満の原因は、ほとんどが人間関係ですが、他人はどれだけ注意しようが指導しようが根本的な性格は変わりません。

他人を変えて職場を快適にしようとしても、その努力は完全にムダに終わります。

また、人間関係に悩むと転職をして職場を変えようと考えるかもしれませんが、そもそも考え方が根本的に間違っています。
結局、どこに行っても一緒なんやなあ。100%満足できる環境はないんです。だから大事なのは、「今いる場所で、どうしたら己が快適に過ごせるのか」を中心に考えることやと思います。
心に折り合いをつけて うまいことやる習慣
しょんぼりねこ

せっかくいい職場だと思ったのに、ストレスが溜まる・・・

結局は、どこで働いても100%満足できる職場という理想郷は存在しません。

みんなどこかしら妥協しながら働いています。

そうなると、結局できることは「今いる場所で、どうしたら自分が快適に過ごせるのか」を考えることです。

私は嫌なことがあっても、人に文句言ったりしません。なぜなら、言っても無駄になるばかりか、関係性も悪くなるだけで何もいいことがないからです。

「この人はこうゆうもんなんだ」と半ば諦めて接しています。

合わない人やイやな人には意識をできるだけ向けないで、楽しい人、ウマの合う人に意識と時間をできるだけ向けていると、どんな場所でもそれなりに長く居続けられるようになるものです。

心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
気が合う人とは距離感を近くして、気が合わない人とは距離感を遠くして接していきましょう。

といっても、どんなに気が合う人でも近づけば近づくほど、同じだけストレスが溜まるので、心の友なんてことは期待せずに、ある程度距離感を保った方が上手く付き合えます。

他人に対して、ふとした一言で傷づいたり、嫌な思いをしたりすることがありますが、その感情を助長させると相手への不満がさらに大きくなります。

今までお世話になっていても、恩や感謝の気持ちを忘れてしまうと、結局気が合う合わない関係なくどんな相手でも不平不満が溜まってしまいます。

家族、友達、同僚と一緒にいて楽しい時間、穏やか時間、安心できる時間は当たり前にある時間ではありません。

どんな人であっても出会いと別れは必ず訪れます。

今の関係を大切にできないのならば、どこで人と出会ったとしても不平不満だらけになるでしょう。

他人に不平不満を感じた時は、その人が自分にしてくれたことを一つ一つ思い出してみてください。

心から不平不満がなくなり、優しい気持ちになれるはずです。
笑顔ねこ

落ち込んでいるときに、ずっと傍にいて心配してくれたことあったなぁ

情は、執着の証。

泣く友達を慰める若い女性二人
人間関係で悩む人は多いですが、忘れてはいけないことは、「自分は結局一人」ということです。

漫画などでは友情が強い絆で表現されていますが、あれは人の願望であって、仲のいい人が常に自分を助けてくれるのは思ってはいけません。

そもそも、人間関係は「水物」

ほんのちょっとしたことでひっついたり離れたりするもんです。人間は己の利のあるほうへすぐ流れるし、時間や距離が離れて会わなくなると、縁もどんどん薄くなる。それが人間関係というものです。

心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
常に一緒にいて絆が強い時期があったとしても、離れている時間が長ければ長いほど、絆は弱くなっていきます。

血を分けた親子でも、兄弟でも同じです。自分のことをいつも気にかけてくれることはありません。

情がないと思われるかもしれませんが、それは当然のことなのです。

情っていうのは、一見いいもののように見えますけど、それは見方を変えると他人さんへの執着であって、こちらの身勝手さの証でもあるんですわ。

心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
互いが互いを縛りあう、依存しあう関係は健全ではありませんし、お互いが疲れてしまいます。

人は人であり、親子であっても友達であっても別々の人生を生きていることを忘れてはいけません。

自分は結局は一人ということが分れば、他人に対して必要以上に執着しなくなります。

そうすることで、不思議と身軽に動きやすくなります。

なぜなら、『他人に合わせる』という余計なことに縛られることなく、自分の「素」ままで生きることが怖くなくなってくるからです。

常に人の顔色を窺っていては、自分らしく生きるなんてことはできるようになりません。

他人に嫌われるのは怖いことです。職場での人間関係の悪化は仕事を辞める原因にも繋がります。

しかし、最終的には一人で生きていく覚悟だけがあなたを見失わせることなく確固とした自分を作り上げてくれます。

人に必要以上に期待しない

部下に過度に期待する上司と部下
人が助けてくれるのが当たり前と思っていると生きているのがしんどくなります。

なぜなら、人は「~してほしい」「~してくれ」と言われることは嫌なもんなんです。

特に「やってあたりまえだろ」と思っていると余計に人間関係が悪くなります。

職場でも家庭でも、「人がくれるものだけ、ありがたくもらっておく」って姿勢を基本にしていると、人間関係で大きなトラブルが起きた記憶はありません。

心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
他人には過度に期待せずに、接した方がいいです。

私は余程困らない限りは何でも一人でやるようにしています。

自分の仕事を他人に頼れば頼るほど自分の成長を阻害されます。

もちろん、人に助けてもらわなければできないこともありますが、自分である程度は考えてやってみたあとにしましょう。

自分一人でできるようにしていかないと、他人に頼るのが当たり前となり、助けてもらえないと不平不満を言うようになります。
じゃあ、人さまに不満を持たないためにはどうするか。これは、繰り返しになるけれど多くを望まないことです。 「この人なら」とか、「この職場なら」とか、そんなもんは自分の甘えや幻やと思って、最初から期待しないことです。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
他人に初めから期待しなければ、素っ気ない態度を取られても特に気にならなくなります。

要するに自分が他人に期待することが返ってこないから不満に思うだけであって、初めから期待していなければ過度に他人を忌み嫌うこともなくなります。

期待しないことが、結果的に自分と相手の距離感を保つことになりますし、仕事の環境をよくし、効率を上げることにもつながります。

自分のことを尊重してもらいたかったら、相手のことを尊重しましょう。

小さな親切を繰り返す

新入社員を気遣ってくれる同僚たち
そんな小さな親切がええ職場環境、人間関係をつくるもんです。もしかしたら、それがこの歳まで職場で重宝がられてきたいちばんの理由かもしれません。
心に折り合いをつけて うまいことやる習慣
自分が気持ちよく働く、人に気持ちよく働いてもらうには、「頼まれやすい人になる」ということが大切です。

何でも引き受けるわけではなく、自分のできる範囲で「いいですよ~」ときもちよくやってあげる、できないことは「ごめんね。」と丁寧に断る。

こういった小さな親切が良い職場環境、人間関係を作ります。

「それは私の仕事じゃない!」と断りたくなる気持ちもないわけではありませんが、時間が許す限りは気軽にやってあげるのがよいのではないでしょうか。

こういった小さな親切は回りに回って自分に返ってきます。

私はパソコンに強いので、よく聞かれることが多いですが、時間が許す限りは「いいですよ~」と引き受けています。

職場でめんどくさいと言われている人でも、普段から小さな親切を繰り返すと自分への態度が良くなり、自分が気持ちよく働くことができます。

余程の人でない限り、恩がある人に嫌なこと言ったりはしません。

どんな人でも持ちつ持たれつの関係だということを忘れないで、頼まれやすい人になると、人間関係のトラブルはそれだけ減ってくると思います。

他人には他人の人生、自分には自分の人生があることを徹底的に線引きしていく

別々の人生を歩むイメージ
他人に必要以上構う人がいますが、他人にどれだけ構っても依存心が生まれるだけでろくな結果になりません。

他人には他人の人生があり、自分には自分の人生があるのです。

己の人生、己に責任を持つことが、自分らしく生きるためには必須です。己に責任を持たず、他人に依存してしまえば、他人の言動で一喜一憂してしまいます。

人間関係の秘訣は、「距離感」に尽きる。踏み越えてはいけない一線は、決して超えずに保ち続けること。

心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
一線を越えてしまうと、良いところだけでなくどうしても悪いところに接する機会が生まれてしまいます。人に何かを求めすぎてしまうと、自分の望むモノを与えられなかった時に、怒りや失望を抱くようになるでしょう。

常に距離感を保つからこそ、人に過剰な期待も思い入れもしなくてすみますし、人を過剰に警戒する必要もありません。

距離感を保つことで、お互いに気持ちのいい関係を気付くことができます。

他人は必要以上に自分にかまってほしいと思う生き物でもありますが、時にはかまってほしくないと思う我儘な生き物です。

そんな他人に振り回されていれば、ただ疲れるだけです。

仲良くする人は、好き嫌いで選ぶ

友達とお出かけするおばさん二人

仲良くする人は、好き嫌いで選べばいい。損得勘定で付き合うと、いいようにされるか、孤独に悩むか、どっちかになる。

心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
人はどうしても欲を持ちすぎると、損得勘定で人を選ぶようになるようです。

自分にとって必要か不必要かで人を選ぶのはかなり寂しいものです。

「この人は自分にとって役に立つ」で人選びをしていると、自分の周りに誰もいなくなり、孤立する羽目になります。

歳を取ってからの人間関係を築き上げるのは簡単ではないのは皆さんもご存じでしょう。

人生で何を重きに置くかは人それぞれでしょうが、私は今は「自分にとって心地よい人」と濃密に付き合うようにしています。

「この人なんかいいな」というのはなんとなく直観でわかるものです。

私は老健という職場で働いているのでお年寄りの方と話す機会が多いですが、お年寄り連中は地位も名誉も財産ももう何も持っていません。

しかし、損得勘定なしに付き合えるお年寄りたちは自分にとっては愛おしい家族みたいな存在です。

そんな人たちとの出会いが自分にとってかけがえのない宝物です。

といっても、仲の良い人は好き嫌いで選ぶのであって、嫌いな人とまったく付き合わないというわけではありません。

人は社会の中で生きている以上どうしても嫌いな人とでも付き合わなければいけないからです。

嫌いな人から逃げていては、自分の周りから人が全くいなくなってしまいます。

先ほど申し上げたように人との距離感を保って、嫌いな人でも付き合うようにしていきましょう。

生き方が分からない40代に『読書』が必須な理由

ベッドで読書をする40代の女性
40代になっても生き方が分からない人は、当たり前の話ですが、生き方を決めていないからです。

生き方が決まらないのは、他人の意見に左右されてその都度生き方を変えているからではないでしょうか。

人は何もしていなければ楽な方に流されがちですが、楽な生き方というのはぬるま湯に浸かっているのと同じなのでどうしても「ナニクソ!」という気持ちが湧きません。
良い環境は生命力を弱くします。だから、その場合は自ら苦しみを課さなければなりません。それが真の勉強であり、鍛練ということではないでしょうか。私は最も恵まれた環境に生まれた人間ですが、葉隠という鍛練の書を神と仰いだことによりエネルギーを凝縮できたのだと思います。今の若い人に無気力な人が多いのは、社会環境がぬるま湯だからです。そのため絶対服従を強いられたり、人から笑われたり馬鹿にされたりする機会が少なくなっているせいじゃないかと思います。あるいは、その都度、腹を立て反抗してエネルギーを拡散しているか。
超葉隠論
仕事が出来なくて悔しい、他人に馬鹿にされて悔しいなどの気持ちを他人に話してスッキリしていては、次の成長に繋がるはずがありません。

悔しい気持ちを抱いたまま「次こそは見返してやる!」と発憤に繋がることが大切ではないでしょうか。

生き方が分かってない人は、人生の指針ができていないので悔しい気持ちを発散させる方向に力を使ってしまいます。

では、他人の意見に左右されず確固たる自分の信念を持つためにはどうしたらいいのでしょうか?

それには大量の読書が必要です。読書は他人の考えを読む行為なので他人の意見に左右されてしまう恐れもありますが、、自分の中に『問い』を作ることで他人の意見を鵜呑みにすることはなくなります。

読書を通じて考えを巡らせることで、自分がこう生きたいと思う生き方が見つかるのです。
現代人が共通している読書の目的というのが、何か自分の疑問点に対する答えが欲しいということが挙げられます。これは私の経験から、今まで会った人が全員そうでしたから。しかしこれが間違いなのです。そうおもって読んでいる限り、いかに優れた本も全部ハウツー本の価値しかなくなってしまう。本当に優れた人が書いたものを本当に自分が付き合うということは、優れた人が悩んだ悩みを自分も受け取るということなのです。それは、問いを与えてもらうということです。
日本の美学
私自身もYoutuberなどの著名人の言葉を参考にしながら生きてみたりしましたが、ハウツー的な生き方なので、結局上手くいかず他人に振り回されるだけで終わってしまいました。

急がば回れという諺がありますがその通りで、簡単に手に入る解決策では結局自分の身にならず、自分が考えし尽くした信念だけが一生モノの生き方になります。

読書という行為は、本が安くなったとはいえお金がかかりますし、本を読むだけで疲れるのでどうしても簡単に観られるYoutubeなどの動画に走ってしまいがちですが、Youtubeをどれだけ観ても自分の生き方が見つかることはありません。

本当に自分の生き方を見つけたいと思うならば、40代からでもいいので読書を始めてみてください。

40代で生き方が分からない人は、心に折り合いをつける

コーヒーを持ちながら話す40代女性
40代になれば、仕事が出来なければ老害と言われかねない歳となり、高い専門性を持たない40代は会社の中で居場所を失いかねません。

つまりはいい加減に仕事をしていたのでは会社の中で干される結果となり、一定以上は頑張る必要があります。

といっても、40代となれば20代の頃のようにばりばり仕事ができるわけでもなければ、記憶力も低下し、仕事を覚えるのも苦労する一方です。

そこでお勧めなのが、1つのことに絞って専門性を上げていくという戦略です。

あれもこれも学ぼうと思えば明らかに時間も能力も足りませんが、たった1つのことならそこそこの価値を身に付けることができ、同僚から必要とされる存在に慣れる可能性があります。
また、40代ともなれば、周りと折り合いをつけて、問題なく人間関係を作れる人が重要視されます。

40代で他者と揉める人は過度に他人にかまいすぎているか、自分の考えだけを押し通そうとしているかどちらかです。

ネット社会になり、人それぞれが多様的な価値観を持っていることを知ることができるようになりました。

Youtubeを見ていると、本当に様々な人がいます。

多様性のある社会を認め、自分の考えに固執しないことが大切です。

新しい考えを取り入れ、環境に適応し、自分にとって生きやすいようにしましょう。

私は何かを求める生き方よりも穏やかに安定した暮らしのほうがよっぽど大切です。

といっても、40代であっても枯れずにはつらつと生きたいものです。
「これが自分の人生や」と、一つ覚悟を決めてください。結局人は、「自分らしく」しか生きられないんですわ。人に振り回されっぱなしの人生に疲れたときは、そんなことをぜひ思い出してみてください。
心に折り合いをつけて、うまいことやる習慣
最後になりますが、他人の真似をしたところで上手くいくはずがなく、結局人というのは「自分らしく」しか生きることしかできません。

この記事に書いてあることも鵜呑みにするのではなく、自分に合うものを受け入れていけば十分だと思っています。

「自分らしく」生きていくことが生き方が分からない40代のベストな生き方だと思っています。
のんねこ
ミニマリスト
現在は理学療法士という医療従事者として働いていますが、かなりの底辺な人生を歩んできました。

22歳で大学中退⇒フリーターを10年以上経験⇒医学部再受験失敗⇒33歳で理学療法士養成大学に進学⇒37歳で理学療法士として初就職しましたが、人間関係のトラブルで40歳で無職に逆戻り。なんとか転職先を見つけて現在働いています。
こういった経験からお金を大切に使うためにミニマムに生きることにしました。

失敗ばかりで成功体験なんてほとんどありませんが、私と同じように社会の底辺の方でも、ミニマリストになることで人生を上手く生きていく方法をご紹介できたらと思います。
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