人生に疲れた40代独身の楽しみ方。今日が人生最高の日!

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40代独身

人生に疲れました・・・。なんとか楽しむ方法ないですか?

私は、人生に少し疲れを感じている40代の独身の人たちに向けて、どうすればもう一度人生を楽しめるのかを伝えたいと思っている。

40代になると、人生も折り返し地点にさしかかる。
世の中の仕組みや、人との付き合い方、自分の限界や得意なこともなんとなく分かってくる。
努力すれば夢は叶うと信じていた頃から、「現実ってそんなに単純じゃない」と気づく時期でもある。

仕事もプライベートもどこかマンネリ化して、特に大きな楽しみがあるわけでもなく、不安もない。
ただ淡々と、安定を求めて生きる日々。
そんな中で、「これでいいのかな」と心のどこかで思うこともある。

私も40代で独身だからこそ分かるけれど、この年代になると結婚や恋愛に執着する気持ちより、「一人で生きていく覚悟」が少しずつ固まってくる。
でも、そこで大事なのは「一人でも人生を楽しめる力」を持つことだと思う。
誰かに幸せにしてもらうんじゃなく、自分の手で人生を楽しいものに変えていく。
その小さな積み重ねが、これからの人生をもっと自由で豊かなものにしていくはずだ。
40代独身

それができたら苦労しないんだけど・・・

私はこれまで、他人と比べてばかりの人生を送ってきた。
勝ち負けにこだわり、常に誰かより上に立とうとしてきた。
その結果、どこか心に余裕がなくなっていった気がする。

少しでも年収を増やしたい。もっといい仕事に就きたい。惨めな人生だけは送りたくない。あいつにだけは負けたくない。
そんな思いに突き動かされて、ずっと走り続けてきた。

でも、そういう世界の中で生きていれば、40代という折り返しの地点で疲れてしまうのも当然だと思う。
競争の中で得たものもあるけれど、気づけば失っていたものも多い。
本当は、もっとシンプルに生きてもよかったのかもしれない。
勝ち負けにこだわっている時点で、その人は余裕のない生き方をしています。世の中には勝ち負けのある世界ももちろんありますが、 99・9%は勝ち負けのない世界です。 勝ち負けのないところに、豊かな世界がたくさんあるのです。
40代がもっと楽しくなる方法
私は、人生に疲れた40代の独身こそ、勝ち負けのない世界や、心穏やかに生きられる世界があることに気づくべきだと思う。

40代で独身というだけで、どこか人と比べられたり、劣等感を刺激されたりすることがある。
でも、そんな他人の物差しで生きていたら、いつまでたっても自分の人生を楽しめない。

はっきり言って、40代になったらもう「人にどう見られるか」よりも、「自分がどう感じるか」で生きていくほうがいい。
他人に合わせるよりも、自分の好き嫌いを大事にした方がずっと気持ちが楽になる。
そのほうが、自分らしさを取り戻せるし、無理をしなくても自然と心が穏やかになる。

中谷彰宏さんの『40代がもっと楽しくなる方法』という本を参考にしながら、これから私なりに、人生に疲れた40代独身がもう一度笑顔で生きていくためのヒントを書いていこうと思う。
目次

人生に疲れた40代独身の楽しみ方

人生は平凡な毎日の繰り返しだと悟る

退屈な人生を送る40代独身
40代独身

人生の楽しみ方を教えてくれるんじゃないの?

「40代独身の楽しみ方」と言いながら、具体的な楽しみ方をまだ書いていないから、「結局、人生は平凡な毎日の繰り返しってどういう意味?」と思う人もいるかもしれない。

でも、私たちはよく「他の人はみんな充実していて、毎日楽しそうに生きている」と思い込んでしまう。
実際には、そんなことはまったくない。断言できる。

SNS、とくにインスタなんかを見ると、みんながキラキラした生活を送っているように見える。
でもあれは、楽しい瞬間を切り取って、盛って、加工した世界だ。
現実の人生は、あんなふうに毎日が華やかで楽しいわけじゃない。

本当の人生なんて、基本は平凡な毎日の繰り返しだ。
たまに楽しいことがあったり、少しうれしいことがあったりする。
その小さな出来事があるからこそ、平凡な日々にも意味が生まれる。

だから私は、「平凡こそが人生の本質」だと思っている。
刺激の少ない毎日にこそ、安心や静けさ、そして幸せの種が隠れているんだ。
禅の言葉に、「安関無事」(あんかんぶじ)という言葉があります。毎日同じことの繰り返しで、何も楽しいことがない。カネもない。つまらない生活。との人生に飽きたと思う人がいます。でも、このように思える生活こそが、最高に貴重で、恵まれていた証拠であり、幸福な人生の証拠であったことが、後からわかることがあるのです。
いま悩む人への「禅語」
禅の言葉に「安関無事(あんかんぶじ)」というものがある。
特別なことが起きない、ただ平凡な日々を生きていること。
それこそが何よりも尊く、幸せなことだという意味だ。

私たちはよく、「毎日同じことの繰り返しでつまらない」「楽しいことがない」「お金もない」「なんのために生きているんだろう」と思ってしまう。
でも、本当はそんなふうに退屈だと感じられる毎日こそが、すでに恵まれている証拠なんだ。
健康で、働けて、日々のご飯を食べられて、寝る場所がある。
それだけで、本当は奇跡みたいなことなんだと思う。

私自身、感謝の心を忘れたときほど、物事を悲観的に見てしまう。
「どうして自分だけうまくいかない」「もっと何かが足りない」と思い始めると、どんどん心が重くなっていく。
でも、ほんの少しでも「今日も無事に生きている」「コーヒーがうまい」「空がきれい」と感じられる瞬間に目を向けると、不思議と心が軽くなる。

感謝の心は、何も特別な出来事から生まれるものじゃない。
むしろ、平凡な日々の中にこそ、それを見つけるチャンスがある。
「安関無事」とは、そういう小さな感謝の積み重ねの先にある“静かな幸福”のことなんだと思う。

外向型人間か内向型人間かをはっきりする

ダラダラする内向型人間
私は、40代になってようやく自分の性格がよく分かってきたと思う。
何が好きで、何が苦手で、どういうときに疲れるのか。
若い頃は勢いだけで突っ走っていたけど、今はもう無理がきかないし、自分を偽ることも難しくなってくる。

ここでひとつ、はっきりさせておいたほうがいいことがある。
それは、自分が「外向型」なのか「内向型」なのかということ。

私はこの性格の違いを知ってから、生きるのがずいぶん楽になった。
人と会うと元気になるタイプなのか、それとも一人の時間でエネルギーを取り戻すタイプなのか。
これを理解していないと、自分に合わない生き方を続けて、知らず知らずのうちに疲れを溜めてしまう。

自分を責める前に、自分を知る。
これが、40代からの生き方を変える最初の一歩だと思う。
外向型人間内向型人間の特徴
私は思う。外向型の人ほど刺激を求め、内向型の人ほど刺激を求めない。

つまり、外向型の人は外に出て、人と関わったり、遊びに行ったりすることでエネルギーを得る。
一方で、内向型の人は静かな時間や一人の空間でこそ心が落ち着く。

だから、内向型の人が無理に外の世界で刺激を追いかけると、どんどん疲れてしまう。

世の中では、社交的で活動的で、たくさんの経験を積んでいる人が「すごい」「立派」だとされがちだ。
だから、内向型の人でも無理に「自分ももっと外に出なきゃ」「人と関わらなきゃ」と焦ってしまう。

でも、無理に外向型の生き方を真似しても、心がすり減るだけだ。
私もそうだった。周りに合わせて行動しているうちに、自分のペースがわからなくなって、毎日がしんどく感じた。

ただ、内向型だからといって、まったく刺激のない生活をしていると、今度は退屈に感じてしまう。
大事なのは、“自分にちょうどいい刺激の量”を見つけることだと思う。
静かな日々の中にも、ほんの少しの刺激――例えば、気分転換に散歩へ出かける、誰かと軽く話す、本を一冊読んで新しい考えに触れる。
そういった小さな変化が、心に心地よい風を吹かせてくれる。

内向型の人にとっての幸せは、静けさの中に小さな刺激を混ぜること。
無理をせず、自分のペースで世界とつながることなんだと思う。

オヤジは「冷笑」し、大人は「大爆笑」する

大爆笑する40代女性
私はオヤジだ。最近、心の底から笑ったことがほとんどない。
笑うことが減ったというより、物事を素直に楽しめなくなっている気がする。
昔はもっとくだらないことで笑っていたのに、今は笑う前に「そんなことして何になる」とか考えてしまう。

私の上司はその真逆だ。とにかくよく笑う。
仕事中でも休みの日に行く場所をスマホで探してはニヤニヤしている。
つっこみ猫

仕事しろよ~(ぉぃ

くだらない冗談でも大笑いするし、まわりの空気まで明るくしてしまう。
正直、あんなふうに馬鹿笑いできるのを見ていると、少し羨ましくなる。
あれだけ笑えるって、人生をちゃんと楽しめている証拠なんだろう。

冷めた顔で人の話を聞いて皮肉を言うおじさんと、しょうもないことで笑っている上司。
どっちが“本当の大人”なんだろう。
私は最近、後者のほうがずっと魅力的だと思うようになった。

しかも、どんなことでも楽しく興味を持てる人は、認知症になりにくいと言われている。
研究では、笑うことや好奇心を持つことで認知症のリスクを7%下げられるらしい。
7%なんて数字だけ見れば小さいかもしれない。
でも、人生の最後まで自分らしく生きるためには、その7%をどう受け止めるかが大きい。

私は思う。「笑う」という行為は、ただ楽しいからするものじゃない。
生きるための力なんだ。だからこそ、くだらないことにも笑える自分でいたい。
その笑いが、心のサビを落としてくれる気がする。

30代まではモノが多い方が豊か。40代からはモノが少ない方が豊か。

何もない部屋で豊かに暮らす女性
私は自称ミニマリストだ。
持ち物はかなり少ないほうだと思うし、モノを買うことも滅多にない。
禅の考え方からすると、物を買うという時点で、それに執着するということなので、さらに執着を増やし、心を乱す原因を増やすような行為です。
[禅的]持たない生き方
理由は簡単で、モノを増やせば増やすほど執着が増え、欲望に終わりがなくなるからだ。

30代の頃の私は、モノをたくさん持っていることが豊かさの象徴だと思っていた。
何でも欲しいものを買える自分に、自由を感じていた。
そもそも物欲が大きいから、その欲を満たすことができないのであって、 物欲を小さくすることで、自分は十分に富を得ていると感じることができるのです。
[禅的]持たない生き方
でも、いつの間にか気づいた。
モノを手に入れるほど、新しい欲が生まれ、心はむしろ落ち着かなくなっていった。
“足りないもの”ばかりに目が向くようになり、いくら手に入れても満たされることはなかった。

今の私は、少ないモノの中で暮らすことに本当の豊かさを感じている。
たくさん持つことが豊かなんじゃなくて、自分にとって「これがあれば十分」と思えるモノだけを持っていることが豊かなんだと思う。

今の持ち物はどれも厳選したお気に入りばかりだ。
減らすことはあっても、これ以上増やすことはない。
モノを減らすほど、心の中に静けさが生まれる。
その静けさこそ、今の私にとっていちばん贅沢なことなのかもしれない。
モノを少なくしたおかげで、高くても質のいいモノを選べるようになった。
昔は安さや数にこだわっていたけれど、今は「本当に長く使えるか」「自分の生活に合っているか」を基準に考えるようになった。

最新のガジェットもそのひとつだ。
仕事の効率を上げてくれるし、使うたびに「いい買い物をしたな」と感じる。
モノが少ないからこそ、ひとつひとつにちゃんと向き合える。
道具を大事にすることで、自分の時間や仕事にも丁寧さが生まれる気がする。

質のいいモノを少しだけ持つ。
それだけで、人生の充実度は大きく変わる。
たくさん持つ豊かさよりも、少なく持つ満足感のほうが、ずっと深く心に残る。

知識を、体験することで、見識に変える

探検家の女性
40代にもなれば、どんな話題でも最低限の会話ができるくらいの知識は、誰にでも身についていると思う。
本を読めば知識はいくらでも増えるけれど、体験が伴わなければそれはただの「ウンチク」にすぎない。

知識は、実際に体験することで「見識」に変わる。
そして「見識」に覚悟が加わると、さらに一段上の「胆識(たんしき)」になる。

「胆識」という言葉はあまり聞きなれないかもしれない。
簡単に言えば、決断力と実行力を持った“生きた見識”のことだ。
頭で分かっているだけでなく、自分の中に落とし込み、実際に動けるようになった状態。

私自身、好きなモノを買って「失敗したな」と感じたことは何度もある。
本を一冊読んでつまらなくて途中でやめたこともあるし、興味を持って始めたことがすぐに続かなくなったこともある。
でも、その「失敗」の積み重ねが、自分の感性や判断を育ててきたと思う。

一度つまらなかったからといって、もう二度と手を出さない人がいる。
けれど、それでは見識で止まってしまい、胆識には届かない。
体験を通して失敗して、それでも自分の考えで動き続ける。
その繰り返しが、覚悟を育てる。

「失敗して学ぶ」とは、まさにこのことだ。
苦い経験ほど、自分の中に確かな価値観を作り上げていく。
それが、年齢を重ねるほどに滲み出る“生きた知恵”になるのだと思う。

したいことが見つからない人は、子供の時にしたかったことをする

童心にかえる女性
「したいこと」の探し方の基準は、一から何かを探すというよりは、子どもの時にしていたことを考えることです。中断していた自分の好きなことを、40代から続ければいいのです。
40代がもっと楽しくなる方法
「したいこと」を探すときは、ゼロから無理に見つけようとするよりも、子どもの頃にやりたかったことを思い出すほうが早い。
小さい頃に夢中になったことや、心がワクワクした瞬間の中に、今も変わらない“本音”が隠れている。

私も子どもの頃、親にいろんな場所へ連れて行ってもらいながら、「大人になったら自分の車で旅をしてみたい」とずっと思っていた。
そして大人になって車を手に入れ、ようやくその夢を叶えられるようになった。
今は愛車のエクリプスクロスphevで、時間を見つけては気ままにドライブに出かけている。
行き先を決めずに走るだけでも、子どもの頃の冒険心がよみがえってくる。

最近では「ソロ活」という言葉も広まり、一人で過ごすことが特別なことではなくなった。
カフェに行くのも、映画を観るのも、ドライブするのも、一人で十分楽しめる。
むしろ、誰にも気をつかわずに動ける分、自由を実感できる時間が増えた気がする。

だからこそ、童心にかえったつもりでいろいろ挑戦してみるといい。
子どもの頃にワクワクした感覚を思い出せば、人生はもう一度輝きはじめる。
年齢なんて関係ない。
やりたかったことを、今やってみる。
それだけで、人生は想像以上に楽しくなる。

定年や引退がないことをする

パソコンをする女性
40代からは、一生続けられるライフワークを持つことが大切です。仕事は定年がありますが、趣味や勉強には定年も引退もありません。定年や引退がないものを持てばいいのです。 「そういうものは時間がかかるから」と先へまわすのではありません。時間がかかるものから先に始める必要があるのです。もちろん、いくつになっても始めることはできます。人生を楽しんでいる人は、時間がかかるものを何かしています。
40代がもっと楽しくなる方法
仕事が趣味みたいになっていて、休みの日もつい仕事をしてしまう人って意外と多いと思う。
でも、仕事には定年がある。
その定年を過ぎたとき、仕事しかしてこなかった人ほど、急に何もすることがなくなってしまう。

私は職業柄、認知症の60代の男性と接することがある。
その多くは、定年後に“何をしていいかわからなくなった人たち”だ。
仕事を失って時間が余っても、新しい生きがいを見つけられない。
そうやって、心も身体もゆっくりと閉じていくように感じる。

だからこそ、40代からは「一生続けられるライフワーク」を持つことが大切だと思う。
人生を楽しんでいる人たちは、みんな時間がかかることを何かしらやっている。
時間をかけて育てる趣味、学び、表現。
それが日々を支える“軸”になっている。

私の場合、アウトドアではサイクリング、登山、一人旅。
インドアでは読書、ブログ、アニメを楽しんでいる。
どれも気分に合わせて続けられるし、年をとっても無理なくできる。
これらは、私にとってのライフワークだ。

私の父は78歳になるけれど、今でもログハウスを作ったり、軽トラを改造してキャンピングカーにしたりと、まるで現役のように動いている。
しかも実はYouTuberでもある。
『arthyotan』というチャンネル名で、手作りや旅の様子を楽しそうに配信している。
あんなふうに、いくつになっても夢中になれるものを持っている人は、本当に若々しい。

もし今「何をしたらいいかわからない」と感じているなら、まずは小さく始めてみるといい。
お金のかからない趣味でも十分に楽しめるし、それが人生のリズムを取り戻すきっかけになる。

会話量を増やすことで、人との距離感を学ぶ

乾杯をする二人の女性
ふだんから会話量の多い人は、会話のネタがたくさんあります。セクハラに問われないためには、ふだんから会話量を増やしておくことです。会話量を増やす一番のメリットは、人間と人間との距離感がわかることです。
40代がもっと楽しくなる方法
40代にもなると、話のネタがつきて、自慢話ばかりになってしまう人がけっこういる。
過去の武勇伝や、どれだけ忙しいか、どんな人脈があるか。
話しているうちに、気づけば「すごいだろ?」が口ぐせになっている。

自慢話を避けようとする人の中には、代わりに下ネタに流れてしまう人もいる。
でもここで言う“下ネタ”というのは、あからさまな話ではなく、「〇〇さんって彼氏いるの?」「結婚はまだ?」といった、相手のプライベートに踏み込みすぎた発言のことだ。
本人は雑談のつもりでも、聞かれる側にとっては不快に感じることもある。

こういう会話の失敗を防ぐために大切なのは、「普段から話しておくこと」だと思う。
会話量が多い人は、それだけ話の引き出しが多い。
相手との距離感も自然にわかってくる。

セクハラや失言を避けるには、結局これが一番の防御になる。
普段から色んな人と雑談していれば、どこまで話していいのか、どんな反応をされると相手が嬉しいのか、少しずつつかめてくる。

会話が少ないと、相手が自分をどう思っているのかが分からない。
「きっと自分のこと嫌ってるんだ」と憶測で決めつけてしまう人もいるけれど、ほとんどの人は他人にそこまで興味がない。
だから、怖がらずに少しずつ話してみることが大事だ。

仕事をやめる理由のほとんどは「人間関係」だと言われている。
人間関係の秘訣は、「距離感」に尽きる。踏み越えてはいけない一線は、決して超えずに保ち続けること。
心に折り合いをつけて うまいことやる習慣
でも、相手との距離感がつかめるようになれば、人間関係がこじれることはほとんどなくなる。
会話は、ただの言葉のやり取りじゃない。
お互いが“安心していられる距離”を探すための、いちばん大切な練習なんだと思う。

一見、逆走に見えることが、スタート

全然違う生き方を決心する女性
「折り返す」とは、今までのやり方とまったく違うやり方をすることです。40歳を境に、若返る人と一気に歳をとる人との2通りにわかれます。いつまでも若々しい人は、男性にも女性にもいます。老ける人は、崖を落ちていくように、一気に老けていきます。同窓会に行くと、その差が一目瞭然です。 「こんな先生いたかな」と思われる同級生と、昔とまったく変わらない、むしろ昔より若返っている同級生の2通りにわかれるのです。40代で、生き方の方向性をきちんと折り返したかどうかの差です。反転には覚悟がいります。
40代がもっと楽しくなる方法
40代になると、人生の折り返し地点に立っていることを実感する。
ある程度の経験を積んだからこそ、どこかで安心してしまい、毎日がマンネリ化していく。
新しいことに挑戦するのが億劫になり、「やる理由」よりも「やらない理由」を探すほうが得意になっていく。

失敗を恐れ、結局いつも同じ道を選んでしまう。
でも、同じことばかり繰り返していては、何も変わらない。
それどころか、考え方がどんどん固まり、見た目だけじゃなく、心まで年老いていく気がする。

経験をもとに判断するのは悪いことじゃない。
けれど、経験だけを頼りにしていると、方向を変える勇気がなくなる。
「今までこうだったから」という思考が、自分の未来を狭くしてしまう。

私もそうだった。
慣れたことの中に安心を求め、変化を避けて生きていた。
でもある日、「このまま同じことを続けても、何も面白くならない」と気づいた。
それからは、少しずつ新しいことを試すようにした。
新しい本を読む、知らない場所へ行く、今まで話したことのない人と話す。
ほんの小さな変化でも、心が動く瞬間がある。

どうせなら、40代を「第2の人生の始まり」と考えてみたらいい。
過去にしがみつくより、新しい自分を試すほうがずっと楽しい。
それが、40代をもう一度ワクワクして生きるための一番の方法だと思う。

自己研鑽をほどほどにして、自分の楽しみにお金を使う

遊びにお金を使う女性
最近はどこでも「自分を成長させるために自己投資をしろ!」と言われるようになった。
確かに、スキルを磨いたり、新しいことを学んだりするのは大事だと思う。
でも、ふと疑問に思うことがある。
「じゃあ、それって一体いつまで続けるつもりなんだろう?」と。

精神科医の中村恒子先生はこう言っている。

外来に来る患者さんと話していると、「今の会社では成長できない」とか「働く目標を見失った」と真剣に悩んでいる人がいますが、ちょっと難しく考えすぎやないかと思います。なんというか、力が入りすぎてるんですわ。仕事人生は、長~く続いていくものです。あんまり大きな期待や思い入れを持ちすぎていると、失望したりイラつく原因になります。

心に折り合いをつけてうまいことやる習慣
この言葉を聞いて、私はハッとした。
40代にもなれば、仕事での立ち位置もある程度決まってくるし、自分の得意・不得意もだいたいわかってくる。
何でもかんでも成長を目指すより、「もう十分頑張ってきた」と認めてあげてもいい時期だと思う。

もちろん、自己投資が悪いわけじゃない。
私も本を買ったり、知識を増やしたりすることには価値があると思っている。
でも、40代になった今は、そればかりにお金や時間を使うより、「自分が心から楽しいと思えること」にも投資したい。

私は、自分の中の「やりたい」を大事にしている。
逆に「やりたくない」と感じたことは、もう無理にやらない。
人に勧められたからとか、成長のためだからという理由では動かない。
自分の“楽しい”に正直に生きたほうが、人生はずっと豊かになる。

自己投資より、自分を喜ばせる投資を。
それが、40代からの生き方だと思う。

人生に疲れた40代独身でもまだまだ楽しめる!

最近、思いっきり笑ったことがあっただろうか。
大人になると、どうしても感情を抑えることを覚え、物事を冷静に受け止めるようになる。
それは悪いことではないけれど、心の底から笑う機会が減るのは少し寂しい。

40代で一番怖いのは、やっぱりマンネリ化だと思う。
知識や経験が増えた分、「どうせこうなる」と先が読めてしまう。
そうなると、新しいことを始める前に「それは無駄だ」「面倒だ」と考えて、何もしなくなる。
挑戦よりも安定を選ぶようになり、気づけば毎日が同じ繰り返し。

でも、今さら何かを始めるのに、メリットやデメリットを考えたところで、有名人にも成功者にもなれるわけじゃない。
だったら、無駄でもいいからやってみたほうが面白い。
無駄なことの中にしか、人生の“余白の楽しさ”は見つからない。

人生に疲れた40代独身でも、まだまだ楽しめることはいくらでもある。
結局、人生なんて「壮大な暇つぶし」なんだと思う。
そう考えると、もう少し肩の力を抜いて生きられる。

40代にもなれば、自分の会社がどれくらい昇給するのかも、だいたい分かってくるはずだ。
給料が上がらないのに、限界を超えてまで頑張る必要があるだろうか。
仕事は一生懸命やることが大事だけど、無理をしすぎると心が摩耗してしまう。

これからの生き方は、仕事も趣味も「ほどほどに一生懸命」がちょうどいい。
限界を超えない範囲でしっかり働き、休みの日は全力で楽しむ。
それが、40代からの“普通の人の最高の生き方”だと思う。
のんねこ
ミニマリスト
現在は理学療法士という医療従事者として働いていますが、かなりの底辺な人生を歩んできました。

22歳で大学中退⇒フリーターを10年以上経験⇒医学部再受験失敗⇒33歳で理学療法士養成大学に進学⇒37歳で理学療法士として初就職しましたが、人間関係のトラブルで40歳で無職に逆戻り。なんとか転職先を見つけて現在働いています。
こういった経験からお金を大切に使うためにミニマムに生きることにしました。

失敗ばかりで成功体験なんてほとんどありませんが、私と同じように社会の底辺の方でも、ミニマリストになることで人生を上手く生きていく方法をご紹介できたらと思います。
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