『礼とは科学である』と言ったら、みなさんは驚くでしょうか。 礼は愕然たる東洋の化学です。 西洋人は『よく分からないモノ』は神の御業と定め、『目に見えるモノ』だけを研究の対象として究明し、その結果、知りえたもののことを『科学』と名付けました。 東洋人は、見えるものも、見えないものも区別せずに捉え、究明し、その方法論として陰陽五行の考え方が芽生えました。 そして、東洋の稀に見える特徴として、陰陽五行の考え方を、目に見えない不可思議なものと、人間との付き合い方にまで適用したことにあります。 この考え方を論拠として、目に見えないものとの付き合い方を、構築していったものこそ「礼」に他なりません。 礼とは、物事を本質をとらえようとした理論が目に見えないモノまで適用され、整えられていったものです。 礼は今では大分軽薄していますが、現代でも意味あるものなのでしょうか? それをこれから解説していきます。
目次
礼を確立したのは孔子
礼を確立したのは『論語』で有名な孔子です。
孔子は、「礼を学べば、人同士は仲良く暮らすことができ、社会は豊かで幸福になる」と考えました。
このように考えるようになったのは、孔子が生きていた春秋時代が文明の爛熟期を迎え、生きるための英知が必要だったからです。「世の中は乱れに乱れているのは、人々が礼を知らなくなったからだ」と思ってのことです。
孔子の時代の春秋時代にも礼は形成化し、まるで現代のように礼など無用の長物と見られていました。
現代でも、挨拶、敬語はある程度残っていますが、どうして必要なのか考えたことはないと思います。
礼とは『幸福の理論』
人間同士の心の中、人間と自然とのかかわり方、生者と死者のと付き合い方、文化習慣を異にする人間集団の付き合い方、経営者と労働者の関わり方などは窺知し難いものです。 礼は、わからないもの謎としてあるものに対して、疑心が妄想からおこる恐怖心を生むような人間の持つ悪徳に陥ることなく、平和で幸福な生活を送るために生み出された理論です。 したがって、礼をわきまえていれば、一生苦労することなく気持ちよく暮らせるような方法論の集積となっています。 他人の奥深い心の内が謎とされているのは今も昔も変わりありません。 何を考えているのか分からないと不安に思ってしまうかもしれませんが、謎には礼をもって接すると気持ちよくうまくいきます。謎は根掘り葉掘りさぐらないことが肝要です。 礼とは「すべての人間との良い関係を保つための方程式」に他なりません。 礼がしっかりしていると、人は警戒心を解きます。 相手に対して好印象を抱かせ、人間関係の潤滑油となります。
礼に真心を込める
といっても、挨拶をしてもらってもかえって不快に思うことはありませんか? 声が小さかったり、ぶっきらぼうだったりすると逆に悪印象を与えてしまいます。 最近では、礼は形式化し堅苦しい教条主義なっているように感じられます。 礼を動かしている原動力は『人間の真心』です。 真心の伴わない礼ほど嫌味なものはありません。 礼を守る自分を誇示するための礼や、相手に礼を要求するための礼、また自分が好かれたいための礼や相手を批判するための礼などが最も礼にそぐわない行為となります。 礼は複雑な人間関係を円滑にします。 かといって、嫌いな相手や挨拶もしない人間に『真心』込めるのは正直難しいです。 そのときは礼を慎んだ方がかえって人間関係を悪くすることもなくなるでしょう。 私も職場の利用者さんの中には、ひどく嫌ってくる人もいます。 「リハビリなんか宗教だ」とまで言われました。 こういった方とは距離を取って、お付き合いさせていただいています。
本物の礼とは?
とある逸話をお話しします。
大英帝国がインドを支配していた時代ん、インドの首長が女王から招待を受けました。
英国の食事作法を知らなかった首長は、フィンガーボール(指を洗う水入れ)の水を飲んでしまったそうです。
周囲の英国紳士淑女たちは軽蔑の目を向けて笑いましたが、女王は、自らもフィンガーボールの水を飲みました。
それを見て、紳士淑女は笑いを止めました。
この逸話が礼そのものを表しています。
礼は形ではなく、相手が失敗すれば自分も失敗することも厭わないです。
礼を活かすための真心とはこのことを言います。
相手を思いやる真心を持つことは中々難しい世の中ですが、形にとらわれずに他人に礼を尽くしたいものです。
まとめ
礼は決して他人をけなすための材料ではありません。 なるべく元気よく、気持ちのいい挨拶をしてみてはどうでしょうか。 元気のいい挨拶を貰うと、貰った側もとても気持ちのいい気分になります。 「挨拶」はもともとは禅語です。漢字の「挨」も「拶」も押し合うという意味です。 禅僧がお互いに押し問答を通してこころのなかを推し量り、相手の悟りの程度を知ろうとするというのが本来の意味です。 ここから挨拶はこころに働きかけるものだということが分かります。 挨拶は心をかわす前の準備段階です。挨拶があるおかげで、人に声をかける第一声の難易度が楽になりました。 礼は挨拶だけではありませんが、挨拶に真心を込めるだけで、その次のその人との会話がとてもスムーズにできます。 礼は現代でも十分意味のあるものです。 本物の「礼」を取り戻し、人間関係を良きものにしていきましょう。 この記事は執行草舟さんの『生くる』を参考にして書いています。 ここの記事の内容のような人生の生き方について学べます。
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