『孤独』と聞かされるとネガティブなイメージが強く、特に歳を取れば取るほど一人になりやすいため、孤独になるのを忌避する傾向にあるようです。
しかし、孤独を避けようとするほど不幸になります。
私は40代男性ですが、なぜそんなことが分かるのかというと老人保健施設で理学療法士(リハビリをする医療職)として働いているからです。
孤独を避けようと老人保健施設や特養や有料の老人ホームに来る人は多いですが、ここでの生活はとても幸せというものとかけ離れています。
なぜかというと、人は役割や没頭するものがあってこそ輝きますが、ここでは「介護される人」という厄介者というレッテルを貼られ、ただTVを見て過ごすか、ベッドで寝て過ごすかぐらいしかすることがないからです。
高齢になればだれでも通る道なのでしょうがないとは思いますが、人生においてマイナスの役割がしかないというのは、自分自身悲しいモノですし、余計に惨めに感じてしまってもしょうがないと思います。
人は趣味であり、仕事であり何か自分から能動的にできることができなければ、老人ホームなどに入るなどして物理的に孤独を解消できたとしても精神的には孤独を感じてしまう生き物です。
最近ではFIRE(早期リタイヤ)が流行っていますが、仕事というのは自分に役割をくれる一生においてとても大切なものだと私は実感しています。
無理をしすぎて仕事で不幸になってしまう人もいますが、自分が無理しない程度に働けるのならば人生の充実度は確実に上がるでしょう。

といっても、高齢ともなればいつかは仕事を引退しなければいけません。
そうなったときに、上手く孤独と付き合っていくにはどうしたらいいのでしょうか?
ここでは松原 惇子さんの著作『孤独こそ最高の老後』を参考にしながら、高齢者の孤独を解消する方法を紹介できたらと思います。
高齢者の孤独を解消するために、有料老人ホームはありか?
「死にたい」と連呼する入所者さん

老人ホームによっては「死にたい」と連呼する入所者さんがいらっしゃいます。
私は2つの老人保健施設に勤めましたが、不思議なことに1つ目の老人保健施設では「死にたい」と連呼する入所者が多かったですが、現在働いている老人保健施設では「死にたい」と泣き叫ぶ人はみたことがありません。
もちろん、中には「早くお迎えが来てほしい」という人はいますが、「死にたい」「殺してくれ」と直接的に言う人はいません。
したがって、すべての老人ホームが「死にたい」と連呼しているわけではありませんが、内心では「死にたい」と思ってる人が圧倒的に多いでしょう。
私たちは職員なのでこういった事実を家族さんに話したりはもちろんしません。家族に負い目を感じさせてしまうからです。
施設入居は老人本人にとりいいところとは言い難い。しかし、家族にも自分たちの生活があるので、かわいそうだと思ってもホームにお願いするかないのが現実なのだ。
孤独こそ最高の老後
老人ホームは物理的には孤独は解消されているといっても、精神的には満たされていない人が多いことを忘れてはいけません。 因みに私の施設では、入所者が少しでも笑って過ごせるように体操やレクを重点的に行っています。 集団リハビリでは、皆さんむきになってゲームに参加してくれます。無表情だったり、元気がなかった入所者もどんどん元気になっていくのが分かるので、いかにみんなでワイワイ楽しむのが大事かがよく分かります。 孤独を解消云々関係なしに、介護が必要となればいつかは誰もがこういった施設に入ることになります。 施設によって違いはありますが、一度見学させてもらって入所者の人の顔を見てみてください。 笑顔がみられるようならそこは良い施設と言えるでしょう。

家族に捨てられたという思いを抱く

老人保健施設に入所される人の中には家に帰ることを前提で入所される人がいます。 しかし、家族も介護がない生活に慣れてしまうと「帰ってきてほしくない」と考えを変える場合があります。 「頑張ってリハビリして帰ってきてね」と言われてた入所の方も帰れないと分かると「家に帰りたい」と泣き叫んだりします。 特にこういった方は家族に捨てられたと思いが強くなるようで、意気消沈し、生きる気力を一気になくしてしまいます。 これはこの人に限ってではありません。入所してるほとんどの人は家族に捨てられたという思いがあります。 ここは「姨捨山やね」とはっきり言われる入所者さんもいらっしゃいます。 時間とともに施設の生活には慣れてしまいますが、もはや「ここで一生を終えるんだ」諦めに近い感情を持つようです。
安心して最後まで暮らせる場所にいるからといって幸せになれない

安心して最後まで暮らせる場所があればいいじゃないかと思われるかもしれません。
しかし、老人ホームでの最大の敵は暇と退屈です。
有料老人ホームに入居するというのは、安心を買うということだ。しかし、安心は手に入れられても、幸せを手に入れるのはまた別の話だ。
もし、ホームの生活に幸せを求めるのなら、部屋でひとりで好きなことに没頭するか、それとも努力しておしゃべり相手を見つけるのか、どちらかだろう。
孤独こそ最高の老後
私の勤めている老人保健施設での生活はというと、ベットで寝ているか、TVを見ているか、窓際で外を見ているかのいずれかです。
特に楽しみもなければ、やることもありません。レクやリハビリはありますが、1日中あるわけではありません。
そうなると、高齢者の孤独を解消する方法としては、身体が不自由になってもできる趣味を探すことです。
入所者さんの中には、塗り絵をして楽しんでいらっしゃる方もいます。
私の場合はインドアの趣味として、ブログ、読書、アニメ、漫画、映画とあるのでそこまで退屈せずにすむかなと思っています。
いま趣味がない方は、ぜひ一生できる趣味を今から探しておいてください。
趣味を探すときは、興味がないことでも一度はやってみることです。
あまり面白くなさそうと決めつけてしまうと、何も行動しないままTVだけだらだら見るという生活になってしまいます。
本屋さんに行き、自分が興味がありそうな趣味本の一冊を手に取って読んでみてはどうでしょうか?
高級有料老人ホームなら幸せか?

有料老人ホームには独房のような老人ホームから高級老人ホームまでピンからキリまであります。
中にはホテルに住んでいると錯覚するぐらいに綺麗で、毎日外食を食べているかのようなご飯がでるところもあります。
お金があるのならば、老後の幸せのために高級老人ホームにはいるのもありでしょう。
因みに料金は一部紹介すると入居金が3千万円で月々の管理費が約11万だそうです。
老後の資金と年金を足せば決して手が届かない範囲ではありません。
ただ、ホテルのような生活であれば幸せであるかと言われるとそうではないと思います。
人は簡単に慣れてしまいます。最初は良くても、高級老人ホームであろうと当たり前になってしまうのです。
さらに松原惇子さんが見学した高級老人ホームでは以下の通りだったようです。
誰とも目線が合わないこの座り方は、一体何なのか。これには正直、違和感を覚えた。
今まで数多くの老人ホームを見てきたが、全員が同じ方向に並ぶ光景は初めてだったからだ。
利用者はただ外を見ながらランチを食べているだけなのだろうが、人を寄せつけない空気が漂っている。
孤独こそ最高の老後
すべての高級老人ホームがこんな風ではないでしょうが、私の働いている老人保健施設でも和気あいあいと利用者同士が話しているということはありません。 4人席で向かい合ってご飯をたべていますが、ひたすら黙って食べています。 たまに知り合いと出会うと仲良くなる場合がありますが、ほとんどは見知らぬ人ばかりなのでコミュニケーションがうまくなければ、職員以外とは話さずに1日終わるということもありえます。 先ほども言いましたが、入所したからといって他人任せであると暇と退屈の老後を過ごすことになるでしょう。
高齢者の孤独を解消するために、妻に依存するのはありか?

2010年の内閣府「第7回高齢者の生活と意識に関する国際比較調査」によれば60歳以上の夫婦に「心の支えとなる人」を聞いたところ、日本の高齢夫の妻依存度は78.8%と8割近くあるそうです。 逆に妻の夫依存度は54%と低くなっています。
夫が会社に夢中になっていた30余年の長い間に、妻は妻で自分の居場所で地域や趣味の友達をつくりあげていたのだ。そこへ、ひょっこり夫に帰ってこられても困る。
孤独こそ最高の老後
定年退職された後に妻に依存しようにも妻には妻の世界があるので、突然入ってこられても迷惑というわけです。
すなわち、定年退職後に妻に依存しようにもできないということです。
私の父と母は定年退職後はご飯以外は完全に別行動です。一緒に買い物に行くことも出掛けることもありません。
たとえ仲の良い夫婦だとしても、一緒に死ねない以上いつかは死別という別れが待っています。
妻に依存している人は、一人残された場合孤独をどう解消していくのでしょうか。
そう考えれば、普段から一人になっても人生を楽しめるようにすることが必須になってきます。
孤独老人になるのを嫌うのは日本人だけ

同じ老人になっても、国により大きな違いがあります。 『孤独こそ最高の老後』の著者である松原惇子さんのがヨーロッパに行ったときに、公園のベンチに腰かけている老人はにこやかで、日本の老人のように寂しげではなかったようです。 良き家族に囲まれているわけではなく、例えばドイツの場合だと、ほとんどの老人が一人暮らしです。 これは「自立している国民」と「自立していない国民」の違いで、ドイツでは幼い頃から自分で考えて決断するように教育されています。 またドイツだけでなくオランダでも「18歳になると家を出て、一人暮らしをする」ことになっているので、18歳になると強制的に自立させられることになります。 ドイツでは「人は孤独なのが当たり前」という考え方が身についているわけです。
個人を持たない自立していない日本人は、群れから離れて「ひとり」になることを恐れるが、自分で自己決定して生きてきたドイツ人は、「人間は本来ひとり」という認識なので、孤独をすんなり受け入れて楽しんで生きているのだ。
ドイツ在住の友人に聞くと、「ドイツでは、孤独だと嘆いている老人を見たことがないですよ。日本の老人は、『人間は本来ひとり』だということを、わかっていないんですね。日本人って、学歴が高くても、人生を学んでないですね」と笑った。
孤独こそ最高の老後
初めから他人に依存して生きていこうとする人と初めから一人で生きていこうとする人の違いが孤独の人生を変えてしまっているといえるでしょう。
『初めから、他人に頼らず生きていく』と決めてみてはどうでしょうか。
自分は結局一人なんやと開き直っていくと、他人さんに対して必要以上に執着しなくなってきます。
心に折り合いをつけて うまいことやる習慣
結局人は一人ということに気付かず他人に依存した生き方は、『人に好かれたい』『周りから認められたい』という感情が沸くので他人に合わせて生きることになります。 そうなると、他人の言動で自分の心が左右されるので毎日が疲れてしまいます。 『人は結局一人である』と割り切った方が、身軽に動きやすくなってきます。 余計なことに縛られることがなく、自分のしたいように、自分の「素」のままに生きることが怖くなくなってきます。 そのほうが、自分が付き合いたい人と付き合えるので、いい人間関係をつくることができます。 踏ん切りがつけば、身が軽くなるはずです。因みに私は一人で生きていくと決めているので、一人で楽しめる趣味を模索中です。

孤独の方がむしろ幸せになれる理由
孤独だと、人付き合いのストレスは激減する

若い頃は友達を作らなければ寂しい思いをすると思って、無理にたくさんの友達を作ってきました。 特に大学時代は友達を作るのが難しくて苦労した覚えがあります。 しかし、歳を重ねるほど、つまらない人と付き合うぐらいなら孤独のほうがいいように思うようになりました。 私ももう41歳となり、ある程度人間関係を経験してきたからこそ、人間関係の煩わしさがよくわかります。 人間関係が辛くて転職をしたぐらいです。
人間関係が濃いほどストレスも濃くなり、挙句の果て、相手をさすようになることもある。殺傷事件が家族間で多いのは、人間関係が濃すぎるのが原因だとわたしは思う。
孤独こそ最高の老後
相手と人間関係が濃く親密であるほど、ストレスが大きくなるのは誰でも経験したことがあることではないでしょうか。 親密な相手ほどどうでもいいことでもどうでもよくならなくなり、多くを求めようとしてしまいます。 元彼女と別れた時は、修羅場になり、散々な思いをしました。 今から思えば、幸せな時期は確かにありましたが、それ以上に不幸なこともたくさんあったと思います。 歳を取ってしまうと人間関係は疲れることが分かっているのでもうそこまで濃い人間関係を構築しようとする気力が湧かなくなります。
薄い関係の友達ならいつでもできる。軽い付き合いの人が何人かいればそれでよし、と思うことが、孤独を謳歌するコツだ。
孤独こそ最高の老後
軽い付き合いの方が気軽に遊びに誘えます。
お互いに依存関係にないので、束縛することもなく、ただ楽しい時間だけを共有できます。
いつでも関係が終わってもいい仲なので、お互いに気が合わないことがあれば、距離を取り、適度な関係で付き合っていけます。
まさに人との出会いは『一期一会』ということがよく分かるようになります。
人を欲さなければ、ひとりは自由で気楽

「ひとりを寂しい」と思うか、「ひとりは自由で素晴らしい」と思うか。わたしたち日本人は、「ひとりは寂しい」とどこかでインプットされ続けてきたため、ひとりの素晴らしさに気付かずに、人生を終えてしまう人が多い
孤独こそ最高の老後
人を欲するから寂しいと思うのであって、ひとりで生きていくという覚悟されあれば、ひとりでいても寂しいという気持ちは起こらなくなります。
予定を立てるとき、「だれと会おう」「だれと遊ぼう」と考えてしまうかもしれませんが、「ひとりでどこで楽しもう」という一人で行動する考えにシフトしていくと生きるのが楽になります。
この前放送された江口のりこさん主演の『ソロ活女子のススメ』はよくできていて、ソロ活の楽しみ方を十分に教えてくれます。
自分の「好きなこと」を「好きな時に」「好きなだけ」できるのが、ソロ活の魅力です。他人に左右されず自分の人生を生きましょう!
本にもなっているのでぜひ手に取って読んでみてください。
人ほど面倒なものはない。切れない身内という人間関係ほどしんどいものはない。せっかくのひとり身なんだから、「ひとり、自由に生きよ」と彼女はわたしに終えてくれた。しかし、そのときはまだ若くてまったく理解できずにいたが、今になるとその言葉の意味がよく理解できる。「人」も自分の人生を輝かせてくれるが、それ以上のものが「自由」なのだ。
孤独こそ最高の老後
家族や親類縁者は中々生涯にわたって切れるものではありません。 せっかくひとりになれたのならば、自由に生きられるひとり身を堪能しましょう。
高齢者の孤独の解消法①好きなことばかりして過ごす

孤独の解消法として「なるべく家にいないように過ごそう」と勘違いしてる人が多いと思います。 孤独は家にいてもいなくても、一人が寂しいと感じてしまえば、どこにいても変わりません。 昔の私は、一人で出掛けたりして孤独を解消しようと思ったことがありますが、他の人達がみんなで楽しそうに笑っているのを見ると余計に孤独感を感じてしまいました。 したがって、人がたくさんいるところに行っても孤独が解消することはありません。 大事なのは、夢中になって時間を忘れるぐらいに好きなことをして過ごすことです。 といっても、「別に好きなことなんてない」と言う人もいるでしょう。 これの解決策としては『つまらなそうと感じたりしたことであっても、一度はチャレンジしてやってみること』です。 チャレンジしてみることで、「これは自分に合わないのだな」とか「これは意外と面白いな」と感じるものです。
もし絵を描くのであれば、まずは「二科展」を目指す。写真撮影が好きなら岩合光照さんの後を狙い、猫の写真を撮りまくり、猫島にしばらくこもる。読書が好きなら、図書館の本を片っ端から読み、読書ノートをつけ評論家を目指す。ラーメンが好きなら、日本中のラーメンを食べ歩き、『おじさんのラーメン日記』を出版する。例えば、このような感じで。人を求めずに、自分が好きなことに没頭すれば、「寂しい」という感情はわかなくなる。
孤独こそ最高の老後
〝ただ好きなことをして過ごす〟だけではなく、好きなことに〝没頭〟してみてください。 一人が寂しいなんて感じなくなるはずです。
高齢者の孤独の解消法②人間よりも猫をもとめる

一人の時間が長くなると、自分を他人に合わせることが苦手になります。 他人が自分の生活に入ってくる煩わしさと言ったらないでしょう。 したがって、孤独からくる寂しさを人間で埋めようとしてもストレスが溜まるだけで、結局価値観が合わずに終わります。 それならば、人にこびずに気ままに生きる猫と一緒に暮らしてみてはどうでしょうか。 何事にも動じず毅然と生きている猫がいれば、寂しさより前向きに生きる力を与えてくれます。 私も猫を飼っていますが、猫は基本的に一人を好み、自分が好きな時だけ甘えてくる態度に憎たらしさを覚えながらも可愛くてしょうがなかったりします。 案外、必要以上にべったりしない人と猫の関係は理想的な生活の形なのかもしれません。
高齢者の孤独の解消法③やりたいと思ったことは何でもやる

高齢となるとやりたいと思っても、「いまさら遅い」「お金がもったいない」などやらない言い訳と考えすぎてしまいます。 友人からの誘いも一度も体験することなく、「私には無理だから」と断っていないでしょうか? 高齢になればなるほど、興味を持てることがどんどん少なっていきます。 それなのに、せっかく興味の持てたことですらチャレンジしなかったら、一体何をして過ごすというのでしょうか? 新しいことは今までマンネリでやってきたことよりも、新しい世界を開いてくれるので楽しんですることができます。 生きるのが上手い人は、自分の心をウキウキさせる方法をちゃんと分かってる人です。 自分を自分自身で笑顔にできる方法を模索していきましょう! 因みに私の父は75歳になりますが、自作キャンピングカーを作ったり、ログハウスを作ったりと歳をとってもアグレッシブに活動しています。 歳を取っても、新しいことにチャレンジすることでいつでも青春を送れるのだなと感心させられています。
高齢者の孤独の解消法④野菜作りをする

高齢ともなれば、今までと同じように体が動かなくなり、自分でできることも少なくなってきます。 そうなれば、当然仕事で雇ってもらうことも難しくなりますし、仕事がなくなれば急にやることがなくなってしまいます。 高齢者が孤独を感じやすいのは要するに『暇』だからですが、何かを始めようとするとどうしてもお金がネックになる場合があります。 そんな時にお勧めなのが、『野菜作り』です。 野菜作りは、仕事の一環としてすることができ、生きる上での役割を与えてくれます。 老後という膨大な時間を費やすには、お金を使って楽しむよりもお金を生む楽しむである仕事をしていた方が堅実です。 放浪癖のあった私の父は、定年後はあちこち回って遊びまくると思っていましたが、やはりお金を使いすぎることに気付いたのか老後は野菜作りや米作りに勤しみ1日という時間をつぶしています。 結局老後は年金しか収入源しかないため、お金を使った遊びには限界があるということです。 消費者ではなく生産者にまわる生き方も模索してみてください。
高齢者の孤独を解消し、暮らしを楽しむ生き方を!

人は、緊急時の安心のためにいきているのではなく、生きている間の暮らしを楽しむためにいきているのではないのか。
孤独こそ最高の老後
家族は自分の人生の保険のためにいるわけではありません。 実際に私は人生の最後で家族に捨てられて施設に無理やり入れられる高齢者を何人も見てきました。 綺麗ごとを抜きにすれば、施設は間違いなく現在の『姨捨山』なのだとつくづく思います。 家族は親を施設に入られたことに最低限の世間の体裁は保てたと安堵し、親は施設に入ってただ死ぬまで生きるだけの存在になってしまったことに悲観します。 家族がいようがいなかろうが、人生の最後まで自分の選択肢を持ちたいのならば、すべて自己責任で自分一人でやっていくしかありません。 他者に頼ろうとすれば、当然家族を含め他者の選択肢に自分の人生が左右されるようになります。 最後に「いい人生だった!」と終わるためには何度も言いますが、最後まで自分の人生を選択することです。 そのためには一人で孤独に生きていく覚悟が必要です。結局最後に死に方を選ぶには自分が一人で生きていくしかないのです。 『孤独=寂しい』という他人が勝手に作った価値観ではなく、『孤独=楽しい』という価値観を新たに自分で作ってみましょう! この記事は『孤独こそ最高の老後』を参考にさせていただいているだけなので、ぜひ自分で手に取って読んでみてください。