本を読むことのメリット・デメリット|大人になってから気づく“本当の価値”

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本を読むことのメリット・デメリット|大人になってから気づく“本当の価値”
本を読むようになったのは、30代になってからだった。
それまでの私は、どちらかといえば本とは縁のない人生を送っていた。大学を中退してから10年以上、定職にもつかずフリーターとして働き、将来の見通しもなく、ただ毎日をやり過ごしていた。27歳のとき、「このままではいけない」と思い立ち、医学部再受験を決意したものの、現実は甘くなかった。何度挑戦しても不合格。勉強漬けの毎日を続けるうちに、心も体も限界を迎え、気づけば大切にしていた彼女にも離れられた。自分の人生がすべて失敗だったように感じ、心は完全に折れていた。

そんなとき、母が何気なく言った。「本でも読んでみたら?」――その言葉を、当時の私は半ば投げやりな気持ちで受け止めた。だが、手に取った一冊の中にあった“たった一行の言葉”が、なぜか胸の奥に強く響いた。誰かの考え方や生き方を通して、自分の中の混乱や悲しみが少しずつ整理されていくような気がした。読書という行為が、単なる知識の吸収ではなく、「心を立て直すための作業」だと知ったのは、そのときが初めてだった。

それから少しずつ、本を読むことが習慣になっていった。ページをめくるたびに、自分の中に新しい言葉が流れ込み、傷ついた心の隙間をやさしく埋めてくれるような感覚があった。本の中には、現実の苦しみを消してくれる魔法はない。けれど、自分の苦しみを“言葉にしてくれる誰か”がいるというだけで、孤独がほんの少し和らぐ。落ち込んだ夜、絶望の底で見つけた一冊が、何度となく私を救ってくれた。

気づけば、本を読むことは「自分を保つための行為」になっていた。社会でうまくいかなくても、誰にも理解されなくても、本の中にはいつも寄り添ってくれる声があった。やがて少しずつ、前を向く力が戻ってきた。

この記事では、そんな私自身の体験を通して、「本を読むこと」の本当の意味を掘り下げていきたい。知識や教養を得るためだけではなく、人生に迷ったとき、心が折れそうなときにこそ見えてくる“読書の価値”がある。大人になってから気づく、本の持つ力――そのメリットとデメリット、そして“言葉が人生を支える瞬間”について、静かに語っていきたい。
目次

なぜ大人になってから「本を読む意味」に気づくのか

大人になると現実世界で立ち止まることが多くなる

20代の頃、私は将来のことなんて何も考えず、ただ毎日が楽しければそれでいいと思っていた。大学を中退し、10年以上フリーターとして日々をこなす中で、失敗や挫折を“通過点”と捉えていられたのも若さゆえだと思う。27歳で医学部再受験を志してからも、「次こそは」と信じて疑わず、結果が出ずに心が折れても、どこかでまだ“やり直せる”と思っていた。

しかし、30歳を目前にして現実は急に重くなった。合格できず、恋人にも別れを告げられたとき、周囲の“普通”と自分の“ズレ”がこんなにも大きいのかと初めて突きつけられた。社会の光と自分の影の差を、まざまざと見せつけられた瞬間だった。

大人になるということは、ただ“年齢を重ねる”ことではない。
責任、期待、選択、失敗――それらが複雑に絡まり合い、自分ひとりでは整理しきれない“現実”が目の前にどんと立ちはだかる。
「自分は何をしているのか」「このままでいいのか」──そんな問いが、勢いよくではなく、静かに、しかし確実に胸に残る。その瞬間、私は立ち止まった。足を動かすことが苦しくなり、歩く“方向”そのものを見失いかけた。

そんなとき、無意識に手にとった一冊の本が、心の奥にある“止まりかけた自分”にそっと語りかけてくれた。知識を得ようとではなく、心を整えようとページをめくった。そのとき初めて、「本を読む意味」が頭ではなく心で響いたのだ。

大人は、前に進むだけの青春とは違って、時には立ち止まり、見渡し、選び直す。そんな“現実との距離感”を保つために、本は静かな支えになる。動き続けなければならないと思っていた私が、立ち止まることでこそ見えるものを知ったとき、読書が道標になった。

自分の価値観だけでは生きづらい

若い頃の私は、自分の信じた道を突き進めば、いつか報われると思っていた。
大学を辞めてフリーターとして過ごした10年も、「本気を出せば何とかなる」と自分に言い聞かせていた。27歳で医学部再受験を決意したときも、周りがどう言おうと「努力すれば夢は叶う」と信じて疑わなかった。

けれど現実は、そんなに甘くなかった。
どれだけ努力しても結果は出ず、周囲の友人たちは社会で少しずつ地位を築いていく。私はその背中を見送りながら、「自分の信念」が通じない世界の中でもがいていた。努力しているのに報われない現実を前にして、心のどこかで「なぜ自分だけ」と嘆いていた。

その頃の私は、まるで世界の中心に自分がいるような気でいたのかもしれない。
「正しい努力をすれば成功できる」「自分は間違っていない」――そう信じることでしか、自分を保てなかった。けれど社会に出てみると、自分の“正しさ”なんて、他人から見ればただの“わがまま”でしかないこともある。人それぞれの価値観が交錯する現実の中で、自分の価値観だけを頼りに生きるのは、あまりに息苦しかった。

そんなとき、母に勧められて本を読むようになった。
本の中の人たちは、私と同じように悩み、つまずきながらも、それぞれのやり方で現実と折り合いをつけていた。彼らの言葉に触れるうちに、「生き方に正解なんてない」という当たり前の事実にようやく気づいた。

それまでは、世の中を「勝ち負け」や「正しさ」でしか見られなかった。けれど本を読むことで、他人の価値観や考え方に出会い、自分の中にも少しずつ“余白”が生まれた気がした。
自分の価値観を押し通すのではなく、誰かの言葉を受け入れる。たったそれだけで、世界の見え方が変わった。

本は、他人の人生を生きるための小さな窓のようなものだ。
その窓を通して外の空気を吸うことで、「自分だけが正しい」と思い込んでいた狭い世界から、少しずつ抜け出せるようになった。

結局のところ、人生は“自分の価値観だけ”ではうまくいかない。
けれど、“他人の価値観に触れる勇気”さえあれば、息苦しさはやわらいでいく。
本を読むことは、そんな世界との距離をやさしく保つための行為なのかもしれない。

経験を積んだからこそ、言葉の重みが響く

色々と私の人生について語ってきたが、37歳でようやく就職したあとも、順風満帆とはいかなかった。
人間関係がうまくいかず、解雇されてまた無職に戻ってしまった。ようやく再就職できたものの、そこでも同僚とぶつかって気まずい関係になったことが何度かあった。
仕事が思うように進まず、やる気を失ってしまったこともある。社会に出てからも、苦労や挫折は絶えることがなかった。

振り返れば、私は恵まれた家庭に育ち、我儘な性格のまま大人になってしまったのかもしれない。
子どもの頃は、泣いたり怒ったりすれば、誰かがどうにかしてくれた。だから心のどこかで、「人生は自分の思い通りにできる」と思い込んでいた。努力すれば報われる、真面目に頑張ればきっと認められる――そんなふうに信じて疑わなかった。

けれど、現実はまったく違った。どれだけ努力しても、思い通りにならないことの方が圧倒的に多い。人間関係も、仕事も、他人の感情も、自分ではどうにもならないことばかりだった。

そんなある日、何気なく開いた一冊の本の中に、こんな一文があった。
――「人生を自分の思い通りになると勘違いしている」

その言葉を読んだ瞬間、胸の奥に冷たい風が吹いたような感覚がした。
一見ただの当たり前の言葉なのに、なぜか強く心に刺さった。
それは、私が長い間、自分の理想や正しさにしがみついていたからだと思う。
思い通りにならない現実を受け入れられず、何度も同じ壁にぶつかってきた。その痛みの積み重ねがあったからこそ、この言葉が“当たり前ではない真実”として響いたのだ。

人生には、自分の力では動かせないことがある。
でも、それを受け入れたとき、初めて心に静けさが戻ってくる。
「思い通りにしたい」と握りしめていた執着を手放すと、不思議と人にも、自分にも、やさしくなれる。

本の言葉は、経験を積んだ今だからこそ、深く染みる。
若いころは読み飛ばしていた一文が、今は人生の核心に触れるように感じる。
それは、長い時間をかけて痛みを味わい、少しずつ現実を受け入れてきた証拠でもある。

そして気づいたのは、本を読むという行為は、誰かの言葉を通して“もう一度自分の生き方を見つめ直す時間”なのだということ。
人生が思い通りにならないからこそ、本の言葉が光になる。
あのときの一文は、私にとってその光のような存在だった。

本を読むメリット

人生において答えはないことを知る

そんな教育を小さい頃から叩き込まれてきた私たちは、当然ながら「答えは1つ」だと思ってしまう。その結果、社会に出てからも答え探しをついついしてしまう。  前述したような自己啓発や成功法則にハマっていく人たちは、答えが欲しいがゆえにハマっていく。宗教にハマる人も同じだろう。  ところが、当たり前だけど、 人生において答えは1つではない。それどころか答えなんてない。  でも、小さいときから徹底的に叩き込まれる「答えは1つ」洗脳は根深い。
本を読む人はうまくいく
私たちは小さいころから、「答えは1つしかない」と教え込まれてきた。
テストでは正解を選ばなければいけないし、学校では間違えることを恐れるように育てられる。
そんな教育を叩き込まれてきたせいで、いつの間にか「正しい答えを出すこと=生きること」だと勘違いしてしまう。

その結果、大人になってからも“答え探し”を続けてしまう。
「どうすれば成功できるのか」「どうすれば人間関係がうまくいくのか」――そうした問いに対して、明確な正解を求めてしまう。
自己啓発本や成功法則にハマっていく人が多いのも、結局は“正しい答え”を誰かに教えてほしいからだろう。
宗教や占いに惹かれるのも、心のどこかで「この不安に答えてくれる何か」を求めているからだと思う。

でも、本を読んでいると、やがて気づく。
――人生には、答えなんてないのだと。

むしろ、人の数だけ考え方があり、生き方がある。
誰かの“正解”が、自分にとっての“正解”とは限らない。
どれだけ立派な人の本を読んでも、「これがすべて」なんてものは存在しない。
著者が語るのは、その人自身の“選択”と“過程”であり、“答え”ではないのだ。

私自身、若いころは何度も“正しい生き方”を探そうとしていた。
努力の仕方、仕事の選び方、人との関わり方――どれも「正解がある」と思い込んでいた。
けれど現実はそう単純ではなく、正解どころか、正解の“定義”すら人によって違う。
医学部再受験に失敗し、何度も人間関係でつまずいてきた私は、そのたびに「何が間違っていたのか」と自分を責めていた。
けれど今なら分かる。あのとき求めていた“答え”なんて、最初から存在しなかったのだ。

本を読むことの最大のメリットは、この“答えのなさ”を自然に受け入れられるようになることだと思う。
さまざまな作家や哲学者、そして名もなき人々の言葉に触れるうちに、「みんな迷いながら生きている」という当たり前の事実に安心できる。
そして、「迷っている自分」もまた、間違いではないと気づける。

人生には、絶対の答えなんてない。
けれど本を通して、無数の“考え方”や“視点”を知ることで、自分なりの道を探せるようになる。
それは「正解」ではなく、「納得して生きるための選択」だ。

だからこそ、本を読むことは“答えを探すため”ではなく、“答えがなくても生きていける強さ”を育てる行為なのだと思う。

つまらない人生を面白くする

「人生はつまらない」  という前提で生きるべきだ。むしろ、その「つまらない人生」をおもしろくするためのゲームをやっていると思ったほうがいい。  本書は 人生というゲームの攻略本 だ。読み終わった後には、きっとゲームで高得点を取る方法が身についているはずだ。
本を読む人はうまくいく
「人生はつまらない」という前提で生きるべきだ。
むしろ、その“つまらない人生”をどう面白くしていくか――そのためのゲームをしていると思ったほうがいい。
この言葉を読んだとき、妙に納得してしまった。

20代を失敗した私はそれでも、「もっと特別な人生を送りたい」「成功して人から認められたい」と思っていた。
でも、現実はそんなにドラマチックじゃない。
朝起きて、勉強しては、お風呂に入って寝る。その繰り返し。
努力してもうまくいかないことも多く、他人と比べては落ち込む日々。
そんな“平凡で退屈な日常”の中で、いつの間にか「自分の人生には何の意味があるんだろう」と考えるようになっていた。

仕事を始めるようになってからも、最初は新鮮さがあり、ワクワクすることが多かったが、慣れてくると仕事もルーティンワークになり、何の楽しみも見いだせなくなった。

けれど、この本の「人生はつまらない」という一文を読んで、ふと肩の力が抜けた。
ああ、そもそも“人生は面白くないもの”として始まっているのかもしれない。
だったら、その中に自分なりの「遊び方」を見つければいい。
そう思えた瞬間、見える景色が少し変わった。

本を読むことの面白さは、まさにそこにある。
現実がつまらなくても、本を開けば新しい考え方や世界がそこに広がっている。
誰かの経験を追体験したり、見たことのない景色を想像したりするだけで、平凡な一日が少しだけ輝きを取り戻す。
読書とは、人生という退屈なゲームを“裏ステージ”に変える行為なのかもしれない。

つまり本は、人生というゲームの「攻略本」だ。
読めば高得点を取れるようになるわけではない。
けれど、つまづいたときに立ち上がるコツや、遠回りを楽しむ方法を教えてくれる。
そして何より、「このゲームをどう遊ぶかは、自分次第だ」と教えてくれる。

つまらない人生を嘆くより、その“つまらなさ”の中でどう遊ぶかを考える。
それが、本を読むことのいちばんの醍醐味だと思う。
人生を面白くするのは、特別な出来事じゃない。
たった一冊の本に出会うこと――それだけで、現実の色が少し変わって見える。

人生の行き詰まりをなくす

「言葉をどれだけ知っているか」「知識をどれだけ持っているか」で人生が大きく変わることはわかるだろう。  知識がある人にとっては生きるのにたやすい世界であっても、無知な人にとっては困難な世界になる。  もしも、人生に行き詰まっているのなら、ただ単に知識が少ないからと考えたほうがいい。
本を読む人はうまくいく
――この一文を初めて読んだとき、胸の奥にズシンと響いた。
努力しても結果が出ないとき、うまくいかない原因を「才能のせい」や「環境のせい」にしていた自分にとって、この言葉はまるで“逆転の発想”のように感じた。
人生が行き詰まるのは、自分が悪いからではなく、ただ知らないだけ。
そう考えると、どこか希望が湧いてきた。

実際、知識を得ることは「行き詰まりを解く鍵」になる。
たとえば、仕事で人間関係がうまくいかないときも、本を読むことで「人の心理」「伝え方」「距離の取り方」といった“考え方の地図”を手に入れられる。
お金に困ったときも、知識があれば「節約」「副業」「資産の仕組み」など、自分を助ける選択肢が見えてくる。
逆に、何も知らなければ、同じ場所で何度もつまずき、抜け出す方法すら思いつかない。

本の中には、すでに多くの人が経験し、悩み、解決してきた“人生の記録”が詰まっている。
それを読むことで、知らなかった考え方に出会い、自分の世界が少しずつ広がっていく。
行き詰まりとは、たいてい「知らない」ということから生まれる。だから、本を読むことは“新しい道を見つける行為”そのものなのだ。

そして本の言葉に触れているうちに気づく。
「自分の人生は変えられない」のではなく、「変えるための知識をまだ持っていない」だけだと。
知識を得れば、見えなかった出口が見えてくる。
だからこそ、人生が苦しく感じるときほど、本を読む意味がある。

本を読むことは、現実を逃げることではなく、“現実を打開する力”を育てることだ。
知識という小さな光が、人生の行き詰まりをゆっくりと照らしてくれる。

AIにはない頭の良さを身に付ける

時代は変わった。AIが出てきたからだ。AIは簡単に言えば、すべての人に高い知能を提供しているようなもの。論理的に文章が書けない人もAIを使えば書けるし、資料を分析できなかった人もAIがやってくれる。では、これからの時代の「頭の良さ」とはなんなのか?  私は「長い人間関係をつくる能力」と「環境適応能力」だと思っている。どれだけ多くの人を知っているか、時代の変化に対応できるか。ここがすべてだ。
本を読む人はうまくいく
時代は変わった。AIが出てきたからだ。
今や、誰でもAIを使えば、ある程度“賢く”見える文章が書ける。難しい分析も数秒でできる。まるで、すべての人に「高い知能」が与えられたような時代になった。

けれど、その一方で感じるのは、「本当の意味での頭の良さ」とは何か、ということだ。
AIが知識を集め、最適解を導き出せても、人の心までは理解できない。
たとえば、同じ言葉でも、読む人の人生によって響き方はまったく違う。
どんなに論理的でも、そこに“体温”がなければ、人は動かされない。

私は思う。
AI時代に本を読む意味は、AIが代わりに持つことのできない「感情の知性」を手に入れるためだと。
本を読むことは、まさにその力を養う行為だ。
登場人物の心の揺れに共感したり、著者の葛藤に寄り添ったりする中で、私たちは「人の気持ちを想像する力」や「場の空気を読む感覚」を自然と育てている。

本を読む時間は、効率とは真逆の行為だ。
AIのように一瞬で答えを出せるわけではない。けれど、時間をかけて言葉を味わう中で、「人としての判断力」や「人との距離感の保ち方」が少しずつ身についていく。

AIがどれだけ発達しても、そこに“人間らしさ”を与えるのは、結局人間自身だ。
だからこそ、本を読むことは、時代がどれだけ変わっても意味を失わない。
それは、知識を得るためではなく、「AIにはない頭の良さ」――つまり、“人間としての深さ”を育てるための行為なのだと思う。

「長い人間関係をつくる能力」と「環境適応能力」についてはこの後解説していく。

長い人間関係をつくる能力を育てる

本を読んでいると、登場人物の感情の機微や、相手の立場に立った視点に何度も触れる。
物語を通して他人の心の動きを追ううちに、自然と「人はそれぞれ違う考え方を持っている」という当たり前のことを、感覚として理解できるようになる。
この“他者理解の想像力”こそが、長い人間関係を築くうえでの土台になる。
信頼は一夜にして築かれるものではなく、約束を守ったり、お礼を言うなど無数の小さな行動の積み重ねの結果だ。
不確実性が高い現代においては、長い関係の中で培われた信頼は心理的安全をもたらすことが多い。
本を読むことは、まさにこの「小さな積み重ね」を内側で練習する行為でもある。
すぐに答えを求めず、登場人物の言葉や行動をじっくりと受け止め、相手の背景を想像する。
その“待つ力”や“受け止める姿勢”は、現実の人間関係でも生きてくる。

人と人との信頼は、共感力と誠実さの上にしか築けない。
本の世界では、そうした心のやり取りが丁寧に描かれている。
たとえば失敗を許す場面や、感謝を言葉にする場面に触れるたびに、「信頼とは時間をかけて積み上げるものだ」と自然に学んでいく。

現代のようにSNSでつながりが一瞬で生まれ、同じように一瞬で途切れてしまう時代だからこそ、
“長く付き合える関係”を育てるには、忍耐や誠実さが必要になる。
そして、その力を静かに鍛えてくれるのが本だ。

本を読むという行為は、ただ知識を得るためではなく、人を理解する力を深めるための時間でもある。
相手の言葉を受け止め、自分の考えを整える。
そんな内面的なやり取りを重ねるうちに、私たちは少しずつ“信頼される人”へと変わっていく。

長い人間関係を築くというのは、特別な才能ではなく、日々の小さな誠実さの積み重ねだ。
そしてその“積み重ねの価値”を教えてくれるのが、本を読む時間なのだと思う。

環境適応能力が身につく

どうすれば「環境適応能力」を身につけられるのか――。  私はまず「変化を楽しむ」ことが大前提になると思っている。

ただ、「怖いけどおもしろそう」と思うような姿勢こそが、環境適応能力を伸ばす上で一番大事で、成功のスタートラインに立つことになるのだ。 恐怖の先にワクワクを感じられるようになると、変化を楽しめるようになる。 「恐怖や不安を乗り越えた選択こそ人生を変える」  変化を楽しめる人ほど、自然と新しいアイデアや人脈を引き寄せるようになるし、結果として成功確率も高まるわけだ。
本を読む人はうまくいく
環境が変わるたびに、人は少なからず不安を感じる。
職場が変わる、新しい人間関係が始まる、思い通りにいかない現実に直面する――そんなとき、昔の私はすぐに動揺していた。自分の思い通りにならないことに腹を立て、他人や環境のせいにしていた。結局は、環境に“適応する”よりも、“拒絶する”ほうを選んでいたのだと思う。

でも、本を読むようになってから少しずつ考え方が変わっていった。
物語やエッセイの中の登場人物たちは、みんな変化の中で生きていた。失敗したり、裏切られたり、時には絶望したりしながらも、最終的にはその変化の中に意味を見いだしていく。
彼らの姿に触れることで、私も「変化は敵ではなく、成長のきっかけかもしれない」と思えるようになった。

どうすれば「環境適応能力」を身につけられるのか――。
私はまず「変化を楽しむ」ことが大前提になると思っている。
ただ、「怖いけどおもしろそう」と思うような姿勢こそが、環境適応能力を伸ばす上で一番大事で、成功のスタートラインに立つことになるのだ。
恐怖の先にワクワクを感じられるようになると、変化を楽しめるようになる。
「恐怖や不安を乗り越えた選択こそ人生を変える」――この言葉の通りだと思う。

本を読んでいると、自然と他人の視点や価値観に触れることができる。
それは、自分の“常識”が通じない世界を疑似体験しているようなものだ。
だからこそ、本を通して“心の柔軟性”が鍛えられる。考え方が一方向に偏らず、「こういう考え方もあるんだ」と受け入れる力が育つ。

変化を恐れず、むしろ楽しめるようになると、世界の見え方が変わる。
人間関係の摩擦も、失敗も、すべては“成長のチャンス”に変わる。
そして何より、本を通して得た柔らかい思考と受け入れる姿勢が、新しい環境に自然と溶け込む力――つまり「環境適応能力」を育ててくれるのだ。

行動を起こすきっかけとなる

読書を通じて学んだことを、どこかで実際に試してみる。そうしなければ、どんなに本を読んでも知識は頭の中で眠ったままだ。結局、人生は行動がすべてだ。私はひたすらこれを伝えている。アウトプットのためのインプットであり、行動のための読書。
本を読む人はうまくいく
本を読んでいると、「ああ、いいことを学んだな」と満足してしまう瞬間がある。
でも実際は、どんなに知識を増やしても、それを行動に移さなければ人生は何も変わらない。
読書を通じて学んだことを、どこかで実際に試してみる。そうしなければ、どんなに本を読んでも知識は頭の中で眠ったままだ。

私はそれを、痛いほど経験してきた。
本を読むたびに、「次こそ変わろう」「明日から頑張ろう」と思っても、行動できずに同じ場所に戻ってしまう。頭では理解しているのに、体が動かない。自分の中に「わかっているつもり」の言葉が積み重なっていくだけだった。

けれどあるとき気づいた。
本で得た知識というのは、“正解”ではなく“きっかけ”なのだと。
行動に移した瞬間に初めて、その言葉の意味が“自分のもの”になる。
読書は「アウトプットのためのインプット」であり、「行動のための読書」なのだ。

たとえば、私は本で読んだ「朝の時間が人生を変える」という一文を信じて、毎朝少しだけ早く起きてみた。最初は眠くてつらかったが、散歩をして朝日を浴びるだけで気持ちが不思議と軽くなった。その積み重ねが、今の自分のリズムをつくっている。
ほんの小さな一歩でも、行動すれば景色が変わる。

結局、人生は行動がすべてだ。
知識を蓄えるだけでは、何も始まらない。
ページを閉じたあとに、どんな小さなことでもいいから“試してみる”――その一歩こそが、読書の本当の価値を形にする瞬間だと思う。

好奇心を育てるトレーニングになる

大人になると、新しいことに興味を持つ機会が少なくなる。
仕事や生活の中で決まった行動パターンができあがり、気づけば同じ景色、同じ会話、同じ情報ばかりを見ている。安心ではあるけれど、そこには「未知へのときめき」が薄れていく。

けれど、好奇心は訓練によって育てることが可能だ。特に読書はそのトレーニングとして最適だ。
本を選ぶとき、いつも似たようなジャンルばかり手に取っているなら、あえて少し外してみるのもいい。
たとえば、小説ばかり読んでいた人が心理学の本を開いてみたり、自己啓発書ばかり読んでいた人が歴史や自然科学に触れてみたりする。そうした「知らない世界」に一歩足を踏み入れることで、頭の中に新しい風が吹き込む。

好奇心というのは、生まれつきの性格ではなく、刺激を与え続けることで育つ筋肉のようなものだ。
最初は難しく感じても、読んでいくうちに「へぇ、こんな考え方もあるのか」と驚く瞬間が増えていく。
それが次の興味へとつながり、やがて自分の世界を少しずつ広げていく。

読書のすばらしさは、たった一冊の本が、自分の知らなかった感情や価値観に出会わせてくれることだ。
日常が変わらなくても、視点を変えるだけで世界は広くなる。
そしてその“世界の広がり”こそが、大人になってからもう一度育てたい「好奇心」なのだと思う。

本を読むデメリット

読む本の選び方次第で“偏った考え方”になる

本を読むことは、知識や視野を広げるためにある――そう思われがちだが、実際には逆の作用をもたらすこともある。
読む本の選び方を誤れば、自分の考えを広げるどころか、かえって“狭めてしまう”ことがあるのだ。

たとえば、ある思想や価値観に強く共感すると、人は無意識のうちに「自分の考えを肯定してくれる本」ばかりを選ぶようになる。自分と同じ意見の著者ばかりを読み続ければ、次第にその世界が“真実”だと思い込んでしまう。やがて、異なる意見に触れたときに拒絶反応が起き、他者を「間違っている」と決めつけるようになる。

歴史を振り返っても、その危うさは明らかだ。
ヒトラーは膨大な書籍の中から、自分の反ユダヤ主義的世界観を補強してくれる記述ばかりを拾い集め、自らの信念を“絶対の真理”と錯覚していった。彼にとっての読書は、知を広げるためではなく、自らの偏見を正当化する手段となってしまったのだ。

ある本にこう書かれていた。
「イデオロギーに基づく読書は、自らの独善的な世界観を補強するだけ。
自分自身の中で、納得し、時に反論したりと考えながら、さまざまな分野の本を読む努力を怠らない。」
政治学者が実践する 流されない読書
この言葉が示しているのは、まさに“考える読書”の重要性だと思う。
本は、ただ読めば賢くなれるものではない。大切なのは、「自分の考えに都合のいい言葉」を探すのではなく、「自分の考えを揺さぶる言葉」にも耳を傾けることだ。

異なる立場の本を読むことは、ときに不快で、理解できないことも多い。けれど、その“違和感”こそが思考を深めてくれる。
読書とは、共感だけでなく、反論や葛藤の中から新しい視点を見つけ出す作業でもある。

一方向に傾いた読書は、安心をくれるかもしれない。
でも、そこに留まってしまえば、世界はどんどん小さくなる。
大人の読書とは、自分の心地よい場所を離れて、あえて未知の考えに触れる勇気を持つこと――その繰り返しなのだと思う。

現実逃避になってしまうことがある

本を読むことは、心を落ち着かせ、視野を広げてくれる素晴らしい行為だ。
けれど、そこには小さな落とし穴もある。
それは、現実が苦しくなるほど「本の世界に逃げ込みたくなる」ということだ。

私自身、人生が思うようにいかず、何をやっても報われなかった時期がある。
再受験に失敗し、仕事もうまくいかず、周りとの関係にも疲れ果てていた。
そんなとき、本を開くと、ほんの少しだけ現実を忘れられた。物語の中で生きる登場人物に感情移入し、彼らの成功や成長を見守ることで、自分の痛みを一時的に和らげていた。
本の中では、努力が報われ、誠実さが伝わり、人が成長していく。――その世界が、あまりに優しく、理想的に見えた。

けれど、気づけば私は“読むこと”で安心を得るばかりで、“動くこと”を忘れていた。
本を読むことで現実が変わったような錯覚に陥り、実際の生活は少しも前に進んでいなかった。
現実の自分を見つめる勇気がないまま、本の言葉に逃げていたのだ。

読書は、現実を忘れるための薬にもなる。
しかし、薬には副作用があるように、読書にも“癒しすぎてしまう”危険がある。
本の世界はいつでも完結していて、きれいにまとまっているけれど、現実はそうはいかない。
ページを閉じたあと、戻ってくるのは、やっぱり自分の人生だ。

大切なのは、本の世界に逃げ込むのではなく、本の世界から何かを持ち帰ること。
物語の中に安らぎを見つけることは悪くない。けれど、そこにとどまってしまえば、本が“避難所”ではなく“牢屋”になってしまう。

本は現実を変えてはくれない。
でも、本の中で見つけた小さな気づきや言葉の力が、現実を生き抜くための支えになることはある。
読むことと、生きること。そのバランスを見失わないこと――それが、大人の読書にはいちばん大切なのだと思う。

情報を得るだけで満足してしまう

本を読んでいると、「自分が少し賢くなった」ような気がする。
ページをめくるたびに新しい知識や考え方に出会い、何かをつかんだ気分になる。けれど、それで終わってしまうことが意外と多い。
“知っている”ことで安心し、“できるようになった”と錯覚してしまうのだ。

私自身、そんな時期があった。
努力しても結果が出ず、現実に行き詰まっていた頃、「本を読めば答えが見つかる」と信じていた。成功哲学や自己啓発、心理学、仕事術――さまざまなジャンルの本を読みあさった。
読んでいるときは頭が冴え、心も前向きになる。
だが、いざ現実に戻ると、何一つ行動に移せていなかった。

知識だけが積み重なっていくのに、現実は何も変わらない。
それどころか、知れば知るほど「行動できない自分」を突きつけられるようで、余計に苦しくなった。
「わかっているのにできない」――それが、知識の罠だ。

本の中の言葉は、読むだけでは力にならない。
それを現実の中で“どう使うか”を考えなければ、どれだけ知識を集めても、人生は動かない。
情報を得ることはゴールではなく、スタート地点のはずなのに、多くの場合そこで満足してしまう。

現代は、あらゆる情報が簡単に手に入る時代だ。
だからこそ、“知ること”よりも“考えること”“試してみること”のほうが、ずっと難しくなっている。
行動の伴わない知識は、頭の中で埃をかぶった本棚のように、やがて重荷に変わっていく。

本を読む意味は、知識を増やすことではなく、人生の中で“何かを変えるきっかけ”を見つけること。
一行でもいい、心に刺さった言葉を一つでも行動に移せたなら、それはもう「生きた読書」だと思う。

まとめ|本を読むことは“心の投資”

これまで、本を読むことのメリットやデメリットを挙げてきた。
知識が増え、心が落ち着く反面、偏った考え方になったり、現実逃避に陥ったり、情報を得るだけで満足してしまうこともある。
それでもなお、私が本を読むのをやめられないのは、「読書は心の投資」だと信じているからだ。

お金の投資は、目に見えるリターンを求めるものだが、心の投資はそうはいかない。
読書はすぐに結果が出るものではないし、読んだ内容を全部覚えているわけでもない。
それでも、何冊もの本を読み重ねるうちに、考え方の軸が少しずつ整い、感情の波が穏やかになっていく。
焦りや不安があるときでも、「あの本に書いてあった言葉」を思い出すだけで、心が静かに落ち着くことがある。
その“積み重ね”こそが、心への投資なのだと思う。

本の価値は、読み終えた瞬間ではなく、時間が経ってからじわじわと現れる。
挫折したときに励まされた一文、孤独な夜に寄り添ってくれた言葉、人生を見つめ直すきっかけをくれた物語。
それらはすぐに役に立つわけではないけれど、いつかふとした瞬間に、静かに背中を押してくれる。

私はこれまで何度もつまずき、何度も立ち止まってきた。
そのたびに支えになってくれたのは、誰かの言葉だった。
だからこそ、本を読むことは、未来の自分への“貯金”のようなものだと思っている。
今すぐ報われなくても、数年後、あるいは十年後の自分を救うのは、今日読んだ一冊かもしれない。

本を読むことに意味があるかどうかは、すぐにはわからない。
けれど、本を読む時間は確実に、自分の心を育てている。
それは効率では測れない、人生の根っこをゆっくりと太くしてくれるような感覚だ。

本を読むことは、未来の自分に静かに期待する行為。
そしてそれこそが、“心の投資”という言葉の本当の意味なのだと思う。

ここまで読んでいただいてありがとうございます。下記はこの記事で紹介した本です。
のんねこ
ミニマリスト
現在は理学療法士という医療従事者として働いていますが、かなりの底辺な人生を歩んできました。

22歳で大学中退⇒フリーターを10年以上経験⇒医学部再受験失敗⇒33歳で理学療法士養成大学に進学⇒37歳で理学療法士として初就職しましたが、人間関係のトラブルで40歳で無職に逆戻り。なんとか転職先を見つけて現在働いています。
こういった経験からお金を大切に使うためにミニマムに生きることにしました。

失敗ばかりで成功体験なんてほとんどありませんが、私と同じように社会の底辺の方でも、ミニマリストになることで人生を上手く生きていく方法をご紹介できたらと思います。
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