仕事なんて適当でいい!必死になれば、能力が落ちる

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仕事なんて適当でいい!必死になれば、能力が落ちる
頑張ったからといって給料が上がるわけじゃないし、媚びを売ったからといって上司に気に入られるわけでもない。むしろ仕事ができると、余計にいろんなことを頼まれたりする。

頼られるのは嬉しいことだが、自分の仕事にさらに仕事を足すだけで、自分にとって何か得があるわけじゃない。(給料が上がるのなら別だが)

恩を売るって意味ではいいのかもしれないが、下手をすると“いい人”、つまり都合のいい人になりかねない。
「はいはい」と上司の機嫌を損なわないように立ち回っても大抵はこき使われて終わる。

もちろん上司に気に入られて役職についたりと給料が上がる場合もあるかもしれないが、私の働いているような中小企業は給料なんて元々上がるシステムなので頑張れば頑張るほど損をする。

そんなこんなで、私は仕事に限らず、なんでも適当にやるのが大好きなんだけど、こんな考え方になったのには頑張っても給料が上がらない以外にもちゃんとした理由がある。

医学部再受験で一生分の努力をして、「才能」ってものがあるせいで、必ずしも夢が叶うわけじゃないってことを知った。

現実の世界では、「諦めなければ夢は叶う」は嘘で、「諦めなければ前に進めない」が真実だと思う。
精神が壊れるまで全力以上を出し切ったところで、必ずしも望んだ結果が出るわけじゃない。

むしろ、一生懸命にやったからこそ、それに固執しすぎてしまって、なかなか諦められなくなることもある。

人生をもう少し柔軟にするためにも、仕事は全力以上を出し切らずに「適当」にやる必要がある。

ちなみにここでいう適当は、「いい加減にやる」って意味じゃなくて、「自分の限界を見極めて、ほどほどに一生懸命やる」って意味だ。
怠惰ねこ

仕事なんて適当でいいじゃん~

激怒ねこ

それはいい加減ていうんだよ!!!

目次

仕事なんか適当でいい理由

身体を壊すほど頑張る必要はない

一度全力で何かに取り組んでみると自分の実力がどれぐらいなのか大体わかる。
普通はそれで自分が頑張れる範囲を分かったりするのだが、他人の生活に憧れたり、今の自分から変わりたくて無理して頑張ろうとしてしまうことがある。

しかし、悲しいかなその努力は長くは続かない。大抵は体を壊して人生を台無しにする結果に終わってしまう。
がんばるとは、本当は自分が嫌でやりたくもないことを無理してやる状態を言うのです。その無理が、後になって身体を壊したり、実力を身に付けられずに生きていかなければならない羽目に陥らせるのです。無理をして人生を台無しにしてしまうよりも、がんばらずに自分が十分に出来ることをしていく人生の方がいいと、私は言っているのです。努力し精進することが「当たり前」だと自分で思えることをやらなければいけないのです。
生命の理念II
結局、自分の実力以上のものを求めても自分以上にはどうしてもなれない。

医者や弁護士になれる人たちは、もともと努力できる才能を持っている人たちであって、無理して勉強してる人たちがなるわけじゃない。

運よく医者や弁護士になれたとしても、そのあとも勉強は続くわけだから、結局無理して体を壊してしまう。
人間は、自分に合っている「生きる場所」が、その人間に生命の幸福をもたらし、またそのような場所では、楽々と努力をし自己の生命が燃焼し続けることが出来るのだと言っているのです。
生命の理念Ⅱ
それは仕事にも当てはまって、自分の実力以上のところに就職できたとしても周りについていけず、落ちこぼれるなるだけである。

それならば、自分の実力に見合った場所で自分なりの努力して働いたほうが、自分らしく生きられる。

今のネット社会では、他人の情報が簡単に手に入るから、どうしても人と比べてしまう。だけど、比べれば比べるほど、自分の力以上のものを求めてしまう。

そういう欲から始まった努力は、うまくいかない。身の丈に合った生き方こそが、一番自分らしく生きられる方法だと思う。

必死になりすぎると上手くいかない

悩む猫

すごく必死に仕事をしていた時があったけれど、全然上手くいかなかった

のんねこ

人は心に余裕がある方が上手くいくんだよ
歯を食いしばってやればやるほど能力が下がる

必死でやりすぎてた頃は、心に余裕がなくて、歯を食いしばって頑張ってたけど、何も上手くいかなかった。

それを一番感じたのが、さっき話した医学部再受験のときだ。

毎日のように10時間以上勉強して、少しでも時間を作るために、予備校までの道のりも歩きながら勉強してた。

睡眠時間は6時間って決めて、寝る間も惜しんで限界までやったのに、センター試験の点数は結局6割5分止まり。全力以上にやっても、必ず結果が出るわけじゃないってことを、身をもって知った。

そのあと「なんでも適当でいいや」と肩の力を抜いて物事を考えるようになってから、挑戦するときに変に緊張しなくなって、逆にリラックスできるようになって、人生がうまく回るようになった。

人の能力の最高値って、必死にやってるときじゃなくて、心にゆとりがあるときに出るんだって、あとになって気づいた。

私はかなりの人見知りでもともと面接が苦手なのだが、「まあ適当でいいや」って思った瞬間に気が楽になって、あんまり緊張せずに自然に話せた。

もし必死になって面接対策本を読み込んでたら、きっと緊張しすぎてうまくいかなかったと思う。

面接ってのは、準備に時間をかけるよりも、回数をこなして、自分なりに失敗していくことが大事なんだと学んだ。

最初の一歩には、「適当でいいや」って考え方が必要なんだ。

努力の方向性を必ず考える

少年漫画を見てると、「努力すれば必ず報われる」っていう世界になってる。

もし努力しても報われない話だったら、誰も感動なんてしない。人は「能力じゃなくて、努力次第で夢は叶う」って信じたい生き物なんだと思う。

でも、現実の世界では努力が報われないことなんて普通にある。

私は理学療法士っていう医療職だけど、介護保険から給料が出てるから、どれだけ頑張っても給料は上がらない。

理由は簡単で、理学療法士のリハビリは20分で1単位って決まってて、その単価が介護保険では一定だから。新人がやってもベテランがやっても、リハビリの値段は同じ。

美容院なら、ベテランの美容師は単価が高くなるけど、理学療法士はどれだけ経験を積んでも単価は変わらない。だから経営側からすれば、給料を上げようがないってわけ。

一般の会社でも同じで、自分が頑張っただけなのに、チーム全体で評価されたり、上司だけが評価されたりすることがある。

しかも、頑張ってるからって上司の評価が上がるわけじゃなくて、上司の好みで評価が決まることもある。

人事は、基本的に好き嫌いで決まる。これは現代でもそうだし、世界的にそうだ。嫌われた者が脱落するシステムなのだ。評定者の言いなりになることが求められる。「悪目立ち」することを避けるのが、サラリーマンの心得だった。

経済評論家の父から息子への手紙 お金と人生と幸せについて
私はそのことを山崎元さんのこの言葉から学んだ。

実際私は不祥事を起こしてから上司に気に入られてない。そこから挽回しようと色々とやったが嫌われてるので何をやっても評価が上がることはない。人事は、基本的に好き嫌いで決まる。というのを身を持って体験した。

したがって、修正不可能な状態になってしまったとき、会社での努力の方向を変える必要がある。

私の場合、会社の仕事を頑張ったところで給料が上がるわけではないので、自分の専門としての力を上げることに専念している。専門の力が上がれば、転職することも起業することも可能となる。

要するに会社のために努力するのではなく、自分の将来のために努力をする。
そういった割り切り方をすると精神的にかなり落ち着いてくる。

「よく他者の評価を気にするな」とあるが、遺伝子レベルで他者の評価を気にするように作られている以上そんなのは無理な話だ。それならば、他者の評価という成果を求めるのではなく、自分の評価という成果を求めた方が会社を恨むよりよっほど健全だと思われる。

会社に期待しても意味はない

先ほどの話の続きになるが、会社員が気にするのは人事評価だけど、実績とか上司の評価で、上から順にA、B、C、Dみたいにランクがつけられて、給料や昇給に反映される。

A評価をもらうには、身を削って働いたうえで、上司にも気に入られなきゃいけない。しかも、それなりの能力がないと上司から認められるのは難しい。

でも、そもそも自分が上司に認められるだけの能力や実績があるのか、そこをちゃんと考える必要がある。

評価をするのはあくまで他人であって、自分じゃない。「自分なりに頑張ったから給料を上げてくれ」なんて言葉は、正直かなり幼稚だと思う。

自分の実力を知る一番わかりやすい方法は、「副業」で一からお金を稼いでみることだ。

副業は誰のせいにもできない。結果が出ないなら、それは単純に自分の実力が足りないってこと。

それに、副業をやったほうがいい理由はもう一つあって、会社に依存してるとロクなことにならないからだ。

会社に頼りきってると、理不尽な要求でも飲まなきゃいけなくなるし、もし解雇されたときには会社を恨むようになる。

会社はあくまで、自分の理想を叶えるために働かせてもらってる場所だと割り切って、自分ひとりでも食っていける力を身につけることが大事。

そうすれば、定年後に警備員や清掃員の仕事で惨めな思いをすることなく、自分の力で生きていけるようになる。

会社は、あなたが会社にとって役に立つと思ってるから雇ってるだけで、役に立たなくなれば必要とされない。

だから、もし会社から期待されてないなら、期待される人材になればいい。それだけの話だ。

仕事はいい加減ではなく、適当にやる

冒頭で「仕事はいい加減にやるんじゃなくて、適当にやることが大事」って話をした。

なぜいい加減にやっちゃいけないのかは、客観的に自分を見ればすぐ分かる。

仕事をいい加減にやってる人って、目が死んでるし、だいたい文句ばっかり言ってて、全然仕事をしない。

そんな人と一緒に働きたいと思う人なんてまずいない。

同僚との関係は、そのままストレスに直結する。同僚との関係が良好ならばストレスは少ないし、悪ければ当然ストレスがたまる。会社を嫌になる原因はほとんどが人間関係なので、好かれないまでもある程度良好な関係でいたほうが仕事はしやすい。

そうなると同僚から頼りにされたり、必要とされるためには、「適当にやる」って感覚が大事だし、それなりの実力も必要だ。
高度化した知識社会では、人的資本(高い専門性)をもたない者は、会社(労働市場)のなかで〝居場所〟を失い、うつ病など精神疾患のリスクが高くなる。人的資本を一極集中するエッセンシャル思考を勧める第一の理由は、金銭的な報酬が増えるからではなく、こころの健康維持なのだ。
シンプルで合理的な人生設計
高い専門性を持ってる人に仕事を頼むことは、きっと誰でもやったことがあると思う。だから、その意味はよく分かるはずだ。

専門性がなければ、当然誰からも必要とされなくなり、職場での居場所がなくなる。そうなると、うつ病みたいな精神的な不調を抱えるリスクも一気に高くなる。

実際、私も会社から必要とされなくなって、解雇されて無職になり、うつ病になるくらい精神的に追い詰められたことがある。
誰からも必要とされないって、想像以上に心が削られる。

上司や同僚から認められて、そして自分自身にも認められること。これが一番、自己肯定感を高める方法だと思う。

中でも大事なのは「自分で自分をどう評価するか」だ。
自分が仕事に夢中になれているか。
自分が納得できる仕事をできているか。
仕事を“生きがい”と言えるくらい本気で取り組めているか。
この部分で納得できていない限り、仕事に満足することなんて一生ないと思う。

もちろん、成長を求めれば求めるほど、足りない部分が見えてきて、渇望感が出てくる。
でも、それでいい。むしろそれが生きてる証拠だ。

無気力にダラダラ働くか、理想を追い続けるかは人それぞれだけど、私は迷わず後者を選ぶ。

だって、人生は一度きりで、命を使い切らないと本当の意味で生きたとは言えないからだ。

10年後、振り返ったときに「何も残ってない人生だったな」と思うなんて、私には耐えられない。
「俺はこれだけ必死にやって、生き切ったぞ!」って胸を張って言える人生こそが、私の理想の生き方だ。

心を壊すほど必死になる必要はない。けど、自分が成長できるだけの必死さは必要だ。
そして、心にゆとりを持てるくらいの“適当さ”で頑張ること——それが一番大事なんだと思う。

仕事は適当でいいがおさえておくポイント

好きなことを仕事にしない

そもそもですが、仕事の本質は、だれかがやりたくないこと・できないことを代わりにやることでお金をもらうことだと思っています。それであれば、好きなことを無理に仕事にせずとも、それはそれで趣味として続けて、仕事は仕事と割り切ったほうが、幸せな生活を送れるんじゃないかなぁ、と思います。

ラクしてうまくいく生き方
最近は、YouTubeでお金を稼ぐ人がどんどん増えてる。

もちろん、YouTubeを本業にするのが悪いわけじゃない。だけど、好きなことを発信してお金を稼げていたとしても、再生回数が伸びなくなったり、収入が減ったりすると、その“好きなこと”さえ嫌いになってしまう。

私も副業でこうしてブログをやってるからよく分かるが、お金を稼ぐことが目的になると、収益が下がった瞬間に不安や焦りが出て、途端に楽しめなくなる。

だから、私は「副業は楽しむためのもの」って割り切ってる。そうすると、収益が落ちても心は乱れない。落ち着いたまま続けられる。

好きなことは、副業として“趣味感覚”でやるからこそ、無理せず楽しめる。

ちなみに私は、本業であるリハビリの仕事がもともと好きだったわけじゃない。学生の頃なんて、むしろ嫌いで、指導員の前で「リハビリに興味ありません」ってはっきり言ったくらいだ。

それでも、不思議なことに「自分には合ってない」と思ってた仕事を続けていくうちに、少しずつ楽しくなってきた。

心に余裕を持って働けてること、人と関わる仕事であること、職場の人間関係がそこそこ良いこと——この3つが仕事を楽しませてくれる要因だと思う。

だから、最初から「好きなことじゃないとダメだ」なんて思う必要はない。好きじゃなかったことが、やってるうちに“そこそこ好き”になることだってある。

無理に好きなことを仕事にしようとするのは、もうやめたほうがいい。

自分の商品価値を上げる

私は、だいたいの日本人は聞き分けがいいほうだと思う。

「肉屋を応援する豚」って言葉があるけど、これは自分がいつか殺される立場なのに、肉屋の商売を心配して、最後には屠畜される豚の話らしい。

まさに、会社で働く私たち社畜にピッタリの言葉だと思う。

私はよく会社の経営を心配してしまうけど、冷静に考えたら完全に“肉屋を応援する豚”だ。

最初に勤めた会社でも、会社のためにあれこれ考えて尽くしてきたのに、結局あっさりクビになった。

会社なんて、社員のことを“替えのきく部品”くらいにしか思っていない。

会社との付き合い方を「会社に雇ってもらっている」という一方的な関係だと思うのは得策ではない。自分自身のことを、一人社長で経営している「個人店」なのだと捉え、勤め先の会社を「対等な関係を築いている契約先」だと思うといい。会社は自分の働きを買っている大口の契約者の1つにすぎない。気に入らなければ、取り替えてもいい相手なのだ。

お金の増やし方&稼ぎ方
私は会社を大口の契約先だと考えると、「自分が何を提供できるのか」ということにすごく敏感になる。

質のいい商品じゃなければ単価が上がらないのは当たり前だが、それと同じように、自分自身が「人材として価値のある存在なのか」を考えるきっかけにもなる。

仕事をいい加減にやってしまうのは、頑張ってもリターンが少ないからなんだろうけど、私は「自分の商品価値を上げるために会社を利用する」ってスタンスで働くと、一気にやる気が出る。

そして、自分の価値を上げても給料が上がらない会社は、単に見る目がないだけだから、そんな会社は転職する十分な理由になると思っている。

他人を利用する

「他人を利用する」って言うと、ちょっと言葉が悪く聞こえるかもしれない。

でも、人にはそれぞれ向き不向きがあって、得意なこととそうじゃないことがある。営業が得意な人、企画力がある人、経理が得意な人――会社って、そういう個々の強みを補い合う場所だと言い換えることができる。

そう考えれば、私は自分の得意なことに集中すればいいだけで、その分野をさらに伸ばせるようになる。

自分を過大評価していたり、ある程度能力があると、「自分でやったほうが早い」って思って、なかなか人に頼らなくなることがある。

でも、さっき言ったように、他人を上手に使ったほうが自分の時間を確保できて、お互いが自分の得意分野で力を発揮できる。

私は、自分の不得意なことを無理にやらされると全然楽しくないし、面倒に感じてしまって、つい適当じゃなく“いい加減”にやってしまうことがある。

けど、自分が得意なことなら、余裕を持って“適当に”、つまりちょうどいい力加減で仕事ができる。

サブスキルを育てる

仕事を適当にこなすためには、サブスキルを育てる必要がある。

なぜなら、サブスキルを伸ばすことが、さっき話した「自分の商品価値を上げること」に直結するからだ。

スキルアップって聞くと、どうしても自分の本業に関係することばかりに意識が向いてしまいがちだけど、実際はそれだけじゃない。

メインの武器になるスキルを一定レベル以上に引き上げようと必死に努力しても、労力のわりに成果が出にくいことは意外と多い。
努力の限界効用逓減の法則
「シンプルで合理的な人生設計」より
実際のところ、スキルって80%までは特別な才能がなくても到達できるけど、残りの20%は才能の影響が大きいと言われている。

でも、たった20%の努力で80%までいけるんだから、凡人の戦略としては「80%のサブスキルをたくさん持つ」ことが最適解だと思う。

本業のメインスキルを極めるのももちろん大事だけど、どうしても才能の壁がある。だから、自分にそこまでの才能がないと感じているなら、どこで見切りをつけるかの判断が大事になってくる。

ちなみに、私のサブスキルは言うまでもなく「ブログ」だ。
このサブスキルのおかげで、ライティングスキル、マーケティングスキル、SEOの知識を身につけることができたし、副業として多少なりともお金も稼げている。

「本業のスキル × サブスキル」の掛け算で、私は自分の価値をどんどん上げている。

ただし、サブスキルを育てる意味があるのは、メインスキルが一定レベル以上に達している場合だけだ。
そうでないと、メインもサブも中途半端になって、結局どっちも役に立たないという結果になってしまう。

自分が勝てるところで勝負する

自分より仕事ができる人と比べて、「自分は無能だ」「自分には価値がない」って落ち込んでしまうこと、きっと誰にでもあると思う。

そのせいで仕事のモチベーションが下がってしまうことも、正直よくある。

でも、ここで大事なのは「自分が勝てるところで勝負する」ってことだ。

さっき話した「サブスキルを育てる」っていうのも、まさにその“自分が勝てる場所”で戦うために必要な考え方なんだ。

私は能力が高いタイプじゃないけど、他の人よりパソコンが得意だから、会社ではけっこう重宝されている。

パソコンのスキルも、勉強して身につけたというより、もともと好きでいじってるうちに自然と覚えただけなんだけど、それが結果的に“自分の勝てる場所”になった。

どんな小さなことでもいい。自分が他の人より少しでも勝っている部分を見つけて、それを育てていけば、自分の価値は確実に上がっていく。

仕事を適当でいいが注意すべきこと

ラクをしすぎると仕事がつまらなくなる

もう一度はっきりさせておく。ここで言う「仕事を適当にやる」は、心に余裕が残るくらいの“80%の力でやる”って意味で、歯を食いしばって必死にやることじゃないし、まして“いい加減にラクをする”ことを勧めてるわけでもない。

“いい加減にラク”を勧めないのは、向上心を手放した瞬間に仕事が急につまらなくなるからだ。
人生がつまらなくなる原因は、マンネリで変化がないこと。毎日同じことを同じやり方でやっていれば、飽きるのは当たり前。

仕事をいい加減にやりすぎて、何もチャレンジせずに同じことを繰り返していると、だんだん無気力になっていく。
マンネリを避けて変化を作るには、自分から挑戦するしかない。

自分の限界を見極めつつ、新しいことに挑んでいこう。

私は医療職の専門職だから、専門分野の勉強は欠かせない。知識を増やすことで、毎日の仕事にちゃんと変化を作っている。

会社から解雇されても、自分で食っていくスキルを身に付ける

これからの時代は、会社に依存するんじゃなくて、「会社はあくまで収入源のひとつ」っていう考え方が大事になってくる。

どれだけ会社に尽くしても、必要なくなれば簡単にクビを切られるのが今の世の中だ。
実際、私はあっさりとクビを切られた経験があるからこそ、「会社への貢献なんてその場限りの評価に過ぎないんだな」と痛感している。

会社に依存しないためには、もうひとつ別の収入源を持つ必要がある。さっき話したように、副業がそれに一番向いている。

もちろん、副業で本業と同じくらい稼ぐのは簡単じゃない。けど、今のうちから「自分で食っていく力」を身につけておくことは本当に大事だ。

そもそも自力で稼げないってことは、それだけの能力しかないということでもある。だからこそ、自分がどれだけ力不足なのかを知るいい機会にもなる。

自分で考えて一からお金を稼ぐのは、想像以上に大変だ。
私はブログを始めて5年になるけど、収益を伸ばすのに苦労しているし、今では更新しても収益は横ばいのままだ。

でも、それが逆に「自分に足りないものは何か」を考えるきっかけになっている。

会社のことをいろいろ悪く言ってきたけど、そもそも私自身の能力が、今の給料に見合っているのかどうか――そこを見直すことも大切だと思う。

「自分で食っていく力」を身につければ、どこにも依存せずに生きていける。
それこそが、本当の意味での“自立”なんじゃないかと私は思っている。

仕事は適当でいい!自分の力で食べていくスキルを磨こう

人は、一生懸命やったことに対して見返りを求める生き物だ。

「どうしてこんなに頑張ってるのに給料が上がらないんだ」とか、「何もしてないあいつばっかり昇進しておかしい」とか、世の中そんなことばかりだと思う。

頑張るからこそ、何かしら成果が出ないとやっていられない。

でも、自分を“個人経営のオーナー”だと考えるように意識を変えると、会社を「自分の商品価値を上げるための場所」として前向きにとらえることができる。

人材価値は「(能力+実績)×時間」で決まるけど、実績ってのは机の上で勉強してるだけじゃ上がらない。
実際に現場で動いて、経験を積んで、試行錯誤してこそ結果がついてくる。

だから、「実績を手に入れるために会社を利用してる」と思えば、上司に評価されなくても「まあいいか、自分の価値は確実に上がってるし」と思えるようになる。

まとめると、心に余裕を持つためにも“仕事は適当に頑張る”のがいい。
そして、自分を“個人経営のオーナー”として、自分の商品価値を上げていけばいい。

何度も言うけど、あなたを評価するのは会社じゃなくて、あなただ。

もし今の給料に不満があるなら、自分が頑張った分だけ見返りを得やすい「副業」を始めてみるのもいいと思う。

私は一度クビになったとき、会社の収入だけに頼っていたことを本気で後悔した。
収入がゼロになると心が不安定になり、無職というレッテルが自己肯定感を大きく削っていく。

特に40代は、気力も体力も落ちやすい時期。だからこそ、40代で踏ん張れるかどうかが、その後の人生を分ける大きな分岐点になる。
のんねこ
ミニマリスト
現在は理学療法士という医療従事者として働いていますが、かなりの底辺な人生を歩んできました。

22歳で大学中退⇒フリーターを10年以上経験⇒医学部再受験失敗⇒33歳で理学療法士養成大学に進学⇒37歳で理学療法士として初就職しましたが、人間関係のトラブルで40歳で無職に逆戻り。なんとか転職先を見つけて現在働いています。
こういった経験からお金を大切に使うためにミニマムに生きることにしました。

失敗ばかりで成功体験なんてほとんどありませんが、私と同じように社会の底辺の方でも、ミニマリストになることで人生を上手く生きていく方法をご紹介できたらと思います。
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