悩みねこ医学部再受験に失敗した場合、末路はどうなりますか?
この記事は、20代や30代で医学部再受験を考えている人に向けて書いている。
医学部再受験に失敗したとき、どんな末路が待っているのか。そして、もし失敗しても、その経験を無駄にしないためにはどうすればいいのか――そんなことを、私自身の体験をもとに話したい。
私は22歳で大学を中退し、その後5年間フリーターとして働いた。
27歳のとき、フリーターのまま医学部再受験を志した。
働きながら勉強を続けたけれど、結局夢は叶わず、33歳で医学部再受験を断念した。
この文章は、そんな私の経験から生まれたものだ。
先に結論を言えば、医学部再受験に失敗しても、完全に終わりというわけではない。
他の医療職を目指すことで、それまでの勉強を無駄にせず、人生を立て直すことはできる。
たとえば臨床検査技師、放射線技師、理学療法士など、医学の知識を活かせる道はある。
私も実際に、そうした医療職への道に進み、今は別の形で医療に関わっている。
ただ、医学部再受験に時間をかけるほど、失うものも多い。
その間に社会人として学べたであろう常識や、仕事の経験を積む機会はなくなる。
働いていたら得られたお金も消える。
たとえば年収400万円だとしたら、2年間で800万円を“勉強のために投げ出す”ことになる。
予備校に通えばさらに200万円ほどかかる。
働いたことがある人なら、200万円を貯めるのがどれだけ大変か分かるだろう。
だからこそ、医学部再受験という決断は、覚悟がいる。
夢を追う情熱だけでは乗り越えられない現実がある。
それでも私は、あの時間が完全に無駄だったとは思っていない。
勉強を通して、自分の弱さや限界、そして「努力しても叶わない現実」と向き合うことができた。
あの経験があったからこそ、今の自分の生き方や価値観が形になっていると思う。
医学部再受験は確かに厳しい道だけど、それを通して得るものもある。
失敗したとしても、それをどう意味づけるかは、結局自分次第だ。



医学部再受験てリスクが高すぎませんか!?
別の医療職を視野に入れたうえで、期間を決めて医学部再受験を目指すなら、勉強がまったくの無駄になることはない。だから、リスクが高すぎるというわけでもないと思う。
ただ、現実的に見れば、人生は思い通りにいかないことのほうが多い。努力すればなんとかなる――そう信じたい気持ちは分かるけど、実際はそう簡単じゃない。努力しても報われないことのほうが多いし、夢が叶う人なんてほんの一握りだ。だからこそ、「夢を追うこと」と「現実を見つめること」のバランスを取るのが大切だと思う。
私は、人生を悔いなく生きたいとずっと思ってきた。
でも今になって振り返ると、「悔いがない人生」なんて本当は存在しないんじゃないかとも思う。どんな選択をしても、あのときこうしていればと思う瞬間は必ずある。大事なのは、その後どう生きるかだ。どんな結果になっても、「あのときの自分は本気だった」と胸を張れるかどうか――それが一番の価値なんじゃないかと思う。
話が少し長くなったけれど、ここからは私が医学部再受験に失敗したあと、どんな道をたどったのかを具体的に話していきたい。
これから医学部再受験を目指す人には少し厳しく聞こえるかもしれない。でも、夢のきらめきだけでなく、その裏にある現実も知っておいてほしい。現実を知ったうえで覚悟を決めたなら、その挑戦には確かな意味があると思う。
目次
医学部再受験に失敗した後の末路
失敗した後の進路を考えていればそこまで悲惨な末路は待っていない



医学部再受験に失敗した後てどうなるんですか!?
医学部再受験は、失敗したあとに進路変更を考えていれば、思うほど悲惨な末路は待っていない。
ただし、そこに費やす時間とお金が増えるほど、失うものは確実に大きくなる。これは間違いない。
20代でしか得られない経験というのは本当に貴重で、あとから取り戻すことはできない。だからこそ、医学部再受験にすべてを注ぐというのは、人生の中で相当なリスクを伴う選択になる。
一番怖いのは、「自分は絶対受かる」「諦めたら試合終了だ」と思い込み、30代、40代になっても親の庇護のもとで延々と再受験を続けてしまうことだ。
この状態になると、夢がいつのまにか“現実逃避の理由”に変わっていく。
結局、医学部再受験の最大の問題は、「いつ諦めるか」を決められるかどうかに尽きる。
夢が生きがいになりやすいからこそ、見切りをつけるのは本当に難しい。
しかも、医学部再受験生といっても、社会から見れば“ただの無職”だ。
だからこそ、医学部を諦めた瞬間に「自分には何も残らない」と感じてしまい、アイデンティティを失う危険がある。
私の場合は、親と交わした誓約書と、心身ともに受験に疲れ切っていたことが、医学部再受験を諦めるきっかけになった。
あの誓約書の効果は本当に大きかった。自分で夢を諦めるというのは、想像以上に難しい。
何度も言いたいが、再受験を考えるなら、必ず期間を区切って誓約書を作るべきだ。
期限があるほうが、人は集中できるし、やる気も出る。
話を戻すと、私の場合は、親との誓約書を交わしてから、ようやく「医学部に落ちたらその後どうするか」を真剣に考えるようになった。
そのおかげで、受験に失敗したあとも引きこもらず、なんとか私立大学の理学療法士専攻に合格することができた。
医学部再受験をして唯一よかったと思えるのは、勉強したことがまったくの無駄にならなかったことだ。
医学の基礎を学んだおかげで、理学療法の勉強にもスムーズに入れたし、医療全体の視野を持てた。
自分に医学部合格の才能がないと分かったなら、レベルを落として他の医療職に進めばいい。大切なのは、自分に合った形で医療の世界に関わり続けることだと思う。
ただ、正直に言えば、私立大学より偏差値が低い理学療法士の専門学校には落ちている。
この理由については別の記事で詳しく書いているので、もし同じように理学療法士を目指すなら、ぜひ読んでみてほしい。
そこにも、現実の厳しさと、それでも前に進もうとする人間の姿があるからだ。
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年齢差があるほど、進路変更後の学校生活は大変
私と同じように医学部再受験に失敗して、他の医療職を目指す人は少なくないと思う。
だから、参考までに「アラサーで大学に通うのがどれだけ大変か」を正直に話したい。
私が理学療法士を目指して某大学に入学したのは33歳のときだった。
周りは18歳の新入生ばかりで、年の差は15歳。
正直、最初の1年間はほとんど誰とも話さなかった。
話が合うわけもなく、若者たちの会話に入る気力もなかった。
(もちろん、少しずつ打ち解けて友達もできたけれど。)
ただ、年齢の壁というのは想像以上に大きかった。
彼らにとっては大学が「青春の延長」だったけど、私にとっては「人生を立て直すための場所」だった。
その意識の違いは、日常の小さな会話や価値観の端々にまで表れていたと思う。
大学4年間、そして卒業して理学療法士として働き始めてからも、苦しむことはいくつもあった。
次に挙げるのは、特に強く感じた現実的な壁だ。
大学4年間、就職した後で辛かったこと
- 今まで何をしてきたのか、必ず聞かれる
- 歳相応の態度を求められる
- 若者の中に、おじさんが混ざっているので必ず浮く
- 大学でも実習先でも煙たがれる
- 就職した後も、上司や先輩はみんな年下
- 患者さんからみたら、私は歳を取っているのでベテランと勘違いされる
- 奨学金の返済が辛い



おじさんて言うなよ・・・グスン
もちろん、大学生活にはいいこともあった。仲のいい友達もできたし、若い人たちの中で学ぶ刺激も多かった。
でも、一度人生の道をそれると、その後の軌道も大きくずれていく。これは今になって強く感じていることだ。
今でも苦労しているのは、年収の問題、年金の問題、結婚の問題、そして精神的な未熟さだ。
年収は同世代に比べるとかなり低く、360万円ほどしかない。
40代男性の平均年収は約495万円、中央値が450万円と言われているから、私の年収は明らかに下のほうだ。
(出典:40代の平均年収はいくらくらい?男女別・職業別の中央値も徹底分析)
だから少しでも年収や将来の年金問題を軽くするために、今は実家暮らしを続けている。
そのおかげで、大学時代に借りた約500万円の奨学金はなんとかすべて返済できた。
実家暮らしにはいろいろな葛藤もあるけれど、現実的に考えればそれが一番の選択だったと思う。
精神的に自立することはもちろん大事だ。
でも、私は「自立=一人暮らし」ではないと思っている。
本当に大切なのは、将来、親や兄弟に金銭的な負担をかけないことだと思う。
そのために今できることを一つずつ積み重ねていく――それが今の私にとっての“責任を果たす生き方”だ。
高年齢で就職になると、結婚が難しくなる
結婚の問題について言えば、医学部再受験を終えた時の年齢が高ければ高いほど、確実に不利になる。
私の場合、今44歳だが、年齢の高さに加えて年収の低さもあり、まだ結婚できていない。
これは正直、覚悟していたことでもある。
医学部再受験を選んだ時点で、同年代の人たちが結婚し、家庭を築いていく中で、自分だけは“別の道”を進むことになると分かっていた。
ただ、頭では分かっていても、いざ自分が40代になって独りでいると、その現実の重さを実感する。
もしあの頃にもう少し現実的な選択をしていたら、今の生活は違っていたのかもしれない。
でも同時に、私はあの頃の選択を後悔しているわけでもない。
夢を追った時間があったからこそ、今の自分があると思う。
ただ、夢の代償として「結婚」や「安定」という現実的な幸福を遠ざけてしまったのも、また事実だ。
結婚可能性が5%以下になる限界結婚年齢を算出したところ、男 40・0歳、女 37・6歳となった。この年齢までに初婚していなければ、データ上はほぼ結婚は無理であることになる。あくまで統計上は、だが。「居場所がない」人たち ~超ソロ社会における幸福のコミュニティ論~
リンク
年齢が高くなればなるほど、結婚が不利になることは、誰でも感覚的に分かっていると思う。
でも実際のところ、就職していなければ結婚なんて話にならない。
だから、もし結婚を少しでも考えているなら、医学部再受験はできるだけ早めに終わらせておくべきだと思う。
私も経験して痛感したけれど、再受験は人生の時間を一気に持っていく。
受験勉強をしている間は社会との接点がほとんどなくなるし、同年代が結婚して家庭を築いていく姿を見るたびに、自分だけ取り残されていく感覚になる。
夢を追うことは素晴らしいけれど、人生には時間という限りある資源がある。
それをどう使うかで、後の選択肢が大きく変わってしまう。
結局のところ、「どのタイミングで現実と折り合いをつけるか」がすべてだと思う。
夢に全力を注ぐのもいい。でも、誰かと生きたいという気持ちがあるなら、そこも含めて計画的に考えたほうがいい。
医学部再受験が長引くと、精神が子供のまま年齢を重ねてしまう
最後に、精神の未熟さについて話したい。
社会人として働かない期間が長くなればなるほど、精神年齢は止まったまま歳だけを重ねていく。
これは本当に痛感している。
働くということは、理不尽に耐えることでもあり、人間関係を円滑にするための処世術を学ぶことでもある。
そして、仕事に責任を持つことが、自分を少しずつ成長させてくれる。
でも働かずにいると、そういった経験を積む機会がまったくない。
その結果、年齢だけが上がっても中身が追いつかず、社会に出たときに強烈なギャップに苦しむことになる。
私は37歳で初めて就職したけれど、正直なところ、社会人として当たり前のことが何もできなかった。
報連相もぎこちなく、立ち居振る舞いも幼かった。
年下の同僚からバッシングを受け、人間関係がこじれ、せっかく入れた職場も3年で辞めてしまった。
そのときは、本当に情けなかった。
自分が歳相応のマナーや言葉遣いができていないことが恥ずかしくて、惨めで仕方なかった。
けれど、これは社会に出て経験しなければ身につかないものだ。
本や勉強ではどうにもならない。
だからこそ、医学部再受験を目指すなら、「社会経験を失う」という現実をしっかり覚悟しておくべきだと思う。
夢を追うことは素晴らしいけれど、その裏側には、取り戻せない“時間の重さ”がある。
それを理解したうえで挑戦するなら、その覚悟は本物だと思う。
お金がないと完全に人生が終了する
医学部再受験を目指しているのに、お金がまったくないという人は少ないと思う。
けれど、もし本当にお金がなければ、他の医療職の学校にも進めなくなる。
そうなれば、選択肢が完全に途切れてしまい、人生の立て直しが極めて難しくなる。
医学部再受験で一番お金がかかるのは、間違いなく予備校だ。
学費だけでなく、交通費や生活費も重なって、気づけば数百万が消えていく。
だからこそ、リスクを考えるなら、私は予備校には絶対に通わないほうがいいと思っている。
最近は、独学でも十分戦える環境がある。
教材も参考書もネットで手に入るし、YouTubeや通信講座などを使えば、コストを抑えて効率的に勉強できる。
お金をかけるよりも、自分で考え、自分のペースで学ぶ力を鍛えたほうがはるかに価値があると思う。
医学部再受験は、ただでさえ時間と体力を奪う挑戦だ。
そこにお金の不安まで抱えたら、心がもたない。
もし挑戦するなら、「万が一失敗しても、次の一手を打てるだけの資金」を必ず残しておくべきだ。
それができないなら、再受験を始める前に、もう一度立ち止まって考えたほうがいい。
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実際にどれくらいお金が必要かというと、まず初年度の学費――だいたい170万円ほど――さえ払えれば、あとは奨学金とアルバイトでなんとかなる。
ただし、奨学金は“借金”だということを忘れてはいけない。
在学中は助かっても、働き始めてから本当に苦労することになる。
学校に通う4年間でかかる学費は、諸経費も含めるとおおよそ500万〜1000万円近くになる。
それに対して、就職しても高年齢だからといって給料が高いわけではない。
新卒扱いになるから、手取りは20万円そこそこ。
そこから奨学金の返済が月3万円近くあると、実際に使えるお金は17万円ほどしかない。
一人暮らしをしていたら、正直、かなり厳しい生活になる。
私もそうだったけれど、家賃や食費を抑えるために実家暮らしを選ぶ人は多い。
経済的には確かに助かるが、精神的にはやはり苦しい。
周りの同年代が家庭を持ち、子どもを育てている中で、自分はまだ“生活を立て直す途中”にいる。
その現実を受け入れるには、相応の覚悟がいる。
だからこそ、学生のうちからアルバイトをして、できるだけ奨学金の負担を減らしておくべきだと思う。
返済を少しでも軽くすることが、将来の自由につながる。
借金を返すために働くのではなく、自分の人生を生きるために働けるように――そのための準備を今のうちにしておいてほしい。
医学部再受験者が、進路変更を考えるなら
医学部再受験を目指すなら、他の医療職も視野に入れておいたほうが無難だと思う。
なぜなら、医療系の資格は、たとえ経歴が悪くても、職歴がなくても、年齢が高くても比較的就職しやすいからだ。
医学部を諦めても、医療の道そのものまで諦める必要はない。
むしろ、医療職として現場に立つことで、自分の中の“医療への想い”を形にできると思う。
私が最終的に理学療法士を目指したのにも、いくつかの理由がある。
医学部に落ちたあとも「人の体と健康に関わる仕事がしたい」という気持ちは消えなかった。
医師にはなれなくても、リハビリを通して人の回復を支えることなら、自分にもできると感じた。
そしてもう一つは、理学療法士という仕事が、年齢や学歴に関係なく努力次第で道が開ける職種だったからだ。
私が理学療法士を目指した理由
- 理学療法士、作業療法士、言語聴覚士、臨床検査技師、放射線技師、看護師が私の成績でいけるところだった
- 看護師は給料は高いと聞いていたが、女性社会で夜勤もあるので除外した
- 臨床検査技師、放射線技師はあまり患者さんと接する機会が少なく、地味な印象が強かった
- 理学療法士、作業療法士、言語聴覚士の中では、身体機能の回復を図るという点では理学療法士が一番魅力的にみえた
- 給料はなんとかなるだろうとあまり深く考えていなかった
知識や経験がないうちは、私と同じような理由で医療職を選ぶ人が多いと思う。
私もそうだった。医師になれなくても、医療の世界に関わりたいという気持ちだけは強かった。
理学療法士になって、もう6年目になる。
今振り返ると、結局は自分の能力に合った場所に身を置くことが、一番楽に生きられるということを実感している。
たとえ医学部にギリギリで合格できたとしても、周りは優秀な学生ばかりだ。
そこで生き残るのは簡単じゃない。
相対的に見れば、自分が劣っているように感じてしまい、劣等感に苦しむことになるだろう。
それなら、自分の力が発揮できる場所で頑張ったほうがいい。
自分のペースで努力が報われる環境のほうが、ずっと活き活きと生きられる。
私はそう思う。
何年も医学部再受験を続けた私が言うのもなんだが、期限を決めて、他の医療職に進むことも視野に入れておいたほうがいい。
努力すればするほど、プライドが高くなるほど、方向転換は難しくなる。
でも、人生は有限だ。
失った時間はどれだけ後悔しても戻ってこない。
だからこそ、「医学部にこだわらない」という柔軟さを持つことが、本当の意味で自分を救う選択だと思う。
医学部再受験後から10年後、他の医療職の選択は間違いではなかったのか?
理学療法士の大学に入学して、就職してからもう10年になる。
この道を選んで正解だったかどうか――結論だけ言えば、「給料以外は概ね満足している」というのが本音だ。
給料の実態については別の記事で詳しく書いているのでここでは省くが、理学療法士の年収の中央値はおよそ350万円ほど。
平均値よりも中央値のほうが現実を反映しているから、どれだけ理学療法士の給料が低いか、なんとなく想像がつくと思う。
とはいえ、仕事そのものにはやりがいがある。
一人の患者さんに最低でも20分は付きっきりでリハビリを行うことができる。
その時間の中で、患者さんの表情や体の変化を直接感じ取れるのは、この仕事ならではの魅力だ。
病院で「ありがとう」と言われるのは、たいていドクターかナースだと思う。
放射線技師や臨床検査技師に感謝の言葉をかける人はあまりいない。
でも理学療法士は違う。
怪我や病気でリハビリを受けた人の多くが、私たちに直接「ありがとう」と言ってくれる。
その瞬間、努力してきた意味を実感する。
理学療法士の仕事は、医療で言えば“薬の部分”にあたると思っている。
手を使い、言葉を交わし、目の前の人を少しずつ良くしていく。
技術が上がれば、結果が変わる。
その分、自分の成長をダイレクトに感じられるのもこの仕事の魅力だ。
結局のところ、仕事内容には満足している。
ただ、給料面だけはどうしても納得がいかない。
理学療法士として6年働いてきた今でも、その思いは変わらない。



もっとお金欲しい・・・
だからこそ、私は今、理学療法士の仕事を続けながら、こうしてブログという副業にも力を入れている。
医療の現場で得た経験を発信しながら、自分なりの生き方を模索している。
それが今の私にとって、最も現実的で、そして心のバランスを保てる生き方だと思っている。
医学部再受験で悲惨な末路を送った理由
感情を揺さぶられも、やる気は長くは続かない
私が医学部再受験を目指した理由は、当時付き合っていた彼女が病気になったことだった。
そのとき、何もしてあげられなかった自分が悔しくてたまらなかった。
泣くほどに心が揺さぶられ、「彼女を守れる男になるために、絶対に医者になる」と一大決心をした。
おそらく、私と同じように一時的な強い感情から医学部再受験を決意する人は多いと思う。
大切な人を失ったり、自分自身が病気になったり、あるいはドラマやニュースに影響を受けたり――そのきっかけはさまざまだ。
特に医療系のドラマは感情を刺激するものが多い。
『コード・ブルー』や『ドクターX』『コウノドリ』などを見て、「人を救う仕事がしたい」と思う気持ちは痛いほど分かる。
私もそうだった。
ただ、どれだけ想いが強くても、年月が経つにつれてその感情は薄れていく。
医学部再受験は長い戦いだ。
最初の情熱だけでは続けられない。
疲労や焦り、孤独、現実的な不安が積み重なると、あれほど燃えていた気持ちが少しずつ冷めていく。
結局、人を動かすのは感情だ。
でも同時に、感情は時間とともに必ず変わっていく。
その感情に頼りすぎると、気持ちが揺らいだ瞬間にすべてが崩れてしまう。
だからこそ、医学部再受験を本気で目指すなら、「感情」ではなく「覚悟」で動く必要があると思う。
覚悟は、情熱が冷めても続く。
感情が薄れても、立ち止まらずに前へ進める力になる。
医学部に受かるまで続けようと思うと、終わりが見えず失敗する
私の医学部再受験での第二の失敗は、「何年も続けるつもりでいたこと」だった。
正直に言って、医学部再受験を何年も続けるのは、精神的にも金銭的にも、そして将来的にも良くない。
夢を諦めないこと自体は素晴らしい。
けれど、医学部再受験に失敗して40代を迎えたとき、現実は残酷だ。
まともな就職先はほとんどなく、そこから人生を立て直すのは相当難しい。
つまり、夢を追うつもりが、気づけば人生そのものを犠牲にしてしまう危険がある。
最初の1〜2年は、「絶対に医者になる」という強い感情が原動力になる。
けれど、時間が経つにつれてその情熱は薄れ、焦りや不安がどんどん膨らんでいく。
心の中で「もしかしたら無理かもしれない」という小さな声が広がっていき、気づけば精神的にも限界を迎える。
金銭的にも、負担は大きい。
参考書、予備校、定期代、生活費――すべてが積み重なっていく。
その間に、本来なら働いて得られた収入も失うことになる。
そして、年齢を重ねれば重ねるほど、再受験に失敗した後の人生はどんどん不利になっていく。
私の場合、初めて就職したのは37歳だった。
この年齢での新卒はかなりのハンデだったし、親にも大きな迷惑をかけた。



医学部再受験をするなら、必ず期限を決めましょう。
だからこそ、今振り返ると、「3年でダメだったら諦める」と自分で期限を決めておくべきだったと思う。
むしろ、それくらいの覚悟を紙に書いて“誓約書”として残すくらいがちょうどいい。
期限を決めることで、人は本気になれる。
ちなみに、私は最終的に親と誓約書を交わしたことで、ようやく医学部再受験を諦める決心がついた。
あのとき書いた誓約書がなければ、今でもどこかで「もう一年だけ」と言い訳をしていたかもしれない。
医学部再受験に失敗した後のことを考えるのが遅すぎた
私が医学部再受験に失敗したあと、ようやく「この先どうするか」を考え始めたのは、再受験を始めて5年目に入ってからだった。
5年間も医学部再受験を続けてきたけれど、正直、最後の1年でようやく目が覚めた。
それは、親と誓約書を交わしたおかげだったと思う。
私はずっと「絶対に医学部に受かる」と思い込み、失敗したあとのことを何も考えていなかった。
それが、私の第三の失敗だ。
医学部再受験というのは、時間をかければかけるほど不利になる。
年齢が上がるほど就職の道は狭まり、生活の基盤も崩れていく。
だから、本気で目指すなら、短期決戦で終わらせる覚悟が必要だと思う。
人生はゲームのようにリセットできない。
一度過ぎた時間は二度と戻らない。
私も20代という貴重な時期を、ほとんど受験勉強に費やしてしまった。
もちろん後悔だけではないけれど、「あの時間をもう少し有効に使えたら」と思う瞬間は今でもある。
もし今、医学部再受験を考えている人がいるなら、どうか自分の時間の価値を見誤らないでほしい。
夢を追うことと、人生を犠牲にすることは違う。
その線引きを間違えないことが、何よりも大切だと思う。
予備校はリスクが高すぎる
受験勉強の疲れや、一人で勉強を続ける孤独感。
そして肩書はフリーターのまま、親にも迷惑をかけている――そんな状況が続くと、精神的にどんどん追い詰められていく。
そうなると、「予備校に通えば何か変わるかもしれない」と思うようになる。
実際、医学部専門の予備校に通うと、同じ再受験仲間と出会え、一緒に励まし合いながら勉強できる。
それ自体は、本当に救われる部分だった。
孤独な受験生活の中で、仲間がいることのありがたさを強く感じたのを覚えている。
ただし、現実は厳しい。
予備校は1年で交通費も含めると100万円以上かかる。
そして多くの医学部再受験者は、働いておらず、収入もない。
それを考えると、予備校に通うのはハイリスク・ハイリターンな選択になる。
私は最終的に、医学部に合格できなかった。
だからこそ今ははっきり言える。
予備校に通うお金があるなら、失敗した後の進路変更に使うほうがはるかに有意義だ。
医学部再受験の成功率は決して高くない。
それを踏まえるなら、最初からリスクを減らしておくのが賢明だと思う。
正直、独学で勉強できないようなら、再受験そのものを一度立ち止まって考えたほうがいい。
医学部は、ただ頑張るだけでは合格できない。
限られた時間とお金の中で、どれだけ現実的な判断ができるかがすべてだ。
私はその判断を誤った。
何も分からないまま予備校に2年間通い、合計で200万円以上をドブに捨ててしまった。
これが私の第四の失敗だ。
努力すれば医学部に受かると思っていた
いろんな勉強法の本を読み、自分なりに効率よく勉強しているつもりだった。
勉強時間を確保するために睡眠を6時間に削り、予備校への道のりも歩きながら単語帳を開いていた。
それくらい必死だった。
けれど、どれだけ努力しても、人にはどうしても越えられない壁がある。
持って生まれた才能や理解力の差は、努力だけでは埋められない。
100mを9秒台で走れないように、頭の良しあしにもどうしても限界がある。
センター試験(共通テスト)で9割を取る壁は、とてつもなく高かった。
私は「勉強は2次関数的に伸びる。今はまだ初期だから伸びないだけだ」と自分に言い聞かせながら勉強を続けていた。
でも、現実はそんなに甘くなかった。
いくら努力しても成績は上がらず、いつのまにか“頑張ること”が目的になっていた。
自分の能力を過信し、限界を見極めなかったこと――それが、私の第五の失敗だ。
人の能力は、半分は遺伝で決まり、もう半分は環境で決まると言われている。
つまり、生まれた瞬間に人生の方向性はある程度決まっているということだ。
最近は「親ガチャ」という言葉がよく使われるけど、それはあながち間違いではないと思う。
親が裕福なら、教育にかけられるお金も違う。
結局、努力のスタートラインそのものが違うのだ。
実際、東大生の親の半数は世帯年収950万円以上と言われている。
もちろん、努力次第で変えられる部分もある。
けれど、努力の結果を左右するのは、才能や環境という“見えない条件”だという現実を、私は医学部再受験を通して痛いほど思い知らされた。
それを受け入れるのは悔しいことだが、同時にそれが「現実を直視する」という意味なのだと思う。
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努力は才能に勝てない。科学的に証明されている。
努力しても結果はでません・・・努力は才能に勝てないのでしょうか? 努力すれば志望校に受かる、努力すれば年収が高くなる、努力すればモテる誰もがそう思いたい。しか…
医学部再受験で私と同じ末路を送らないために
社会人として収入を得ながら、余暇で夢をかなえる
社会人が医学部再受験をする場合、仕事を辞めてはいけない。
これは間違いなく言える。
収入がまったくなくなるというのは、想像以上に精神的なダメージが大きい。
お金が減っていく不安に加え、再受験は孤独との戦いでもある。
毎日ひとりで机に向かい、誰とも話さない生活を続けていると、確実に心がすり減っていく。
精神的に追い詰められると、集中力も下がり、勉強の効率もどんどん悪くなる。
だからこそ、仕事をしながら再受験の勉強を進めることを強く勧めたい。
社会人を続けながらでも、大学入学共通テスト(旧センター試験)で6割〜7割を取ることは十分可能だと思う。
少なくとも、基礎を固める段階までは仕事を続けておくべきだ。
仕事を辞めるのは、基礎学力がしっかり身についたあとでも遅くはない。
「そんな悠長なことを言っていて間に合うのか?」と思うかもしれない。
でも、努力には“限界効用逓減の法則”というものがある。
これは、努力のうち20%で成果の80%を得られるという考え方だ。
つまり、最初の限られた努力で大部分の成果は出せる。
逆に、残り20%の成果を求めて過剰に時間を費やすのは、効率が悪く、精神的にも持たない。
だから、焦らず、まずは“生活の安定”を優先してほしい。
生活が安定していれば、勉強にも集中できる。
そして、集中できる時間の質こそが、最終的な結果を決める。


つまり、大学入学共通テストで8〜9割を取ろうと思えば、相当な努力と才能が必要になる。
けれど、6割くらいなら、働きながらでも十分に達成できる。
だからこそ、医学部再受験を目指すなら、仕事を続けながら勉強時間を確保することが大切だと思う。
私のお勧めは「朝」だ。
私自身も今こうして朝にブログを書いているけれど、朝は脳がリセットされた状態で一番集中できる時間帯だ。
夜は疲れが残っているうえに、気持ちも散漫になりやすい。
でも、朝は静かで、誰にも邪魔されず、自分と向き合える時間がある。
だから、勉強をするなら朝活として取り入れてみてほしい。
たとえ出勤前の1時間でも、毎日積み重ねれば確実に力になる。
少しずつでも続けることが、結果的に一番の近道になる。
社会人をやめるとしても、期限を設定して、夢を追いかける
何度も同じ話になりますが大切なので何度もいいます。
医学部再受験をする場合は必ず期限を決めましょう。一番よくないのが、あと少しで医学部再受験に届きそうだからあと1年だけ続けようと期限を延ばしてしまう場合です。
自分との約束、周りとの約束を反故をする行為は自分自身にも周りにも信頼を失ってしまいます。
自分の信頼を失うと言われても分かりにくいかもしれませんが、『約束を守れない自分』というレッテルを自分に貼ってしまうのです。
それぐらい約束をいうものは大切なモノであり、簡単に破っていいモノではありません。
約束を破って1年続けたとしても医学部再受験は成功しないでしょう。
少なくとも私は後1年後1年と何度も約束を破ってきましたが、成績が上がるどころか下がってばかりでただ人生を無駄にするだけに終わりました。
約束を守る自信がない人は親と誓約書をかわし、その期間だけ必死に勉強をしましょう。
それが合格への近道です。
睡眠時間は必ず8時間は取る
医学部再受験で一番やってはいけないことは、睡眠時間を削って勉強することだ。
6時間睡眠でも「結構寝ているほうだ」と思うかもしれない。
でも、実際には6時間睡眠の状態というのは、日本酒を1〜2合飲んだときと同じくらい、認知機能が落ちているらしい。
つまり、眠い目をこすりながら勉強しても、酔っぱらい状態で問題を解いているのと大差ない。
私は医学部再受験をしていた頃、「勉強時間こそすべて」だと信じていた。
6時間睡眠を続け、寝不足のまま机に向かい、気力だけで踏ん張っていた。
けれど今になって思うと、あれこそが再受験で一番よくない行為だったと思う。
勉強で大切なのは、根性でも時間でもなく、自分の能力を100%発揮できる状態を作ることだ。
人にはそれぞれ才能の差がある。
だからこそ、自分のコンディションを整えて、最大限のパフォーマンスを出すことが重要になる。
私は自分の能力を出し切れないまま、医学部再受験を終えてしまった。
もし、あの頃しっかりと8時間の睡眠を取っていたら、違う結果が待っていたかもしれない。
そう考えると、あの無理な生活が本当に悔やまれる。
だから、これから医学部再受験を目指す人には、はっきりと言いたい。
睡眠時間は7〜8時間、必ず確保すること。
眠気を我慢して机に向かうより、よく寝て、頭が冴えた状態で1時間集中するほうが、何倍も効果がある。
自分の体と頭を大切にすることが、最終的に合格への一番の近道だと思う。
勉強の合間に運動をする
運動が脳にいいことは、今では誰もが知っていることだと思う。
けれど、医学部再受験となると「勉強時間の確保」が最優先になり、どうしても運動を後回しにしてしまう。
医学部再受験者の66%が、1日10時間以上勉強しているというデータもあるらしい。
ただ、実際のところ、そのうちどれだけの時間を本当に集中して勉強できているのかは分からない。
はっきり言って、1日12時間も集中して勉強できるのは一部の限られた人間だけだと思う。
ごく普通の人間が3時間集中するだけでも、かなりのエネルギーを使う。
私も一応は毎日10時間以上勉強していたけれど、正直なところ、ダラダラと机に向かっていただけで、ほとんど頭に入っていなかった。
それなら、運動を取り入れて、脳をリフレッシュさせた状態で勉強するほうがはるかに効率がいい。
軽く体を動かすだけでも、血流が良くなり、脳への酸素供給が増える。
その結果、集中力も記憶力も格段に上がる。
結局、勉強というのは時間の長さではなく、「どれだけ集中できたか」で決まる。
だから、私は今でも“運動と集中した勉強を交互に繰り返す”というサイクルが、一番理にかなっていると思っている。
少なくとも、あの頃の私に伝えられるなら、こう言いたい――「もっと歩け。もっと動け。そのほうが頭は冴える」と。
集中力や注意力も、運動をしている人のほうが上まわっていた。その差は一目瞭然で、 運動をしている女性は脳が機能的に3年分若かった。つまり知的な能力が、生物学的におおむね3年若返っていたのである。 この場合も、やはり過酷な運動は必要ないとされ、 毎日20分ほど歩くだけで充分だと考えられている。運動脳
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毎日20分ほど歩くだけでも、集中力や注意力は確実に上がる。
だから、たとえ医学部再受験の真っ最中でも、運動だけは続けてほしい。
受験は体力勝負だ。
長期戦を乗り切るには、脳だけでなく身体のコンディションも整っていなければならない。
歩く、ストレッチをする、軽く走る――どんな形でもいい。
血流を促して脳を活性化させることが、結果的に勉強効率を上げる。
結局、頭と体はつながっている。
どちらか一方を犠牲にすると、もう一方も必ずパフォーマンスが落ちる。
だからこそ、脳と身体の力を最大限に引き出して、自分の能力を120%発揮できる状態をつくること。
それが、医学部再受験を戦い抜くための一番の秘訣だと思う。
自分の才能を見極める
睡眠をしっかり取り、運動を続け、効率的に勉強しても、必ず成績が伸びない時期がくる。
そのときこそ、自分の才能の限界を知る瞬間だと思う。
だからこそ、あらかじめ自分で決めた「医学部再受験の期限」がきたら、きっぱりとやめること。
それが、今後の人生を優位に進めるための最善の判断になる。
自分の限界を知ることは、決して悪いことじゃない。
むしろ、「自分が賢いのか、それともそうではないのか」をはっきりさせることで、ようやく自分に合った職業を見つけられる。
私は最終的に理学療法士になった。
今では、この仕事が自分の能力に合っていると心から思っている。
たとえ受験なしで医学部に入れたとしても、周りのレベルの高さに圧倒され、劣等感を抱えて落ちこぼれていたと思う。
医者になれるのは、「努力ができて、なおかつ才能がある人」だけだ。
努力すれば誰でも医者になれるわけではない。
そこを勘違いしてはいけない。
医学部再受験をまったくの無駄にしないためには、自分の才能を見極めることが大切だ。
その見極めこそが、次の人生を切り開く第一歩になる。
医学部再受験の末路を知った上で医学部に望もう!
スラムダンクの安西先生の「諦めたら試合終了だよ」に背中を押されて、諦めずに頑張る人は多いと思う。
でも、人生には諦めなければ前に進めないことがたくさんある。アニメの名言を鵜呑みにして、自分の現実から目をそらしてはいけない。
医学部は、限られた才能と条件を備えた人だけが合格できる場所だ。凡人の私には到底届かなかった――これは、私が身をもって知った現実だ。
とはいえ、再受験の前から自分の限界値なんて分からないし、簡単に諦められるなら最初から医学部再受験なんて志していない。結局のところ、やってみなければ納得できないのもまた事実だ。
だから私は、挑戦自体は肯定する。ただし、何度も言うが期限を決めることが絶対条件だ。期限がない挑戦は、貴重な時間とお金を無制限に溶かしていく。
私は5年間、医学部再受験を続けた。もし年収400万円で5年間働いていたら、2000万円を得られていた計算になる。さらに予備校に200万円。お金だけで見ても2200万円を失った。
失ったのは金だけじゃない。27歳から33歳の取り戻せない時間、当時の彼女との関係、友達に会えなくなるほどの情けなさ、家族にかけた迷惑、そして自信――私はまさに人生のどん底にいた。
私の言葉を鵜呑みにする必要はない。けれど、同じ後悔をしてほしくない。
挑戦するなら、期限を決めて、引き際を自分で守る覚悟を持ってほしい。
その覚悟こそが、挑戦を“美談”で終わらせず、次の人生に繋がる資産に変えてくれる。


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