仕事を頑張っても報われないよ。
仕事なんて適当でいいよね?
適当でいいですが、適当といってもいい加減にやってはいけません。
『仕事を適当にやる』というのは、心に余裕を残し、80%の力で仕事をするという意味です。
どうゆうこと?
心に余裕があったほうが100%の力を発揮できます。
仕事をいい加減にやっていると、そのうち会社からあなたの居場所がなくなるでしょう。
頑張ったからといって、給料が上がるわけではなく、媚びを売ったからと言って、上司に気に入られるわけでもなく、むしろ仕事が出来ると余計に色々なことを頼まれたりします。
頼られることは嬉しいことですが、自分の仕事にさらに仕事を足すだけで、自分にとって何かメリットがあるわけでもありません。
恩を売ると意味ではいいのかもしれませんが、下手をすると良い人つまりは都合の良い人になりかねません。
私は仕事に限らず、何でも適当にやるのが大好きですが、こんな考え方になったのにはちゃんとした理由があります。
医学部再受験で一生分の努力をし、人には「才能」というものがあるせいで、必ずしも夢が叶うわけではないことを知りました。
現実世界では、「諦めなければ、夢は叶う」は嘘で「諦めなければ、前に進めない」が真実でしょう。
精神が壊れるまで全力以上を出し切ったところで必ず望んでいる結果がでるわけではありません。
逆に一生懸命にやったからこそ、それに固執しすぎてしまい、中々諦めることができなくなってしまいます。
人生を柔軟にするためにも、仕事は全力以上を出し切ることはせず『適当』にやる必要があるのです。
因みに、ここでいう適当は「いい加減にやる」という意味ではなく、「自分の限界を見極めてほどほどに一生懸命やる」という意味です。
仕事なんか適当でいい理由
身体を壊すほど頑張る必要はない
無理して頑張ってきたけれど、体を壊すだけで全然結果に繋がらなかった・・・。
体を壊してまで頑張らなければいけない仕事はあなたに合った仕事ではありません。
そこまで頑張る必要がない自分の能力に合った職場で働いた方が自分らしく生きられますよ。
がんばるとは、本当は自分が嫌でやりたくもないことを無理してやる状態を言うのです。その無理が、後になって身体を壊したり、実力を身に付けられずに生きていかなければならない羽目に陥らせるのです。無理をして人生を台無しにしてしまうよりも、がんばらずに自分が充分に出来ることをしていく人生の方がいいと、私は言っているのです。努力し精進することが「当たり前」だと自分で思えることをやらなければいけないのです。生命の理念II
無理をして頑張っても、身体を壊すだけでよい結果には終わりません。
それは自分の実力以上のものを追い求めているからです。
医者や弁護士などの職業につける人間は元々努力することが当たり前の人達がなっているのであって、嫌々勉強している人達がなっているわけではありません。
運良く医者や弁護士になれたとしても、なった後も勉強は続くわけですから結局無理をして体を壊してしまいます。
人間は、自分に合っている「生きる場所」が、その人間に生命の幸福をもたらし、またそのような場所では、楽々と努力をし自己の生命が燃焼し続けることが出来るのだと言っているのです。生命の理念Ⅱ
仕事を頑張るのではなく、自分に合った努力だと感じない場所で働いた方が自分らしく生きられるでしょう。
ネット社会では他人の情報が簡単に得られるためどうしても他人と比べてしまいますが、比べれば比べるほど自分の能力以上のものを求めてしまいます。
こういった欲望から発した努力は上手くいきません。身の丈に合った生き方が一番自分らしく生きられます。
必死になりすぎると上手くいかない
すごく必死に仕事をしていた時があったけれど、全然上手くいかなかったよ。
人は心に余裕がある方が上手くいきます。
歯を食いしばってやればやるほど能力が下がるので不思議なものです。
必死でやりすぎていた頃は、心に余裕がなく、歯を食いしばってやりましたが、何も上手くいきませんでした。
それを一番よく感じたのが先ほどお話しした医学部再受験の時です。
10時間以上の勉強を毎日のように続け、少しでも時間を確保するために予備校に通うまでの道のりを歩きながら勉強していました。
睡眠時間は6時間と決め、寝る間も惜しんで限界以上の力を出し切ったのにもかかわらず、センターの得点は結局6割5分止まりで、全力以上だしきれば必ず結果が出るわけではないことを身を持って体験したわけです。
その後の人生は「何でも適当でいいや」と考えを改めましたが、何かを挑戦するときに下手に緊張しなくなり、かえってリラックスできることで人生が上手くいことを悟りました。
人の能力の最高値は必死にやったときでなく、心にゆとりがあるときだと後になって知ったわけです。
私は過度の面接嫌いでしたが、「適当でいいや」と思った途端に気が楽になり、あまり緊張することなく、普通に話すことができました。
必死になって面接対策本を読んで面接の準備をしていれば、緊張しすぎてきっとうまくいかなかったと思います。
面接は準備に時間をかけるべきではなく、回数をこなして自分なりに失敗をすることが大切だということを学びました。
初めの一歩に「適当でいいや」という考えが必要なのです。
努力は報われるわけではない
努力しても報われないよ。
いい加減に生きた方が楽じゃない?
いい加減に生きると自分を認められなくなってしまい、自己肯定感が低下します。
努力をするのは、自分で自分を好きになるためと割り切りましょう。
少年漫画を見ていると、努力していれば必ず報われるようにできています。
努力したのに報われないのならば、漫画を読んでも人の感動は起きません。人は能力ではなく誰もが努力次第で夢を叶えられると信じたいのです。
ですが、現実世界では努力が報われないことが、社会では当然だったりします。
私は理学療法士という医療職ですが、介護保険で給料が支払われているため給料が上がることはありません。
なぜかというと、理学療法士は20分間1単位のリハビリでお金が発生しますが、介護保険下ではリハビリの単価が一定であるため、新人がやろうがベテランがやろうがリハビリの単価には何も影響しないのです。
美容院ならばベテランの美容師は単価が高いでしょうが、私達理学療法士はどれだけ経験を積もうが単価は変わらないので、経営側からしたら給料を上げることができないのです。
一般の会社でも、自分が頑張っただけなのに、チームとして全体が評価されたり、管理職である上司が評価されたりといったことがあります。
さらに、頑張っているからと言って、上司からの評価が上がるわけではなく、上司の好みで評価が上がったりします。
したがって、自分自身で自分を評価する必要があります。
自分で自分に高評価できるのはどういった場合だと思いますか?
かっこいい自分の理想の自分に近づいたときかな~。
そうです!誰もが自分の理想を持っているので、そこから大きく外れると自分を卑下するようになってしまいます。
誰もが自分の中に「かっこいい」を持っているはずです。仕事に真摯に取り組み、成長を感じられている自分がかっこいいと思う人もいるでしょう。
他人の評価のために努力するのではなく、自分が自分を認められる努力をしましょう。
会社に期待しても意味はない
頑張っても会社に全然認めれらないんだよね~。
仕事は頑張っても必ずしも認められるわけではないと割り切った方がいいですが、そもそも自分に本当に実力があるかないかを見極めなければいけません。
頑張っているし、実力はある方だと思うけどな~。
自分の力だけで稼ぐ必要がある副業をしてみれば、あたなに実力があるかは一発で分かりますよ。
会社員が会社で気にするのは人事評価ですが、実績と上司からの評価などで、上から順番にA、B、C、Dと評価をつけて、給料や昇給に反映されます。
ここでAの評価を得るには、身を挺にして働いたうえに、上司にも気に入られなければなりません。
また、それ相応の能力がないと上司から認められるのは難しいです。
しかし、そもそもあなたが上司から認められるような能力や実績があるのか考えなければいけません。
評価をするのはあくまで他人であり、あなたではありません。
「自分なりに頑張ったから給料を上げてくれ」は、かなり幼稚な発言だというのは言われてみればよく分かるのではないでしょうか。
自分の実力が簡単に分かる方法は、『副業』で一からお金を稼いでみることです。
副業は誰のせいでもなくすべて自分の実力ですから、副業で稼げないとしてもそれはあなたに実力がまったくないということです。
また、他に副業を勧める理由は、会社に依存しているとロクなことがないからです。
会社に依存していると、理不尽な要求でも吞まなければいけませんし、解雇されたときは会社を恨むようになります。
会社はあくまで自分の理想を叶えるために働いている場所を割り切り、自分一人でも食っていける実力を身に付けることが大切です。
そうすれば、定年後も警備員や清掃員などの仕事で惨めな思いをせずに自分の力で食っていくことができます。
会社はあなたが会社にとって役に立つと思っているから雇っているわけで、役に立たないのであれば会社から必要とされるわけありません。
会社から期待されないのなら期待される人材になればいいだけです。
仕事はいい加減ではなく、適当にやる
なんでいい加減に仕事したらいけないの?
どうせ給料が上がるわけでもないんだし、いいじゃん。
何も仕事しないひたすらサボっている人を見るとムカつきませんか?
同じことをしていると、誰からも相手にされずに、会社で孤立します。
冒頭で仕事をいい加減にやらずに仕事を適当にやる必要があると述べました。
なぜ、仕事をいい加減にやってはいけないのかは、客観的に自分を見てみれば一発で分かります。
仕事のいい加減にやってる人の目は死んでいますし、大体こうゆう人は文句ばかりいい、全然仕事をしません。
そんな人と付き合いたいと思う人はまずいないでしょう。
同僚から頼りにされる必要とされるには、仕事を適当にやる必要がありますし、そしてある程度実力も必要です。
高度化した知識社会では、人的資本( 高い専門性)をもたない者は、会社( 労働市場)のなかで〝居場所〟を失い、うつ病など精神疾患のリスクが高くなる。人的資本を一極集中するエッセンシャル思考を勧める第一の理由は、金銭的な報酬が増えるからではなく、こころの健康維持なのだ。シンプルで合理的な人生設計
高い専門性を持っている人に仕事を頼むというのは、あなたもよくしていることだと思うので分かってもらえると思います。
高い専門性を持たなければ、当然誰からも必要とされなくなり、職場から居場所がなくなり、うつ病など精神疾患のリスクが高くなります。
実際に私は会社から必要とされなくなり、解雇され無職になり、実際にうつ病になるぐらい精神状態が悪化しました。
誰からも必要とされないというのは、思った以上に精神的負担になります。
上司や同僚から認められ、あなた自身に認められることが自己肯定感を最大にする一番の方法です。
この中でも自分自身の評価が一番大切です。
自分が仕事に夢中になって本気でやれているのか、自分が納得できる仕事が出来ているのか、仕事が生きがいといえるところまで真剣に取り組めているのか、自分自身が納得して仕事できていないと永遠に仕事に対して満足することはないでしょう。
といっても、成長を目指せば目指すほど渇望感が生まれるものですが、私はそれでいいと思っています。
無気力にダラダラと仕事するのがいいのか、自分の理想を永遠に求め続けるのかは人それぞれでしょうが、私ならば後者を選びます。
なぜならば、人生は一度きりであり、命を使い切らないと死ぬに死ねないからです。
今から10年後人生を振り返ってみて何も残っていない人生なんて私ならば耐えられません。
「俺はこれだけ必死にやって生き切ったぞ!」という人生こそ私が求める生き方です。
心を壊すほどの必死さは先ほど申し上げたように必要ありませんが、自分が成長できるだけの必死さは必要です。
心にゆとりが持てるほどの仕事の適当さで頑張ることが肝要です。
仕事は適当でいいがおさえておくポイント
好きなことを仕事にしない
好きなことを仕事にした方が頑張れることができるのでは?
本業は安定した収入が得られることがも目的ですが、好きなことというのは必ずしもお金を稼げるわけではありません。
そもそもですが、仕事の本質は、だれかがやりたくないこと・できないことを代わりにやることでお金をもらうことだと思っています。それであれば、好きなことを無理に仕事にせずとも、それはそれで趣味として続けて、仕事は仕事と割り切ったほうが、幸せな生活を送れるんじゃないかなぁ、と思います。
ラクしてうまくいく生き方
最近では、Youtubeでお金を稼ぐ人が増えてきています。
もちろん、Youtubeを本業にすることを否定するわけではありませんが、好きなことを発信してお金を稼げたとしても再生回数が伸びない、収入が激減していくと好きなことでも好きでなくなってしまいます。
私は副業でブログをしているのでよく分かりますが、お金を稼ぐことが目的になると収益が下がった途端に急に不安や焦りを覚えてしまい、ブログが楽しめなくなってしまいます。
副業は楽しむためのモノと割り切ることで、収益が下がっても動じることなく心の平静を保っています。
好きなことは副業として趣味でやるからこそ、無理せず楽しんでやることができるのです。
私はリハビリの仕事が好きだったわけではありません。学生時代はむしろ嫌いで、指導員の前ではっきり「リハビリに興味がありません」と言ったぐらいです。
しかし、自分にはリハビリの仕事は合っていないと思っていたのにもかかわらず仕事をしていくうちに楽しくなってきました。
心に余裕を持って仕事ができていること、人と関わる仕事であること、職場関係がそこそこよいことが仕事を楽しませてくれる要因です。
好きでないことでもそこそこ好きになる可能性は十分あります。
無理に好きなことを仕事をするのはやめましょう。
自分の商品価値を上げる
会社と対等な関係を築くために、勤め先の会社に自分の労働を売る経営者と考えましょう。
そうすれば、商品単価(給料)すなわり自分の価値を上げることに敏感になります。
自分を個人経営している会社にするという発想はなかったな。
努力することつまり自分の商品価値を上げることが嫌じゃなくなってきた。
私を含めたいていの日本人は聞き分けがいいように思います。 「肉屋を応援する豚」と言う言葉があるそうですが、いつか自分が殺されてしまう状況の豚が、肉屋の営業を心配してしまい、最後には屠畜される話だそうです。 まさに会社の社畜である私達に当てはまる言葉なのでしょう。 私はしょっちゅう会社の経営について心配をしていますが、まさに心配する豚なわけです。 最初に勤めた会社では、会社のためにあれこれ考えて尽くしてたのにも関わらずあっさり解雇されました。 会社というものは社員のことを替えのきく部品程度にしか思っていません。
会社との付き合い方を「会社に雇ってもらっている」という一方的な関係だと思うのは得策ではない。自分自身のことを、一人社長で経営している「個人店」なのだと捉え、勤め先の会社を「対等な関係を築いている契約先」だと思うといい。会社は自分の働きを買っている大口の契約者の1つにすぎない。気に入らなければ、取り替えてもいい相手なのだ。
お金の増やし方&稼ぎ方
会社を大口の契約先と考えると、「自分がなにを提供できるのか」ということに敏感になります。
質の良い商品でなければ、商品単価が上がらないのは当たり前ですが、自分自身が「人材価値」のある人間なのかを考えるきっかけになります。
仕事をいい加減にやってしまうのは、頑張ったことに対するリターンが少ないからなんでしょうが、自分の商品価値を上げるために会社を利用するというスタンスだと俄然やる気ができます。
自分の価値を上げたのにもかかわらず給料が上がらない会社は、見る目がないのですから転職する十分な理由になります。
他人を利用する
他人を利用するて悪いように聞こえるけど・・・
お互いがお互いに利用し、自分の得意なことに時間を使えるようになるのでむしろウィンウィンの関係を築けます。
『他人を利用する』というと少し言葉が悪いように感じられます。
しかし、人にはそれぞれ向き、不向きがあり、得意なこととそうでないことがあるので、営業が得意な人、企画力がある人、経理が得意な人など、会社はそれぞれを強みを補完しあう場所と言い換えることもできます。
そうすれば、あなたは自分の得意なことに集中すればいいだけなので、得意なことをさらに伸ばすことが出来るようになります。
自分を過大評価していたり、能力があったりすると、なかなか他人を利用することをせず、自分がやったほうが早いからと考えてしまいます。
しかし、今話したように他人を上手に使った方が自分の時間を確保できるので、お互いに自分の得意分野で頑張ることが出来るのです。
自分な不得意なことをさせられれば楽しくないですし、面倒に感じてしまいいい加減にやってしまうかもしれませんが、自分が得意なことならば余裕をもって適当に仕事が出来ます。
サブスキルを育てる
どうしてサブスキルを育てるといいの?
専門性だけ極めても、才能の範囲でしかスキルアップできません。
それならば、サブスキルを作って自分の商品価値を上げた方が有利に働けます。
仕事を適当にこなすためには、サブスキルを育てる必要があります。
なぜならば、サブスキルを育てることは、先ほどご話しした自分の商品価値を上げることに繋がるからです。
スキルアップというと、ついつい自分自身の仕事に直接かかわるものばかりをしてしまうように感じられます。
しかし、自分のメイン武器となるスキルを一定レベル以上にものにしようと努力しても、労力の割に成果に繋がらないことが多いのではないでしょうか。
実際には上記の図のように80%までは特に才能がなくても達成できますが、残りの20%は才能に影響されることが分かっています。
しかし、20%の努力で80%に達成できるので、凡人の戦略としては80%のサブスキルをたくさん手に入れることが最適解だと思われます。
本業のメインスキルを極めるのも大切ですがどうしても才能が関わってくるので、そこまで自分に才能がないと分かっているならば才能の見極めが必要になってきます。
私のサブスキルは言うまでもなく『ブログ』ですが、このサブスキルのおかげでライティングスキル、マーケティングスキル、SEOの知識を手に入れることができ、さらに副業としてお金も稼げています。
自分の本業のスキル×サブスキルで私の商品価値は上がり続けています。
ただし、サブスキルを育てて意味があるのは、メインのスキルが一定レベル以上になっている場合です。
じゃないと、メインスキルもサブスキルも、中途半端で役に立たないという結果になってしまいます。
自分が勝てるところで勝負する
人には才能が有るので相手と同じところで競っていても仕方ありません。
それならば、自分の勝てる分野を作った方が自分の価値を上げることが出来ます。
メインスキル以外にも得意なことはあるから、サブスキルとして育てて自分が勝てる分野を作ってみようかな。
自分より仕事ができる人と比べてしまって「自分は無能だ」「自分には価値がない」と落ち込んでしまう人もいるのではないでしょうか。
そのせいで仕事のモチベーションが下がってしまうことも多々あると思います。
ここで大切なことは「自分が勝てるところで勝負する」ということです。
先ほどお話しした『サブスキルを育てる』というのは自分が勝てるところで勝負するためには必須なのです。
私は能力の高い人間ではありませんが、、他の人よりもパソコンができるため、会社では重要視されています。
パソコンを勉強して身に付いたわけではなく、もともとパソコンが好きで得意だったから身に付いただけだったのですが、まさに自分の勝てるところなわけです。
どんな小さなことでもいいので自分が他の人よりも勝っているポイントを見つけて、それを育てていけば自分の価値がどんどん上がっていきます。
仕事を適当でいいが注意すべきこと
ラクをしすぎると仕事がつまらなくなる
仕事はいい加減に楽して給料を貰った方が合理的だと思うのだけど・・・
仕事をいい加減にやりすぎるとマンネリ化してしまう仕事がつまらなくなるので、それがかなりの苦痛になります。
再度確認しておきますが、『仕事を適当にやる』とは、心に余裕を残せるぐらいの80%ぐらいの力で仕事をするという意味であり、歯を食いしばって必死に仕事をするという意味ではなく、またいい加減に楽に働くことを推奨しているわけではありません。
いい加減に楽に働くことをお勧めしないのは、仕事に対して向上心を持たないと急に仕事が楽しくなくなるからです。
人生がつまらなくなるは、『マンネリ化してしまい変化がないこと』が原因です。
毎日同じ仕事を同じようにしていれば飽きがきて当然です。
仕事をいい加減にやりすぎて、何もチャレンジせず同じことを繰り返していてはどんどん仕事に対して無気力になっていきます。
仕事がマンネリ化せず、変化を作るには自分から何かに挑戦する必要がでてきます。
自分の限界を見極めつつ、新しいことに挑戦していきましょう!
私は医療職であり、専門職であるので専門分野の勉強はかかせません。知識を増やすことで毎日の仕事に変化を作っています。
会社から解雇されても、自分で食っていくスキルを身に付ける
会社は慈善団体ではないのでいざというときにあなたを助けてくれるわけではありません。
自分を助けてくれるのは自分自身なので、自分で食っていくスキルを身に付けることは必須なのです。
会社や他人に依存していては、いざとなったときに困るよね。
自分で食っていくだけのスキルを身に付けるよ。
これからの時代は会社に依存するのではなく、会社はあくまで収入源の1つであるという認識が大切になります。
会社にどれだけ滅私奉公しようと必要でなくなれば簡単にクビを切られる世の中です。
少なくとも私は簡単にクビを切られたので、会社への貢献度はその場限りで「大して評価されていないのだな」とつくづく感じてしまいます。
会社に依存しないためにはもう1つ別に収入源を増やす必要がありますが、先ほどご説明した通り副業が適しています。
副業を本業と同じぐらいに収入を増やすことは至難の業ですが、今から自分で食っていく力を身に付けることは大切です。
そもそも自力で稼げないということはそれぐらいの能力しかないということですから、自分がいかに能力のない人間かよく分かるはずです。
一から自分で考えてお金を稼ぐというのは想像以上に大変です。
ブログを始めて3年になりますが、収益を増やすに苦労し、今では更新しても収益は平行線をたどっています。
しかし、だからこそ自分に何が足りないのか考えるきっかけになるのです。
会社のことを散々悪く言ってきましたが、そもそもあなた自身の能力が今の給料を貰うのに見合っているのでしょうか?
自分で食っていく力を身に付けることは、どこにも依存しないで済むので一人でも生きていくことができます。
これが本当の自立と言えるのではないでしょうか。
仕事は適当でいい!自分の力で食べていくスキルを磨こう
人は一生懸命やったことに対しては、見返りを求める生き物です。
「どうしてこんなに頑張っているのに給料が上がらないんだ」「何もしてないあいつばかり昇進しておかしい」世の中こんなことばっかりです。
頑張るからこそ何か成果がでないとやっていられません。
しかし、自分を個人経営のオーナーという考えにシフトしていくと自分の商品価値を上げるために会社を利用していると前向きに考えることが出来ます。
人材価値は(能力+実績)×時間で表すことが出来ますが、実績を上げることはいくら机の上で勉強しても上げることはできません。
実績を手に入れるために会社を利用していると思えば、上司に評価されなくても、「自分の商品価値が上がっているからまいいか」と考えることが出来ます。
まとめると、心に余裕を作るためにも仕事は適当に頑張り、自分を個人経営のオーナーとして自分の商品価値を上げていけばいいことになります。
何度も言いますが、あなたを評価するのは会社ではなく、あなた自身です。
金銭的に不満があるのならば、何度も言いますが自分が頑張った分だけ見返りが得やすい副業を頑張ってみてはどうでしょうか。
私は一度解雇されたときに会社からの収入だけに頼り切ってしまったことに対して後悔しています。
収入が0になると心が不安定になり、無職と言うレッテルは自己肯定感をかなり低くしてしまいます。
特に40代は気力や体力が枯れやすい年代なので、40代で踏ん張れるかが人生の分かれ道になります。
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