焦らなくて大丈夫。自分を見失わない“自分軸”の育て方

※このサイトはPRを含みます
焦らなくて大丈夫。自分を見失わない“自分軸”の育て方
正直に言えば、順風満帆な人生ではなかった。
最初に入った大学は留年し、結局卒業もできずに22歳で中退。
そこから10年以上、フリーターとして生きた。
20代後半になってようやく就職を考えたが、どこを受けても落ちてばかり。
それでも諦めきれず、27歳からはフリーターをしながら医学部再受験を志した。
けれど、その挑戦も失敗に終わった。

方向転換して理学療法士を目指したときも、最初の専門学校には不合格。
ようやく33歳で医療大学に合格できたとき、人生で初めて「やっと、ここからだ」と思えた。
そこからは、何があっても後ろを振り向かずに走った。
そして37歳で理学療法士として老健に初就職を果たした。

これまで何度も挫折して、何度も心が折れそうになった。
「もうダメだ」「自分には無理だ」――そう思った夜は数えきれない。
でも、本気でそう思っていたわけじゃない。
ダメだと言ったほうがラクだっただけだ。
挑戦をやめれば、傷つかずに済むから。

だけど、それでは何も変わらない。
人生を変えるには、信じた道を全力でやるしかない。
どれだけ遠回りでも、どれだけ時間がかかっても、
自分が選んだ道に力を注ぎ続ける。
その覚悟こそが“自分軸”であり、
他人の評価ではなく、自分の納得で生きるための唯一の方法だと思っている。

焦らなくていい。
何度転んでも、自分を信じて立ち上がる限り、人生はやり直せる。
そしてその一歩一歩こそが、僕の“自分を見失わない生き方”なんです。
この記事の伝えたいこ
  • 信じた道を全力で生きることが、自分軸を育てる。 何度倒れても、結果が出なくても、あきらめずにやり抜く姿勢が“自分軸”を強くしていく。 他人の評価ではなく、自分の納得で生きることが、人生を変える第一歩。
  • 遠回りや立ち止まりも、ちゃんと意味がある。 焦って進むより、自分のペースで考えながら進むほうが、本当に大切なものに気づける。失敗も回り道も、あなたの中の「本当の力」を育てる時間になる。
  • 心に余白があるときこそ、人は一番強くなれる。 のほほん生活が伝えたいのは、無理をしない“穏やかな全力”。リラックスしているときこそ、自分らしい力が自然に出て、人生が動き始める。
目次

20代で挫折しても、人生はやり直せる

大学中退、10年のフリーター生活。そこから再び立ち上がった理由

22歳で大学を中退し、そこから10年以上フリーターとして生きた。就職活動を始めても、年齢と空白は重くのしかかり、面接では過去をえぐる質問に自尊心を削られた。圧迫気味のやり取りを繰り返すたびに自己評価が下がり、挑戦と休止の悪循環に陥った――それでも、心の底では「このまま終わらない」と声が鳴っていた。

27歳で医学部再受験に賭けた。結果は失敗。そこで「就職という出口までたどり着ける資格」を手に入れる戦略へ切り替え、医療系に照準を合わせた。最初に受けた理学療法士の専門学校は不合格――それでも前進をやめず、33歳でやっと理学療法士の医療大学に合格した。

学び直しの4年を“全力で”走り切り、37歳で理学療法士として老健に初就職。社会に戻るドアは、一気にではなく、日々の積み重ねで開いた。ここで確信したのは、「正解かどうかは結果が教えてくれる。だが、信じた道に力を注ぎ切る姿勢こそが自分軸を育て、人生を変える」ということだった。

あの頃、「ダメだ」と言うほうが楽だった。挑戦をやめれば傷つかないからだ。だが、楽な言い訳を手放し、選んだ道に責任を持つと決めた瞬間から、歯車は動き出した。遠回りでも、遅くてもいい。自分を見失わない生き方とは、信じた道をやり切る覚悟を更新し続けることだ。

まとめるなら――「人生はやり直せる」は希望ではなく、戦略と継続の結果である。資格という現実的な梯子をかけ、今日の一歩を全力で踏み出す。それが、立ち上がり続けた私の理由だ。

「ダメだ」と言っていたのは、自分を守るための言い訳だった

「もうダメだ」「自分には無理だ」――そう口にしていたのは、敗北の言葉ではなく自分を守るための言い訳だった。
失敗すれば傷つく。笑われるかもしれない。だから先に「無理」と言っておくほうが、心は楽だった。

でも、どんな理由を並べても、動かなければ何も変わらない。
才能がある人が羨ましいと思うことはある。
たしかに、人生は努力だけで説明できない。生まれ持った環境やセンスで差がつくこともある。
けれど、それを理由に止まってしまえば、そこから先は永遠に変わらない。

才能のあるなしで人生が決まってしまうことは、たしかにある。
でも、それ以上に――「何もしない」という選択が、未来を閉ざす。
行動し続ける人だけが、自分の限界を塗り替えていく。

小さくてもいい。
5分だけでもいい。
行動には“流れ”がある。動き出した瞬間から、次の展開が生まれる。

結局、人生を動かすのは、才能ではなく**「続ける勇気」**だ。
「自分はまだできる」と信じて、もう一度立ち上がる。
その繰り返しの中でしか、“自分軸”は育たない。

結論:才能の差は埋まらなくても、行動の差は埋められる。何もしなければ何も変わらない――それだけは、間違いなく真実だ。

挑戦をやめたら、本当に終わってしまうと思った瞬間

もしも「私にはこれがないからできない」「あれがないから無理だ」と思っているなら、自分はそういう人間だということです。昔の人はそれを「弱虫」「意気地無し」「腑抜け」と言いました。 いまは面と向かって「あなたは腑抜けだ」と言ってくれる人はいません。だから気づけない。
成功に価値は無い!
「私にはこれがないからできない」「あれがないから無理だ」――
かつての自分も、そうやって言い訳を並べていた。
学歴がない、年齢が遅い、経験が足りない。
何かが“欠けている”ことを理由にして、行動しない自分を正当化していた。

でも、あるとき気づいた。
そうやって言い訳をしている限り、自分は永遠に“できない人間”のままだということに。
「私にはこれがないからできない」と思う人間は、ずっと言い訳だけをして一生を終える。
昔の人はそれを「弱虫」「意気地なし」「腑抜け」と呼んだ。
いまは誰も面と向かってそう言ってくれない。
だからこそ、自分で気づくしかない。

挑戦をやめたら、本当に終わる。
失敗しても、遅くても、笑われても、動き続ける人間だけが人生を前に進められる。
才能や環境に恵まれなくても、挑戦を続ける人には必ず“変化”が起きる。
行動をやめた瞬間、時間も成長も止まってしまう。

他人の言葉だけで、自分を奮い立たせて動くのは難しい。
自分で決めるしかないのだ。
「もう一度やってみよう」と思える瞬間を、自分の手でつくるしかない。
痛みや悔しさの中にこそ、次の一歩を踏み出す燃料がある。

信じた道を全力でやると決めた日

何度落ちても、もう一度立ち向かう勇気

「草臥るる」は「くたぶるる」と読みます。不幸せのときこそが、人間の生命の価値が問われているときなのです。だから、不幸せになってがっくり落ち込んでしまうようではダメだ、ということです。
成功に価値は無い!
「草臥るる(くたぶるる)」――つまり、心が折れて力尽きること。
誰にでもある。努力が報われず、期待を裏切られ、もう立ち上がる気力すら残っていないような日。
だけど、不幸の中で立ち止まったままでは、何も変わらない。
むしろ、そういうときこそが、人間の生命の価値が問われている瞬間だ。

不幸せの中で落ち込み続けるのは簡単だ。
「どうせ自分には無理だ」「運が悪かった」と言ってしまえば、心は少し楽になる。
だが、それでは何も残らない。
失敗も、悔しさも、立ち上がってこそ意味を持つ。

人生で本当に強くなれるのは、順調なときではない。
すべてがうまくいかず、信じていた道が閉ざされたときだ。
そのときに「もう一度やってみよう」と思えるか。
その一瞬の決断が、未来を決定づける。

私自身、何度も落ちてきた。
大学中退、就職の失敗、受験の不合格。
何度も、何度も「もう無理だ」と思った。
けれど、そのたびに這い上がった自分を信じるしかなかった。
倒れた回数よりも、立ち上がった回数のほうが多ければ、それでいい。

不幸せを避けることはできない。
けれど、不幸せの中で“草臥るる”か、“踏ん張る”かは、自分で選べる。
そして、踏ん張るたびに人は強くなる。
立ち上がるたびに、自分軸は太くなる。

結論:幸せなときに輝くのは誰にでもできる。だが、不幸の中で諦めずに光を探す人こそ、本当の強さを持っている。倒れてもいい。何度でも立ち上がれ――そこにこそ、生きる意味がある。

医学部再受験の失敗から見つけた“本当の目標”

27歳のとき、私は医学部再受験を志した。
フリーターとしての10年の間に、「人の役に立つ仕事をしたい」という思いが心の奥に芽生えていた。
それは憧れでもあり、償いでもあった。
失敗を重ねてきた自分でも、誰かの力になれる道があるなら、もう一度やり直せる気がしたのだ。

けれど、現実は甘くなかった。
仕事をしながらの受験勉強は想像以上に過酷で、結果は不合格。
その瞬間、心の中にぽっかりと空洞ができた。
「自分の努力は全部無駄だったのか」――そう思った夜も、数え切れない。

だが、時間が経つうちに気づいた。
あの挑戦は、決して無駄ではなかった。
医者になることが目的だったのではなく、
“人を支える仕事に本気で向き合いたい”という自分の願いが、はっきり見えたからだ。

私は「治す人」にはなれなかった。
けれど、「寄り添う人」にはなれる。
身体の痛みだけでなく、心の不安にまで寄り添える仕事――それが理学療法士だった。
医師ではなくても、人の人生を動かす瞬間に立ち会える。
そう思ったとき、心の中で何かがすっと整った。

そこからの道は簡単ではなかった。
最初に受けた理学療法士の専門学校には落ちた。
それでも、もう一度挑戦した。
33歳で医療大学に合格したとき、やっと自分の居場所を見つけた気がした。

失敗の先にしか見えない景色がある。
目標を失ったように思えても、それは本当の目標を見つけるための通過点だった。
あの失敗がなければ、私は今、理学療法士として患者と向き合うこともなかっただろう。

結論:夢が壊れる瞬間は、人生が終わる瞬間ではない。
むしろ、本当に大切なものが見え始める“始まり”だ。
医学部受験の失敗は、私に“人を支える生き方”を教えてくれた。

全力で生きることで、“自分軸”は育つ

他人の評価ではなく、自分の納得で生きる

人は誰でも、他人の目を気にして生きている。
それ自体は自然なことだ。
けれど、気づかないうちに“他人の評価”が人生の物差しになってしまうと、
どれだけ頑張っても満たされなくなる。

かつての私は、まさにそうだった。
大学を中退したことも、長くフリーターをしていたことも、
いつも周りの目が気になって仕方がなかった。
「世間からどう見られているのか」
「同年代はもう安定した職に就いているのに」
そんな思いが頭の中を占め、努力さえも“人に見せるための頑張り”に変わっていった。

だが、そうやって他人の期待に合わせて生きていると、
心はいつもどこかで疲れていく。
いくら認められても、いくら褒められても、心の中に空洞が残る。
なぜなら、本当の達成感は“誰かに褒められた瞬間”ではなく、“自分が納得した瞬間”にしか生まれないからだ。

理学療法士の道に進んでから、ようやくそれが腑に落ちた。
患者さんの歩行訓練が一歩でも前に進んだとき、
誰に見られていなくても心の底から「よかった」と思える。
その瞬間にあるのは、他人の評価ではなく、自分の納得だ。

自分の納得で生きるというのは、わがままでも自己中心でもない。
それは、自分が責任を持てる選択をするということだ。
誰かに背中を押されなくても、自分で決めて、自分で動く。
たとえ失敗しても、後悔が残らないのは“自分で選んだ”道だからだ。

結論:他人の評価は一瞬、自分の納得は一生。
周りの声に左右されず、自分が「これでいい」と思える道を選ぶ。
それこそが、自分を見失わずに生きるための、いちばん確かな軸だ。

苦しい時ほど、諦めずにやり抜く力が鍛えられる

人生の底にいるときは、何をしても報われないように感じる。
努力しても結果が出ない。
何かを始めても、また失敗する。
「もう疲れた」と言いたくなる瞬間は、誰にだってある。
私もそうだった。

大学を辞めたときも、就職で落ち続けたときも、医学部再受験に失敗したときも――
どれも、自分の努力がすべて否定されたような気がした。
「もうやめてしまおう」と何度も思った。
けれど、そこでやめなかったから、今の自分がいる。

やり抜く力というのは、生まれつきの才能ではない。
苦しい時に逃げずに立ち向かった回数でしか鍛えられない。
一度逃げれば、次も逃げる理由を見つけてしまう。
でも、一度踏ん張れば、次に苦しいことが起きたときも「この程度なら耐えられる」と思える。
その積み重ねが、自分の中の“折れない芯”を育てていく。

人は順調なときには成長しない。
本当の成長は、足元がぐらつくほどの不安や挫折の中でしか起こらない。
それは、自分と真正面から向き合わざるを得ないからだ。
逃げ道がないとき、人は初めて「自分で立つ力」を学ぶ。

そして不思議なことに、苦しみを越えるたびに、心が少しずつ静かになっていく。
焦らなくなる。人と比べなくなる。
「苦しいときこそ、自分の軸を試されている」と思えるようになる。
そのとき、人はただの努力家ではなく、覚悟のある人間になる。

結論:やり抜く力は、苦しみの中でしか鍛えられない。
逃げずに踏ん張った日々の積み重ねが、どんな成功よりも価値のある“芯”になる。
だからこそ、苦しい時こそが――自分を育てる最高の舞台なのだ。

信念を貫く人だけが、ブレない強さを手に入れる

信念とは、言葉で語るものではない。
それは、どれだけ苦しい状況でも「自分はこう生きる」と決めた心の姿勢だ。
迷いながらでも、立ち止まりながらでも、その軸だけは折らない。
その繰り返しが、人の強さを形づくっていく。

何度も失敗して、笑われて、心が折れそうになることはある。
けれど、信念を持つ人は諦めない。
なぜなら、**信念とは“誰かに見せるためのもの”ではなく、“自分を支えるためのもの”**だからだ。

私もかつて、周りの評価を気にして、自分の軸を見失っていた。
でも、結局のところ、他人が何を言おうが、最後に責任を取るのは自分しかいない。
だから、自分が信じた方向に進むしかない。
失敗しても、笑われても、自分が納得できる選択を貫く。
それが“信念を持つ”ということだと思う。

信念を貫く人は、強いから揺るがないのではない。
何度も揺らいでも、そのたびに立て直してきたから強くなったのだ。
心が折れかけるたびに、自分を信じ直し、軌道を修正する。
それを何度も繰り返すうちに、もう誰にも崩されない土台ができる。

人は、勝ったときではなく、迷ったときにこそ本性が出る。
そのときに「それでも自分を信じる」と言えるかどうか。
その一言が、自分軸を決める。

結論:信念とは、声高に語るものではない。
ただ静かに、やり抜く覚悟を持ち続けること。
その積み重ねだけが、ブレない強さをつくり出す。
そしてその強さは、他人から与えられるものではなく――自分で鍛え上げていくものだ。

焦らなくていい。信じる道を進めばいい

遠回りでもいい、立ち止まってもいい

私は、人生の近道を一度も歩いたことがない。
むしろ、誰よりも回り道ばかりしてきたと思う。
大学を中退し、10年以上フリーターをして、何度も夢を諦めかけた。
まっすぐ進む人を横目に、自分だけ取り残されたような気がして、何度も焦った。

でも、今になって思う。
あの遠回りの時間がなければ、“本当に進むべき方向”を見つけることはできなかったと。

焦って進んだ道は、途中で折れる。
他人のペースで走った道は、途中で息切れする。
けれど、立ち止まりながら考え、自分の足で歩いた道は、確かに自分のものになる。

立ち止まるのは、悪いことじゃない。
悩むことも、迷うことも、人間にとって必要な時間だ。
心が追いつかないまま進めば、いずれどこかで崩れてしまう。
だからこそ、止まる勇気を持つことも、立派な前進なのだと思う。

遠回りには、無駄が多いように見える。
でも、その無駄の中にこそ「気づき」や「出会い」や「強さ」が眠っている。
私にとっての10年のフリーター時代や受験の失敗も、
今振り返れば、自分軸を鍛えるための“必要な時間”だった。

遠回りでもいい。
歩く速度は人それぞれでいい。
立ち止まっても、後ろを振り返っても、また前を向けばいい。
大切なのは、進むことをやめないこと。

結論:早く進むことが偉いわけじゃない。
自分のペースで、自分の道を歩き続けること。
それこそが、焦らず生きるためのいちばん確かな強さだ。

いま与えられた仕事を全力でやる。そうすれば、運命に組み込まれている才能が反応します。その才能が、自分の中から運命を引き出してくれます。  アルバイトでも何でも、死に物狂いでやる。ただひたすらに一生懸命やった人間だけが、運命である仕事に行き着けるのです。
成功に価値は無い!
人はつい、「結果がすべて」と思ってしまう。
合格、不合格。採用、不採用。成功、失敗。
世の中は数字や肩書で価値を測ろうとする。
だからこそ、結果が出ないとき、人は簡単に自信をなくす。

けれど、本当に人生を変えるのは“結果”ではない。
そのとき、自分がどれだけ本気で向き合えたか――そこにすべてがある。

私がまだフリーターだった頃、やりたいことも見えず、ただ目の前の仕事をこなすだけの毎日だった。
しかし、あるとき気づいた。
どんな仕事であっても、「手を抜かずにやってみよう」と決めた瞬間から、
心の中に小さな変化が生まれた。

掃除でも接客でも、任された仕事を全力でやる。
不器用でも、時間がかかっても、一つひとつ丁寧に。
それを繰り返しているうちに、不思議と“自分の中に眠っていた何か”が反応し始めた。

いま与えられた仕事を全力でやる。そうすれば、運命に組み込まれている才能が反応する。
その才能が、自分の中から運命を引き出してくれる。

この言葉の通りだと思う。
特別なチャンスがあったわけでも、誰かに引き上げてもらったわけでもない。
ただ、目の前のことを一生懸命にやってきた。
それだけだった。

でも、その積み重ねの中で、理学療法士という仕事に辿り着いた。
運命のように感じたのは、才能があったからではない。
全力で生きる姿勢が、運命を呼び寄せたのだと思う。

結果が出なくてもいい。
報われなくてもいい。
誰かに評価されなくてもいい。
「自分は全力でやった」と胸を張れるかどうか――そこが人生の分かれ道だ。

結論:才能は待っていても目覚めない。
いまこの瞬間を本気で生きる人にだけ、未来が反応する。
結果よりも、「やり切った」と言える生き方を選ぼう。
その瞬間から、あなたの運命は静かに動き出している。

「自分はまだできる」と信じる力が、未来を変える

人生は思うようにいかない。
努力が報われないこともある。
何度挑戦しても、結果が出ず、立ち上がる気力すら残らない夜もある。

それでも――
「自分はまだできる」と信じる力だけは、決して手放してはいけない。

それは根拠のない自信ではなく、
何度も倒れても立ち上がってきた自分への信頼だ。
たとえ今うまくいかなくても、
これまで積み重ねてきた時間や努力は、確かに自分の中に残っている。
それは見えない形で、自分を支えてくれている。

「もう無理だ」と思うたびに、
それでも歩き続けてきた過去の自分を思い出す。
あのときも倒れた。
でも、結局は立ち上がった。
ならば今回もきっと立てる――そう信じる。
その繰り返しが、人を前へ進ませる。

未来を変えるのは、特別な才能でも、奇跡でもない。
信じて動き続ける力だ。
たとえ結果がすぐに出なくても、信じている限り、人生は止まらない。
むしろ、動こうとする意志そのものが、未来を形づくっていく。

人は信じた分だけ強くなる。
諦めた瞬間にすべてが終わるように、信じた瞬間に未来は動き出す。

結論:どんなに苦しくても、心の中で「自分はまだできる」と言い切れ。
その言葉が、暗闇の中で灯りになる。
信じる力は、未来を変える最初の一歩だ。
そしてその一歩が、あなたの人生をもう一度動かしていく。

まとめ:のほほんとゆったり全力でやればいい

ここまでいろんなことを話してきたけれど、
結局のところ、私は「がんばること」そのものを否定したいわけじゃないんです。
むしろ、本気で生きることの大切さは痛いほど知っている。
だけど、歯を食いしばって無理を重ねても、うまくいかないことがある。
それを何度も経験してきたからこそ、今はゆっくり生きることの意味が分かるんです。

「のほほん生活」で伝えたいのは、
のんびり暮らすこと=怠けること、ではなくて、
“心に余白を持つことこそが、本当の全力につながる”という考えです。

人は、緊張し続けていると本来の力を出せません。
焦りや不安でいっぱいの心では、どんなに努力しても結果が出にくい。
だけど、リラックスしていて、心にゆとりがあると、
自然と集中できたり、思いがけないひらめきが浮かんだりする。
それが“のほほん”の強さなんだと思います。

だから、焦らなくていい。
立ち止まっても、遠回りしても大丈夫。
自分のペースで、信じた道を歩いていけばいい。
そのゆるやかな歩みの中にこそ、ちゃんと力は宿っている。

心に余白がある人ほど、遠くまで行ける。
力を抜くことは、サボることじゃない。
のんびりと生きながらも、自分の信じた道を丁寧に歩いていけば、
それだけで、もう立派な“全力”なんです。

のんねこ
ミニマリスト
現在は理学療法士という医療従事者として働いていますが、かなりの底辺な人生を歩んできました。

22歳で大学中退⇒フリーターを10年以上経験⇒医学部再受験失敗⇒33歳で理学療法士養成大学に進学⇒37歳で理学療法士として初就職しましたが、人間関係のトラブルで40歳で無職に逆戻り。なんとか転職先を見つけて現在働いています。
こういった経験からお金を大切に使うためにミニマムに生きることにしました。

失敗ばかりで成功体験なんてほとんどありませんが、私と同じように社会の底辺の方でも、ミニマリストになることで人生を上手く生きていく方法をご紹介できたらと思います。
よかったらシェアしてね!
  • URLをコピーしました!
  • URLをコピーしました!

コメント

コメントする

目次