悩みねこ
努力しても結果はでません・・・
努力は才能に勝てないのでしょうか?
私は理学療法士の国家試験を最後に努力と呼ばれるものはまったくしていません。 昔は、スラムダンクの安西先生の名台詞「諦めたら試合終了だよ」を座右の銘として頑張っていました。 私が一生のうちで一番努力したのは医学部再受験の時です。 ここでの教訓から述べさせていただくと、努力は才能には勝てません。 医学部受験という世界は一部の才能を持ったものだけが、センター試験で9割の壁を超えることができます。 どれだけ努力しようとも、才能がない人は成績は上がりません。 努力さえしていれば、夢が叶うというのは嘘です。 諦めたら試合終了ですが、諦めなければ次の試合ができません。 橘玲さんの『無理ゲー社会』を読んで「努力は才能に勝てない」という理由が科学的に良く分かりました。 皆さまの努力がただの無駄で終わらないように、身の丈にあった進路を目指すことが如何に大切かをお伝えしたいと思います。 ここでは私の体験を含めて、「努力は才能に勝てない」理由をご説明したいと思います。
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ただし、私がここで一番言いたいことは、努力しても無駄だからと言って努力することを否定しているわけではなく、自分の限界を超えてまでやる必要がないことということです。 努力をせずに何でも才能だと決めつけてしまう人生はつまらないですし、諦めは無気力を生み出します。 特に今まで頑張りすぎてきた人は、「今の君が素晴らしい」「頑張らなくてもいいんだよ」という言葉に癒しと赦しを求めてしまいますが、この言葉をまともに受け取ってしまうと、隠居した高齢者のように人生が終わってしまいます。 そうではなく、常に渇望感を持って生きることで、生きる活力が生まれるのではないでしょうか。 私はたとえ自分に才能がないとしても努力し続けますし、常に上を目指し続けます。
目次
寝る時間以外勉強に費やした医学部再受験
私は27歳に医学部再受験を志しました。
朝5時に起きてからすぐに勉強開始。
歩いている時間も、お風呂に入っている時間もご飯食べている時間も勉強にあてました。
23時には寝ていたので1日15時間は勉強していました。
「これだけ勉強して結果が出ないというのは効率が悪かったのではないのか?」と思われるかもしれませんが、勉強法の本を大量に読み漁り、実践して効率性は重視していたつもりです。
1日15時間の勉強を5年ほど続けましたが、結局成績がセンター7割どまりで断念しました。
どれだけ努力しようがどれだけ根性論で頑張ろうがどれだけ効率性を上げようが、才能がなければ結局夢は叶わないということに気付かされました。
才能なんて関係ない!すべて努力だと根性論でやるのはいいですが、膨大なお金と時間を消費してしまうのでその努力が実らなかった場合地獄です。
詳しくは下記の記事に書いています。
20代後半で挑戦した医学部再受験の末路【後悔しないために】
医学部再受験に失敗した場合、末路はどうなりますか? 本記事は、医学部再受験を志そうと考えている20代、30代の方に医学部再受験に失敗した場合末路はどうなるのか、ま…
医学部再受験のときの経験から、「人には生まれ持った才能があるんだ」と身をもって体験しました。
私がやるべきことだったのは、自分の才能を見極め、自分に能力にあった生き方を模索することだったのです。
本気で頑張ったんだよ・・・でも叶わなかった
努力は才能に勝てない科学的な理由
上の表は総計1455万8903人の双生児を対象とした1958年から2012年までの2748件の研究を2015年にメタ分析したものです。 ※メタ分析とは、複数の研究を,いろいろな角度から統合したり比較したりする分析方法です。 努力=「やる気」+「集中力」 とすれば、表より「やる気」の遺伝率は57%「集中力」の遺伝率が44%で、努力できるかのおよそ半分は遺伝で決まるということになります。 ここで笑ってしまうのが努力も才能の一つであるということです。 努力vs才能というよりは、努力=才能です。 さらに、医学部の合格を単純に「テストの点数」とすれば、 テストの点数=「知能」×「努力」 知能=「記憶」+「計算」+「認知」+「言語」 とすると、「記憶」の遺伝率45%+「計算」の遺伝率56%+「認知」の遺伝率55%+「言語」の遺伝率46%と知能のおよそ半分も遺伝で決まります。 すべて結果(才能)は遺伝によって生まれた時から決まっています。 私たちが意思を持ってしなければいけないことは、がむしゃらに勉強することではありません。 私たちが本当にやらなければいけないことは次の2つです。
- 非共有環境(家庭以外の環境要素)を良くするために、レベルの高い学校、塾、会社などで良い影響を受ける
- 自分の才能を認識し、自分に合った人生を生きる
まず、①の非共有環境(家庭以外の環境要素)を良くするために、頭のいい学校、レベルの高い塾、優秀な人がいる会社に行くべきでしょう。
良い先生、賢い友達、優秀な同僚に囲まれればあなたの能力を最大限に上げてくれます。
良い学校に入るのには良い点数を取る必要があるので、卵が先か鶏が先かの話になってしまいますが・・・。
しかし、自分が遺伝的に才能があろうとなかろうと、例えば記憶の場合55%が環境要因です。
まず、良い塾に入って自分の才能を見極めるのがいいのではないでしょうか。
まとめ
努力は才能に勝てないのではなく、努力できるかどうかも才能であり、最初からすべて才能で決まってしまう。 しかし、環境要因を変えることで自分の能力を最大限に引き出すことができる。
自分の才能を認識し、自分に合った人生を生きる
努力の半分は遺伝で決まり、記憶や計算などの半分も遺伝で決まり、学歴の半分も遺伝で決まることが分かりました。
環境要因も整えたけれど、成績が上がらなかった場合は、自分の才能を認識することができるはずです。
自分の能力値の限界が分かれば、諦めがつき、自分に合った人生を模索することができます。
才能がないことは悲観することではなく、むしろ私は生きやすくなると思っています。
限界を超えて努力しなければできないことをやるよりも、自分に合ったものを限界を超えずにできるものを探した方が人生は生きやすいです。
自分にはこれができる、これが好きだ、逆にこれは向いていないからやめておけ。そうした内側から沸き上がってくる感覚というのは、自分が生まれ持っている遺伝をもとに、環境が出会ったときに生じるのだと私は考えています。そういう内なる感覚に導かれて、人は何かに専念し、そこにリソースを集中的に投入することで才能が発現していくのではないでしょう か。日本人の9割が知らない遺伝の真実
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これが好きでこれが嫌いでなどの内側から沸き上がってくる感覚を自己固有のもとして大切にしなければいけません。
私は長時間デスクに座ってパソコンをすることができません。
どうしても長時間座って画面を見ているとストレスがたまってしまいます。
したがって、結果的に今のデスクワーク半分、リハビリという体力仕事半分の理学療法士という仕事について、好きではないですが自分に合っていると思っています。
自分がデスクに座って勉強や仕事ができる時間がどれぐらいか把握できていると、職業選びの際に参考になります。
私は努力ができない人間です。
自分がやりたいだけ、リハビリの勉強し(大体30分ぐらい)、自分が読みたいだけ本を読み、自分ができるだけブログを書いています。
それは、自分というものがどうゆう性格なのかはっきりわかっているからです。
努力云々より、まず自分がどうゆう性格なのか自分という存在をしっかり向き合った方がいいと私は思います。
自分の内なる感覚を信じて、自分の遺伝子に合った生き方をした方が楽に生きられるのではないでしょうか。
そうすれば、自分が没頭できることが見つかり、その分野の才能で花を咲かせるかもしれません。
他人の真似をして嫌なことを無理やり続けるよりは堅実な生き方だと私は思います。
色々なことを経験しましょう。
そうすれば、自分の好き嫌いが良くわかります。
人生に疲れ切っており今は休みたいと思ってる人には、個人的には元2chのひろゆきさんの生き方がおすすめです。 彼は本当に毎日楽しそうに人生を謳歌しているイメージです。 彼の『ラクしてうまくいく生き方 』はとても参考になります。
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才能がないからと諦める前に
8時間寝ているか確認する
才能があるのかないのか判断する前に1つ確かめておかなければいけないことがあります。 みなさんはそもそもしっかり8時間寝ていますか? 私は医学部再受験時代には23時に寝て5時に起きるという6時間睡眠を続けていました。 私としてはこれで十分睡眠時間は足りていると思っていました。 しかし、ペンシルベニア大学の研究では、6時間睡眠を2週間続けることは、血中アルコール濃度が0.1%程度の認知能力に低下するそうです。これは、体重60kgの人がウイスキーをショットグラスに4杯飲んだのと同レベルです。 (参考文献:成功する人ほどよく寝ている 最強の睡眠に変える食習慣)
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つまり私は毎日お酒を飲んでいた状態で勉強をしていたわけです。
まず自分の能力を見極めるためにも、睡眠時間は8時間しっかり取りましょう。
睡眠不足で成績が上がらないのか、才能がなくて上がらないのかきちんと判断してから、能力の限界値を認識した方がいいです。
毎日運動しているか確認する
「運動すれば脳が鍛えられること」はもはや当たり前すぎて誰もが知っていることでしょうが、実際に受験勉強中などで取り組めている人は何人いるでしょうか? 受験勉強中はどうしても勉強時間の確保が最優先になってしまいます。 何も知らない親ならば、「運動なんてしてないで少しでも勉強しろ!」というでしょう。 アメリカのネブラスカ州では1万名に近い子供たちを対象に体力測定をし、体力的にすぐれた子供は体力のない子供より、算数が英語の試験の得点が高かった結果がでました。 また受験といえばストレスですが、毎日たくさん歩いた子供はあまり歩かなかった子供にくらべてストレスを感じにくく、精神状態も安定したいたそうです。 10歳児の脳をMRIスキャンしてみると体力のあるこどもは海馬が大きかったそうです。つまりは、身体を鍛えれば脳の重要な部分である海馬が大きくなるということです。 これらのことは私が勝手に言っていることではなく、アンデシュ・ハンセン著の「運動脳」を参考にさせていただいています。 運動に効果があるのか半信半疑だと思いますので、ぜひ読んで自分を納得させてください。 ちなみに私は受験時代は運動をしていませんでした。 しっかり勉強の合間に運動を取り入れていれば、結果は違ったのかもしれません。
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20%の努力で80%の能力を獲得できる
上記の図は「天才データアナリスト」と呼ばれるネイト・シルバーが編み出した『予測のパレート曲線』という理論ですが、わかりにくいので努力の限界効用逓減の法則と橘玲さんが名付けたものです。
この図より大きく分かることは二つです。
- 20%の努力があれば80%能力を獲得できること
- 80%を100%の能力にするには、才能と80%の努力が必要であること
つまりは凡人であり、大した努力をしなくても80%の能力は簡単に得られるということです。
80%以上の能力を得ようと思った場合膨大な時間と才能が必要ですが、今後の人生ではその見極めが大切になってきます。
どれだけやっても成長がストップした場合、自分の能力はここまでだと諦めて、違う分野を伸ばした方が有利に立てます。
私が思う凡人の戦略としては、人は相対評価で評価されるので80%の能力でも輝ける職場を探すもしくはマルチに80%の能力を持ったスキルを持って置き、多彩に活躍するです。
そのことに気付いた人たちは、会社だけに縛られずに副業という形でお金を稼ぐようにしています。
努力は才能には勝てませんが、努力の方向性を間違えなければ、無駄な努力に終わらずに済みます。
80%の能力を得るのに、たった20%の努力ですむというのはとても画期的だと思うのは私だけでしょうか?
20%だけ努力します・・・
40代は努力は才能に勝てないことに抗う時期
就職し始める20歳ぐらいのときは遺伝( 20%程度)よりも共有環境( 70%程度)がはるかに大きく収入の個人差に影響していることが示されました。ところが年齢が上がるにつれ、その共有環境の影響はどんどん小さくなり、かわりに遺伝の影響が大きくなって、最も働き盛りになる45歳くらいが遺伝の影響のピーク( 50%程度)になり、共有環境はほぼゼロになるのです。日本人の9割が知らない遺伝の真実
45歳で遺伝の影響がピークになるのならば、どうあがいても自分の遺伝子に逆らうことは難しくなります。 歳を取れば取るほど頑固になると言われますが、ある意味それも遺伝的な影響から考えるならば納得できる話です。 この事実から学べる人生戦略としては、10代や20代の頃は夢に向かって自分なりの最大の努力をし、歳を取れば取るほど自分に合った生き方を模索した方が自分らしく生きられそうです。 しかし、科学的に合理的に生きる道を選ぶのか、それともいつまでも努力を怠らず上を目指すのか選ぶのはあなた自身でしょう。 私はこの事実を知ったからといって努力をやめるつもりはありません。 歳を取っても若々しい人は努力することと上を目指すことを諦めない人達です。 40代というのはどうしても頑張りが利かない時期ですが、周りから『クズ』と呼ばれてしまうのもこういった遺伝的な要因があるからでしょう。 40代で無気力に怠惰に生きれば生きるほど社会から必要とされなくなります。遺伝的に活力がなくなるとしても枯れずに生きる方法を模索してほしいです。
40代独身でクズと言われないために、枯れずに生きる方法
40代で独身ですがクズて言われます。少しはマシに生きる方法はありますか? 本記事は、40代独身でクズだと自覚がある人、言われている人を対象に少しでも枯れずに生きる…
努力しすぎる必要はないが、諦めた瞬間人生が終わる
人には大学受験や資格試験など努力をしなければいけないところはいくらでもあります。 そのたびに自分には才能がないからと才能がないことを言い訳にして努力しなくなると何もできなくなってしまいます。
いまはダメでも、死ぬ気になって何度も何度も挑戦すれば、必ずできるようになります。 しかし、もしも「自分には才能がないから」と思ってしまったら、そこまでです。「このへんでいいや」と思ったときが、終わるときです。成功に価値は無い!
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冒頭でもお話ししたように私は努力をしなくなったわけでも、上を目指すことを諦めたわけでもありません。 才能がなくても、たとえ達成できなくても、死ぬ気でやる人生が好きなのです。 何かを諦めてしまった瞬間、人生はつまらなく、人は怠惰な方に流されやすくなります。 これまでに散々お話ししてきたように限界を超えて努力し続けてしまったので、ラクな人生を歩みたいと思ってきましたが、毎日がつまらなく無気力で生きている感じがしなくなってしまいました。 そういった人生を歩みたいなら別ですが、最近の若者が無気力なのは、はっきり言ってぬるま湯につかりすぎているせいだと思います。 人生は苦労や失敗をしなければ、渇望感が生まれませんし、くやしさを胸にしまわなければ、克己心が生まれません。 もちろん、人生には私の医学部再受験のように期限を決めて諦めなければいけないこともありますが、最初から諦めていいわけではありません。 未完で終わっていいので、ただひたすらに上に向かって前進し続けるのです。 「このへんでいいや」と思ったときが、人生が終わるときです。
努力は才能に勝てない。ならどうする?
努力は才能に勝てない。ならどうする?
- 努力や才能、学歴の半分は遺伝によって決まる
- 自分の才能を見極め、自分に合ったものを模索する
- 才能を確認する前にしっかり寝ているか、運動できているか確認する
- 自分の限界を超えなくてできるものを探す
- 未完で終わっても努力し、上を目指し続ける
最初に紹介したスラムダンクの安西先生の名台詞「諦めたら試合終了だよ」は私にとって呪いの言葉でした。 40年以上生きてきて、人生というものはどうにもならないことばかりであると悟りました。 どうにもらないことばかりですが、今でも無理をせず自分の限界を見極めながら努力し続けています。 そう思えるのは、未完でもいいと思っているからです。最後の最後まで足掻き続ける人生で良いのです。
因みに私は、仕事は適当にやっています。適当というと聞こえは悪いですが、限界を超えない程度に一生懸命にやるという意味です。 人生は長いです。限界を超えてずっと走り続けていればいつか疲れて足を止めてしまいます。
仕事なんて適当でいい!必死になれば、能力が落ちる
仕事を頑張っても報われないよ。仕事なんて適当でいいよね? 適当でいいですが、適当といってもいい加減にやってはいけません。『仕事を適当にやる』というのは、心に余…
自分の才能は長く生きていれば段々と分かってきます。どこまでが自分の限界かを把握し何をしたら自分自身が壊れてしまうのか知っておくことは大切です。 1日1日を大切にして毎日一生懸命に生きる。それさえできていれば十分ではないでしょうか? 仕事に関しても身の丈に合った就職先でなければ、、努力で就職できたとしても周りについていけず自分の劣等感に苛まれてしまいます。 限界を超えてまでやる必要がない場所で一生懸命に仕事をしていきましょう。
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