インスタをはじめとしたSNSでは旅行や旅は贅沢三昧でお金がない人には到底真似なんかできません。
少なくとも社会の底辺である私にはお金がないので真似が出来ません・・・。
しかし、本当に旅行や旅に行くことがあなたにとっての目的なのでしょうか?
みんなが勧めるような旅行や旅に行きたいわけじゃないんだよね。
何かしたいわけじゃなくて、ただ遠くに行きたい気分なんだ。
実際は、日々の仕事のストレスなどでこういった気分のときの方が多いように感じます。
インスタ映えするような旅行や旅はお金を使うことが前提で、貧乏人にとってはかなりの難易度高めです。
観光地は、お金はかかるし、人ばかりだし余計に落ち込むよ。
そもそもあなたの本音は、旅や旅行で観光地に行きたいわけではなく、ただ現実から距離を取りたいだけだと思われるのです。
今回は、どこかに行きたいと悩んでいるあなたにピッタリな本をご紹介します。
タイトルはズバリ『どこでもいいからどこかへ行きたい』です。
この本の著者であるphaさんも無性にどこかに行きたくなることがあるようで、現実から距離を取るために定期的にどこかに出掛けられています。
phaさんは、日常では気づかないことに気づくために「今までと違ったことをして、違う場所にいってみる」ことをおススメしています。
違う場所というのは、ただ今いる場所から離れるだけでよく、インスタ映えするような場所に行くことを指していません。
私たちは毎日様々なストレスを抱えて日常を送っています。
そのストレスが溜まりに溜まって、気分の落ち込みへと繋がります。
しかし、日常をただ送っていると自分の体のSOSに中々気づけません。
日常から距離を取ることによって、自分を客観視することがいかに大切かをこの本は教えてくれます。
phaさんはどんな人?
phaさんは、「日本一有名なニート」という謎の肩書を過去に持ち、長年にわたってギークハウスというシェアハウスを運営していました。 今は一人で住んでおり、文章を書いて生計を立てているみたいです。
若い頃はエネルギーがあったので、「何か大きいことをやらなきゃ」という思いも多少はあったんです。それでいろいろやってきたけど、この歳になると「自分にできるのはたいしたことじゃない」「自分が頑張っても、世界は変わらない」と気づいてしまったんです。
どこでもいいからどこかへ行きたい
結構なダメぷりですが、わたしも43歳になるのでまったく同じ気持ちです。
人生が半分終わってしまうと自分の能力の限界や性格が99%わかってしまうので、努力して何かを掴むよりも、残りの人生どうやって楽しく過ごそうかにシフトしてしまいます。
歳を取ると、夢を追いかけるとか、何かを頑張るとかエネルギーがどうしてもわかなくなってくる・・・
残りの半分努力し続けて何も手に入らなかった場合、空しさしか残りませんが、楽しく生きていれば後悔することはありません。
十分あなたは努力してきました。そろそろ努力ではなく、人生を楽しむことにシフトしていっても罰はあたりません。
ちなみに最近はなるべくお金を掛けずにソロ活でエンジョイしています。
どこかに行く=観光地巡りではない
毎日毎日同じことの繰り返しで嫌になる。
どこかに行きたいけれど、観光地みたいな人混みが多いところは嫌いだな~。
どうしても旅行となると観光地巡りというイメージが強く、移動時間を楽しむというより、観光地で楽しむことが多いです。
僕が旅に求めているのは、珍しい経験や素晴らしい体験ではなく、単なる日常からの距離だけです。
どこでもいいからどこかへ行きたい
決まった時間に起き、同じルーティンで過ごし、決まった時間に会社に行く。帰ったら、また同じルーティンを繰り返す。 同じ場所、同じ風景、同じ人。
旅で一旦日常をリセットして距離を取って振り返ってみると、普段の生活のおかしさや行き詰りや、もしくはなんでもないようなことが幸せだったと気づいたりする。
どこでもいいからどこかへ行きたい
旅の移動時間でいろいろ考えます。
「どこに行っても街の風景はそんなに変わらないな」とか、「綺麗な景色をみててもすぐ飽きるな」とか、「将来どうしようかな」とか。
いつもの日常から距離を取ることで、今の生活の良さだったり、求めすぎている自分に気づいたり、結構毎日幸せだったんだなと気付くことがあるんですよ。
旅自体に何も意味がなく、楽しいと感じなくても、距離を取って考えたことに意味があると思います。
日常から距離をとるのって大切・・・。
毎日幸せだったんだな。
人生を劇的に変えてくれるもの
結論からいいますと、phaさんはそんなものは存在しないと言っています。
憧れていたものを実際に手に入れても、世界も自分も大して変わらなかった。人生を劇的に変えてくれる「何か」なんて存在しなかった。
どこでもいいからどこかへ行きたい
恥ずかしながら、夜の営みをしたら、本物の男になれると思っていた若き青春の時期がありました(笑)
人生の転機と呼ばれるものはあると思いますが、結局人間の本質なんてそんなに変わらないと思います。
人生を変える出会い、本、旅・・・そんなものは存在しなかった
人てどんな環境においても、いつかは慣れますよね。 何かに挑戦してもいつかは慣れ、飽きがくる。 「人生とはこうゆうものか」という悟りみたいな気持ちになります。
世界に画期的な変化なんてほとんど起こらなくて、ほとんどは少し世界の見方を変えることで何かが変わった気がするだけだ。
どこでもいいからどこかへ行きたい
考え方次第で、世界の見え方が変わった経験はよくあります。 「青い鳥」という本を読んでから、「幸せは求めるものではなく、気づくものだ」ということを知り、世界ががらりと変わりました。 病気をしていようが生活保護を受けていようが、何をしていようが、もともと幸福というのは足元にあります。
親が元気でいる、毎日ご飯が食べれる、自分を大事に思ってくれる職場がある・・・幸せだったな~
散歩の仕方
遠くまで海外旅行をしたとしても、物を見る姿勢に新しさがなければ、ガイドブックに載っている情報をなぞるだけで何も新しい気づきを得ずに終わるだろう。
どこでもいいからどこかへ行きたい
細かい場所に面白さや新しさを見いだせる視点さえあれば、家の近所を散歩しているだけでも毎日新たな発見がある。既知と思っていることの中にもいくらでも未知は隠れているものだ。
どこでもいいからどこかへ行きたい
自転車より散歩が好きです。 理由は、速度が遅い分、細かいところに気づけるからです。 同じ場所でも四季の移り変わりがよく分かります。 アジサイが咲いたら梅雨の訪れを感じ、蝉が泣き止んだら夏も終わりかと感慨深くになります。 少しいつもと違う道を通るだけで、「こんなところに神社があったのか」と新しい発見ができ、「この細い道通ったらどこに通じているんだろう」と冒険心をくすぐられます。 近くであっても十分冒険できます。 目の位置を少し変えるだけでもどんな場所にも楽しみは見いだせるものだと思っています。
近所を歩いているとたまに挨拶されるから、ちょっと嬉しい
どっかに行くことで家の良さが分かる
結局、自分が欲しいものは最初から全て小さい部屋の中にあった。外に何かを求める必要はない。どこでもいいからどこかへ行きたい
私たちがどこか遠くへ行く理由は、家の良さを改めて再認識するためでしょう。
距離にもよりますが、どこかに出掛けると大抵疲れます。
遠くへ行けば行くほど、疲れれば疲れるほど、家に帰るとほっとし、改めて家の良さに気付くことができます。
逆に家にずっといるとそれはそれで嫌になってきて、遠くに行きたくなってきます。
要するに人は定期的に自分の部屋の良さに気付くために、今いる場所から離れる必要があるということです。
出掛けても楽しいとは限らないし、お金は使うし、疲れるけれど、それでも「どっかに行きたい」と思うのは今ある幸せに気付くために大切なことなのです。
どっかに行って気分が晴れても、長続きしない
旅をすると一瞬だけ日常から解き放たれたという解放感があるけれど、その気分は瞬間的な幻想で長続きはしない。旅だってずっと続けていると日常に変化してしまう。どこでもいいからどこかへ行きたい
どこか遠くへ行くことは解放感がありますし、新しい刺激が得られるので、気分転換にもなります。
最初は、どこへ行こうか、何を食べようか、どこに泊まろうかとワクワクした気持ちになるでしょうが、ずっと遠くに行っているとその刺激にすら慣れてしまい、旅自体が日常に変わってしまいます。
つまりは、人間は同じことをずっとしていることで退屈に感じてしまうので、毎日同じように仕事をしようが、刺激を求めて旅に出ようが、結局は同じところに着地してしまいます。
でも私はこれでいいと思っています。
禅に「安閑無事」という言葉がありますが、毎日同じことの繰り返しで、何も楽しいことがない、金もない、つまらない、この人生に飽きたと思っても、このように思える生活こそが、最高に貴重で、恵まれているということなのです。
退屈だと感じるということは、病気でなく、家族が元気で、社会的役割にも恵まれているということですから、今のこの幸せに気付かないと損をします。
どこかに遠くへ行くということは、そういった日常から離れて今の生活が大切なモノだったを気付く時間を与えてくれるモノだと私は思っています。
どっか行きたい病のあなたへ
ここに紹介した以外にもサウナの魅力、高速バスの魅力、漫画喫茶の魅力などなどいろいろな旅?の楽しみ方がかかれています。 観光地に行くだけが旅ではありません。 毎日がマンネリ化して気分が落ち込むようなら、日常から距離を取るために旅にでてみましょう。 具体的には電車に乗って知らない駅で降りてみる。その駅の周りをぶらぶら散策してみる。 そしたら、ああこの町の雰囲気はこんなかんじなのかというのが分かってきます。 結構同じ日本でも町て微妙に違います。それに気づくのがまた1つの楽しみです。 今までと少し変わるだけで、非日常を生み出せます。
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